今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
 ふとカディスを見て、そのせいで彼に向いているもう一つの視線に気がついた。ライばあだ。口元をゆるめ、酷く愛おしそうにカディスを見つめている。
 まるで、そう──親が子を見るような。

 アリーナに見られていることに気がついていないのだろう。不注意なせいでフードからちらりとのぞく顔は、はっきりとはわからないにしろとても老婆には見えなかった。
 そして、僅かに見えた黒髪。

 思えば、彼女を老人だと勝手に思い込んだだけだ。姿勢の悪さと話し方、それに声で。

 もし、わざとそうしているとしたら?

「何だ?」

 そこでカディスがこちらを向いた。ぶんぶんと忙しく首を振る。

「ううん、何でも……」

 年齢を偽る必要がある。つまり彼女が、何かしらの理由で別人を装う必要があるということだ。カディスを見つめるあの表情。もし、もし──もし。

 飛躍し過ぎかもしれないけれど。思い過ごしかも、しれないけれど。

「……確か今日ってあとからセルジュさんも来るんだよね?」

 正確には出かけようとしていたアリーナとカディスの話を聞き、ついてくると言い出したのだが。
 仕事が酷だと言うような人でもないので、まあ十中八九嫌がらせだろう。

「あいつ、空気読めよな本当。態とだから余計に質が悪い」

 嫌そうに顔を顰めたカディスの袖をくいくいと引く。

「ね、セルジュさんが来る前にこっそり出て行っちゃおうか」

「……」

「久しぶりに、ふたりきりがいいでしょ?」

 自分たちも、あちらのふたりも。

 セルジュ、と聞いたライばあ──と呼ぶのが正しいのかもうわからない──が明らかにぴくりと肩を動かした。それに気がつかないふりをしてカディスを引っ張って立たせる。

「じゃあ、今日は『私たち』はこれで。来たばかりなのにすみません。また来ます!」

「えっ」

 戸惑うような声を置き去りにして、アリーナとカディスは店を出た。

 そこでアリーナははっと気がついた。もしライばあが『彼女』なら、カディスにとっても──

「ん? ああ、俺はいい。もう何度も来ているしな。お前のこともよく話していた。想っている人がいると」

 どのようにも取れるように言ってカディスは笑う。

「この店は偶然見つけただけだし、気がついていないふりをしている。……そうしなければ、あの人は会ってくれないだろうから」

 あの人、という言い方がよそよそしくて、詳しくは事情を知らないアリーナも胸がいたんだ。

「だから教える必要もないと思っていた。だが、知らず行くなら許されるだろう。あいつの驚いた顔は少し見たかったが」

 カディスがふっと笑ってアリーナの頭を掻き混ぜた。

「さて、セルジュに気がつかれないように城に戻るか」

「でも道なんてそうそうないし、途中ですれ違うかも」

 カディスはにやーっと悪戯っぽく笑った。

「俺が誰か忘れたのか?」

「え──わあっ!?」
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