今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
「誰もいないと思ったんですけど……相変わらず、神出鬼没ですね」

「すみません、後をつけてきました。正直私もあそこにいるのは息苦しかったので、アリーナ様のおかげで助かりました」

 おどけて言うララに、アリーナはくすりと小さく笑った。

「ごめんなさい。私、教えてもらったこともまともにできなくて。本番に弱いんですかね」

 再び開けた唇が戦慄く。へらりともう一度笑おうとして失敗する。口の端が痙攣しただけだった。

「私……ララさんにチャンスをもらったと思ってるんです。もう何があっても陛下から離れないって。あの人が必要としてくれている間、せめて自分の役目を全うしようって改めて決意して。一度手放しかけてしまったから、わかったんです。ううん、本当はずっと、わかってた。どれだけ大切か」

 それなのに、と呟いたアリーナをララが静かに見つめていた。

「まさか……まさか、こんなに早く、役目が終わると思ってなかったんです。こんなに、早く……あの子が現れるなんて。あの子がいるなら、代わりの私はもう要らない。とっても綺麗で、身分も申し分なくて。私みたいな薄汚い鼠はもう要らないんです」

 彼が『ティア』と、酷く愛おしそうに呼んだあの夜を鮮明に覚えている。あんなに想っている人がいるのに、その間に自分のような者が割り込めるはずがない。

「共にありたいと願っても──相手がそう思ってくれなかったら?
この想いは、どこにいくの? いつか、勝手に消えてくれる……?」

 重くて、熱くて、苦しくて、こんなに胸が張り裂けそうなのに。いつかこれを忘れられる日が来るというの?

「想うだけで十分だった。それなのに、あの人が他の女の人を見ているだけでこんなに胸が苦しくなる……!」

 疼痛を訴える胸を抑える。どくどくと身体中に血が巡って、痛みが滲んで、もうどこが痛いのかわからなくなる。そのくせ血が引いたように全身がびりびりと痺れて、上手く体が動かない。

「陛下、は、私の前はあの子の血を吸ってたんだ。あの子の血は、飲めるの。やっぱり、私だけが特別なんじゃなかった。一人で浮かれて、馬鹿みたい」

「アリーナ様……」

 悲壮に顔を歪めたララがアリーナを抱き締めた。あたたかい。それでぶつりと気持ちが途切れてしまった。
 アリーナはぼろぼろと涙を流した。自分の体ではないみたいに、雫はとめどなく零れ落ちていく。背中をさすられて、子供みたいにしゃくりあげながら声を上げて泣いた。

 カディスのことを思うなら、本当は喜ぶべきなのだ。アリスティアもカディスのことを憎からず思っているようだし、きっとあのふたりは想い合って、『血の盟約』によってカディスの命は助かる。
 ……喜ぶべきなのに。それが嫌だと思ってしまう身勝手な自分は、やっぱりあの人の隣に立つべきじゃない。

 こんな気持ちは初めてで、どうしたらいいのかわからない。こんな欲張りな自分がいるなんて、今まで知らなかった。
 こんなに辛いなら、いっそ全てを忘れてしまいたい。
 それなのに、目を瞑ると脳裏に蘇るのは、カディスの不貞腐れたように顰めた顔、小憎たらしい得意げな顔、酷く優しく微笑んだ顔──
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