今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
 は、と声が漏れた。自分のものと思えない甘い吐息に顔を赤らめる。きっと自分はすごくだらしのない顔をしている。

 息を継ごうと口を開けた時、カディスの舌がぬるりと入り込んだ。得体の知れない感覚に体を離そうとして、もう力が入らないことに気がつく。
 先程歯で切った傷を舐められる。頭がくらくらした。血の味がする。自分か、カディスのものか、それはもうよくわからない。

 奥で縮こまって隠れていたアリーナの舌が引き摺り出されて絡められる。どう応じるのが正解なのか、そもそももうまともに動かない頭では本能に従うより他になかった。


 どのくらいそうしていたか、カディスの顔が離れる。唇が焼けるようにじりじりとした。
 容赦が無くて、溺れるようなキスだった。

 頭がぼうっとしていたせいか、ついぽろりと口から零れる。

「……『ティア』は?」

 想い人がいるのに誰にでもこんなことをするのかとたずねたつもりだったのだが。

「何故お前がそんなことを訊くんだ?」

 虚をつかれたようにカディスが瞬いた。本当に不思議そうに様子で首を捻る。バレたと慌てる様子も微塵もない。それは隠し事をしているにしてはあまりに素直な反応。

「それは、お前の名前だろう」

「…………え?」

 カディスの顔を見るがじっと見つめ返される。嘘をついているとは思えない。

「え……え……?」

「出会った頃、俺を信用していなかったから、名前を教えてくれなかっただろう。『本名』を。まさか覚えていないのか?」

 カディスが呆れたように肩を竦めた。

「『ティア』だと名乗ったのはお前だろう? 後で偽名だったとわかったが、癖が抜けなくて暫くはティアと呼んでいたな」

 アリーナは、うそ、と小さく口の中で呟いて目を泳がせる。

「というか、覚えていないのならどうして訊いてきたんだ?」

「えっ、あっ、ううん!? 別に、何でも……なかったみたい……」

 わたわたと手を振る。まさか寝言を聞きましたというわけにはいかない。

 普通の様子ではないアリーナにカディスは首を傾げたが、ふっと唇をゆるめた。

「今晩はもう休め。ララに迎えに来るよう言っておく」

 くしゃっとカディスがアリーナの頭を撫でる。

「そんな腑抜けた表情でうろつけばすぐに食われるぞ。俺も我慢できそうにない」

 頬をそうっとなぞられ、アリーナはぴくりと身動ぎした。
 それに満足そうに笑って、カディスは立ち上がる。

「おやすみ、アリーナ」



 閉じた扉を見つめて、呆然と呟く。

「覚えて、ない」

 アリーナは頭を抱える。

「うそ、勝手に盗み聞きして勝手に物凄く勘違いしてたってこと……?」

 わかってしまえば何と間抜けな話だろう。のたうち回りたい衝動に駆られる。

 ──でも、それなら。

 アリーナは自分の唇に触れた。まだ、熱が残っている。

 『ディー』は、自分のことを好きだと言ったけれど。あれは10年前のディーとして言ったのだろうか。
 今の、ディーでありカディスである彼は、自分のことはどう思っているのだろう。

 この口付けは、どういうことなのだろう──?
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