今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
陛下、もといカディスは蹲って頭を抱えたアリーナの腕を掴んだ。顔を覗き込んで宥めるようにしっかりとした口調で言う。
「頼む、聞いてくれ、アリーナ」
「ちが……そんな、だ、だってディーは、貴族なんかじゃ……」
大きく頭を振る。けれど、頭の中でピースが埋まる音がしていた。
侯爵の妾の子で、家を追い出されたカディスと、綺麗すぎる格好で下町の店の前で倒れていたディー。
「すまない、騙すようなことをして。『カディス』では、もう会ってもらえないと思った。……いいや、会う自信がなかった。嫌われて当然だとわかっているのにな」
ぽつりとカディスが言う。
「俺の顔も見たくないのだと思った。お前、ここに来てからずっと様子がおかしかったしな。情けない俺を見限って離れていくのだと、レガッタに帰ればもう会うことも無いのだろうと。だからその前に、最後に、『ディー』として、話をしたかった」
違う。そんなはず、ないのに。
そう思っても、強ばってしまった喉は震えなかった。感情に身体が追いつかない。
「死に損なって、それなら自分にできるところまでやろうと思った。平等な世を、お前が傷つかずに済むような世を俺がつくろうと。そのためになら力をふるうことにも、早く死ぬだろうことにも何の後悔もなかった。
だが、最後に欲が出てしまった。お前に、もう一度会いたかった」
カディスが頭を掻き毟る。
「でもあの時、俺はお前に噛みついてしまった。……我慢できなかった」
アリーナは無意識に首元に手をやった。それをカディスは目を細めて痛々しげに見る。
「お前に冷めた目で見られて、それでわかった。もう俺は、お前が心を許してくれた『ディー』ではないと。
挙句、一度触れたら手放し難くなってしまった。貴族を恨むお前に『ディー』が皇帝だと知られるわけにはいかなかった。だから俺は『カディス』として、貴族らしい貴族として振舞おうとした。俺は不格好な張りぼてだろうと皇帝でいなければいけないと思った」
出会った時のことだ。そう、あの頃のアリーナは、カディスもあのごろつきと大差ないと思った。そんな葛藤を知る由もなかったから。
ただ、今思えば、彼に向けられた『哀れみ』だと断じたあれは、本当は『哀しみ』だったのかもしれない。
「それなのに、俺はお前といると駄目なんだ。『王殺し』の『無敵の皇帝陛下』をどうやっていたのかわからなくなる。俺は元々中途半端だから。貴族でもなく庶民でもなく、冷酷な吸血鬼になり切る覚悟もなかった」
苦しそうに胸元を握り締めて俯いているカディスは、いつもより頼りなくて小さく見えた。これが元のカディスなら、一体どれだけ頑張って皇帝陛下を演じていたのだろう。
「頼む、聞いてくれ、アリーナ」
「ちが……そんな、だ、だってディーは、貴族なんかじゃ……」
大きく頭を振る。けれど、頭の中でピースが埋まる音がしていた。
侯爵の妾の子で、家を追い出されたカディスと、綺麗すぎる格好で下町の店の前で倒れていたディー。
「すまない、騙すようなことをして。『カディス』では、もう会ってもらえないと思った。……いいや、会う自信がなかった。嫌われて当然だとわかっているのにな」
ぽつりとカディスが言う。
「俺の顔も見たくないのだと思った。お前、ここに来てからずっと様子がおかしかったしな。情けない俺を見限って離れていくのだと、レガッタに帰ればもう会うことも無いのだろうと。だからその前に、最後に、『ディー』として、話をしたかった」
違う。そんなはず、ないのに。
そう思っても、強ばってしまった喉は震えなかった。感情に身体が追いつかない。
「死に損なって、それなら自分にできるところまでやろうと思った。平等な世を、お前が傷つかずに済むような世を俺がつくろうと。そのためになら力をふるうことにも、早く死ぬだろうことにも何の後悔もなかった。
だが、最後に欲が出てしまった。お前に、もう一度会いたかった」
カディスが頭を掻き毟る。
「でもあの時、俺はお前に噛みついてしまった。……我慢できなかった」
アリーナは無意識に首元に手をやった。それをカディスは目を細めて痛々しげに見る。
「お前に冷めた目で見られて、それでわかった。もう俺は、お前が心を許してくれた『ディー』ではないと。
挙句、一度触れたら手放し難くなってしまった。貴族を恨むお前に『ディー』が皇帝だと知られるわけにはいかなかった。だから俺は『カディス』として、貴族らしい貴族として振舞おうとした。俺は不格好な張りぼてだろうと皇帝でいなければいけないと思った」
出会った時のことだ。そう、あの頃のアリーナは、カディスもあのごろつきと大差ないと思った。そんな葛藤を知る由もなかったから。
ただ、今思えば、彼に向けられた『哀れみ』だと断じたあれは、本当は『哀しみ』だったのかもしれない。
「それなのに、俺はお前といると駄目なんだ。『王殺し』の『無敵の皇帝陛下』をどうやっていたのかわからなくなる。俺は元々中途半端だから。貴族でもなく庶民でもなく、冷酷な吸血鬼になり切る覚悟もなかった」
苦しそうに胸元を握り締めて俯いているカディスは、いつもより頼りなくて小さく見えた。これが元のカディスなら、一体どれだけ頑張って皇帝陛下を演じていたのだろう。