クールな伯爵様と箱入り令嬢の麗しき新婚生活
問題を抱えた結婚
誰もが一度は夢見る結婚式。普通は、真っ白なドレスをまとう花嫁の隣に、花婿は笑顔でいるものだ。たとえ政略結婚であっても、皆が見守る結婚式の場では笑みを浮かべるべきだろう。
しかし、ここにいる花婿は、式の最中ずっと無表情であった。式を終えた今、ドレス姿の花嫁が馬車を降りるのに悪戦苦闘していても、彼女に目もくれず屋敷へと戻っていく。
従者の手を借りてなんとか馬車から降りた花嫁は、おぼつかない足取りながら急いで花婿のあとを追う。
空を映し込んだような青色の屋根の大きな屋敷は、貴族の邸宅が建ち並ぶ王都中心部から、少し外れた所にある。門から玄関まで伸びる道の両脇には美しい花々が咲き誇り、夫婦になったばかりのふたりを出迎えてくれるが、花嫁に花を愛でる余裕などない。
彼女が掃除の行き届いたタイル張りの玄関ホールに足を踏み入れると、花婿の姿がやっと視界に入る。
なんとか追いついたことにホッとしたのも束の間、花嫁は彼の険しい表情を目にして小さく息を呑んだ。
「叔父に頼まれたから結婚したが、夫婦らしいことは期待するな。金は自由に使っていいが、俺に干渉しないという約束は守ってくれよ」
花嫁は一瞬身を固めるも、結婚式の時から浮かべている笑みを意識して作り上げる。
「……はい。どうかアレックス様も、私とのお約束をお守りください」
これが花嫁であるエリーゼ・キャスティアン……いや、エリーゼ・ルーズベルトが、夫となったアレックス・ルーズベルトと初めて交わした言葉であった。
「……わかっている」
それだけ言うと、アレックスは早足で自室へ帰っていった。
その後ろ姿を見送っていると、横から女性の優しげな声がかかる。
「奥様、わたくしはこの屋敷で侍女長を務めております、ソルティアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「エリーゼです。これからお世話になります」
「もうここは奥様の家でもあるのですから、使用人にそのような丁寧な言葉をお使いにならなくても、よろしいのですよ。さあ、今日はお疲れでしょうから、お部屋へご案内しますね」
ソルティアは、眼鏡をかけた少し厳格そうな顔立ちの女性で、エリーゼには自分の母親と同じくらいの年齢に思えた。顔を見て一瞬身がまえたエリーゼであったが、ソルティアの優しく丁寧な物言いに、歓迎されているのだと少し安心する。
そして案内された部屋に入ると、露出も締めつけも少ないドレスに着替え、ソファに腰を下ろした。
「お飲み物をお持ちしますね」
「ありがとうございます」
丁寧な口調のままのエリーゼに苦笑いを浮かべ、ソルティアは部屋をあとにする。
やっとひとりになれて落ち着いたエリーゼは、自分に与えられた部屋を眺めた。
白を基調とした部屋の中央部分には椅子とテーブルが、壁際にはドレッサーや机が置かれている。落ち着いた印象を受けるが、至る所に花が活けられているため、女性らしい雰囲気がある。
しかし、この部屋には、なくてはならないはずの物がなかった。
「お父様ったら、私が勝手にひとりで寝てしまわないか心配だったからって、本当に部屋にベッドを置かないようお願いしてたのね……」
これにはエリーゼの抱える大きな問題が関係していた。
キャスティアン伯爵家の長女として生まれたエリーゼ。その瞳は茶色く、緩くウェーブのかかった髪は蜂蜜色をしている。小柄で可愛らしいけれど、美人ばかりの華やかな貴族の中では、いたって平凡な娘だった。
それでも、仲のいい両親と姉思いの弟に囲まれ、幸せで何不自由ない幼少期を送ってきた。
そんなある日、変化が訪れる。八歳になった頃からエリーゼは予知夢を見るようになったのだ。
最初はただの夢だと思い、両親に夢の内容を無邪気に話していたのだが……。その通りのことがしばしば現実で起こっていった。
それは、隣町の祭りで起こる小さなハプニングであったり、名も知らない遠くの国の内紛の様子であったり。内容は様々だったが百発百中。
ただの夢はおぼろげなのに対し、予知夢は鮮明に見えるということもあり、エリーゼは夢を見ている時点で、『これは予知夢だ』と次第に認識できるようになった。
最初は驚いた両親も、この力を使えばいろいろなことができるのでは、と喜んだ。
しかし、そう甘いものではなかったのである。
エリーゼは予知夢を見れば見るほど、命が削られるかのように弱っていった。一回だけなら体調が崩れる程度で済むけれど、連続して見ると、全身に痛みが走ったり、身体に力が入らなくなったりと症状は重くなっていく。時には、命の危険にさらされることもあった。
焦った両親は王宮医師に原因を調べてもらったが、解決策は見つからない。
予知夢を見なければ、身体は回復していくけれど、週二ペースだった予知夢は、成長と共に見る回数が増え、今では寝ると必ず見てしまう。だから、眠った次の日は眠らないようにするなど、睡眠の頻度を減らしたり、薬で症状を抑えたりして、なんとか命をつなげている状態だった。
寝なければ疲労により衰弱し、寝ても予知夢を見て身体が弱る……その悪循環がエリーゼを苦しめた。
心配した両親は、何がきっかけでエリーゼが予知夢を見るかわからないため、極力刺激を与えないよう、彼女に人との接触を断たせた。そして、王宮で文官として働いていた父親は仕事を辞め、家族皆で領地に引きこもったのだ。
こうして十八歳を迎えた、箱入り娘のエリーゼ。
そんな彼女の人生を、ある予知夢が変える。それがアレックス・ルーズベルト伯爵との政略結婚へと繋がったのだった。
「はぁ……結婚初日にしてこの嫌われよう。まぁ、無理もないわね。彼にとっては無理やり結婚させられたのと同じなのだから」
エリーゼは今日一日のアレックスの態度を思い出して、深くため息をついた。
この結婚は、エリーゼの両親とアレックスの叔父の間で決められたものだった。
両者顔合わせで初めて会った時から、アレックスの顔には『嫌だ』と思い切り書いてあったのだが、彼は幼少の頃から叔父に大変世話になっていたため、この話を断れなかった。
だからこそ、エリーゼ本人に断ってほしいと思っていたのだろう……エリーゼはアレックスの態度からそう感じていたが、こちらも引くに引けない事情がある。
結果、両親と叔父の思惑通り、今日、エリーゼの姓は〝キャスティアン〟から〝ルーズベルト〟へと変わることになったのだ。
だが、問題は当の本人たちの間にある、大きな隔たりだ。
エリーゼは、〝夫婦らしい関係〟とまではいかなくても、せめて人として仲良くしていきたいと思っている。しかし、アレックスにこちらの条件を呑んで結婚してもらった手前、そのことを言いづらい。
一方のアレックスは夫婦になるどころか、関わりたくない、干渉されたくない、と頑なにエリーゼを拒んでいる。
両親たちがしたような愛に溢れた結婚は、予知夢を見るようになった段階でエリーゼは諦めていた。いや、身体の弱い自分が結婚できるなんて、思っていなかった。
しかし、結婚するとなれば、旦那様とは良好な関係を築きたい。『今日こそ顔合わせの時の挽回を』と、意気込んできたのだが……。
「アレックス様のあの様子では無理そうね……あぁ、夜になるのが嫌だわ」
先のことを考えると心が折れそうになる。エリーゼはソファの背もたれに深く寄りかかったが、すぐにノック音が部屋に響き、慌てて姿勢を正す。
返事をすれば、ソルティアが紅茶セットを手に、申し訳なさそうに入ってきた。
「お、奥様」
「どうなさいましたか?」
「実はアレックス様がお出かけになりまして。お食事はおひとりで、と……申し訳ございません」
『本当に嫌われてしまったな』と思わず苦笑いを浮かべたものの、仕方のないことだと諦め、ソルティアに優しく笑いかけた。
「ソルティアさんが悪いのではないのですから、謝らないでください」
――悪いのは彼を縛りつけている私なのです。
しかし、ここにいる花婿は、式の最中ずっと無表情であった。式を終えた今、ドレス姿の花嫁が馬車を降りるのに悪戦苦闘していても、彼女に目もくれず屋敷へと戻っていく。
従者の手を借りてなんとか馬車から降りた花嫁は、おぼつかない足取りながら急いで花婿のあとを追う。
空を映し込んだような青色の屋根の大きな屋敷は、貴族の邸宅が建ち並ぶ王都中心部から、少し外れた所にある。門から玄関まで伸びる道の両脇には美しい花々が咲き誇り、夫婦になったばかりのふたりを出迎えてくれるが、花嫁に花を愛でる余裕などない。
彼女が掃除の行き届いたタイル張りの玄関ホールに足を踏み入れると、花婿の姿がやっと視界に入る。
なんとか追いついたことにホッとしたのも束の間、花嫁は彼の険しい表情を目にして小さく息を呑んだ。
「叔父に頼まれたから結婚したが、夫婦らしいことは期待するな。金は自由に使っていいが、俺に干渉しないという約束は守ってくれよ」
花嫁は一瞬身を固めるも、結婚式の時から浮かべている笑みを意識して作り上げる。
「……はい。どうかアレックス様も、私とのお約束をお守りください」
これが花嫁であるエリーゼ・キャスティアン……いや、エリーゼ・ルーズベルトが、夫となったアレックス・ルーズベルトと初めて交わした言葉であった。
「……わかっている」
それだけ言うと、アレックスは早足で自室へ帰っていった。
その後ろ姿を見送っていると、横から女性の優しげな声がかかる。
「奥様、わたくしはこの屋敷で侍女長を務めております、ソルティアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「エリーゼです。これからお世話になります」
「もうここは奥様の家でもあるのですから、使用人にそのような丁寧な言葉をお使いにならなくても、よろしいのですよ。さあ、今日はお疲れでしょうから、お部屋へご案内しますね」
ソルティアは、眼鏡をかけた少し厳格そうな顔立ちの女性で、エリーゼには自分の母親と同じくらいの年齢に思えた。顔を見て一瞬身がまえたエリーゼであったが、ソルティアの優しく丁寧な物言いに、歓迎されているのだと少し安心する。
そして案内された部屋に入ると、露出も締めつけも少ないドレスに着替え、ソファに腰を下ろした。
「お飲み物をお持ちしますね」
「ありがとうございます」
丁寧な口調のままのエリーゼに苦笑いを浮かべ、ソルティアは部屋をあとにする。
やっとひとりになれて落ち着いたエリーゼは、自分に与えられた部屋を眺めた。
白を基調とした部屋の中央部分には椅子とテーブルが、壁際にはドレッサーや机が置かれている。落ち着いた印象を受けるが、至る所に花が活けられているため、女性らしい雰囲気がある。
しかし、この部屋には、なくてはならないはずの物がなかった。
「お父様ったら、私が勝手にひとりで寝てしまわないか心配だったからって、本当に部屋にベッドを置かないようお願いしてたのね……」
これにはエリーゼの抱える大きな問題が関係していた。
キャスティアン伯爵家の長女として生まれたエリーゼ。その瞳は茶色く、緩くウェーブのかかった髪は蜂蜜色をしている。小柄で可愛らしいけれど、美人ばかりの華やかな貴族の中では、いたって平凡な娘だった。
それでも、仲のいい両親と姉思いの弟に囲まれ、幸せで何不自由ない幼少期を送ってきた。
そんなある日、変化が訪れる。八歳になった頃からエリーゼは予知夢を見るようになったのだ。
最初はただの夢だと思い、両親に夢の内容を無邪気に話していたのだが……。その通りのことがしばしば現実で起こっていった。
それは、隣町の祭りで起こる小さなハプニングであったり、名も知らない遠くの国の内紛の様子であったり。内容は様々だったが百発百中。
ただの夢はおぼろげなのに対し、予知夢は鮮明に見えるということもあり、エリーゼは夢を見ている時点で、『これは予知夢だ』と次第に認識できるようになった。
最初は驚いた両親も、この力を使えばいろいろなことができるのでは、と喜んだ。
しかし、そう甘いものではなかったのである。
エリーゼは予知夢を見れば見るほど、命が削られるかのように弱っていった。一回だけなら体調が崩れる程度で済むけれど、連続して見ると、全身に痛みが走ったり、身体に力が入らなくなったりと症状は重くなっていく。時には、命の危険にさらされることもあった。
焦った両親は王宮医師に原因を調べてもらったが、解決策は見つからない。
予知夢を見なければ、身体は回復していくけれど、週二ペースだった予知夢は、成長と共に見る回数が増え、今では寝ると必ず見てしまう。だから、眠った次の日は眠らないようにするなど、睡眠の頻度を減らしたり、薬で症状を抑えたりして、なんとか命をつなげている状態だった。
寝なければ疲労により衰弱し、寝ても予知夢を見て身体が弱る……その悪循環がエリーゼを苦しめた。
心配した両親は、何がきっかけでエリーゼが予知夢を見るかわからないため、極力刺激を与えないよう、彼女に人との接触を断たせた。そして、王宮で文官として働いていた父親は仕事を辞め、家族皆で領地に引きこもったのだ。
こうして十八歳を迎えた、箱入り娘のエリーゼ。
そんな彼女の人生を、ある予知夢が変える。それがアレックス・ルーズベルト伯爵との政略結婚へと繋がったのだった。
「はぁ……結婚初日にしてこの嫌われよう。まぁ、無理もないわね。彼にとっては無理やり結婚させられたのと同じなのだから」
エリーゼは今日一日のアレックスの態度を思い出して、深くため息をついた。
この結婚は、エリーゼの両親とアレックスの叔父の間で決められたものだった。
両者顔合わせで初めて会った時から、アレックスの顔には『嫌だ』と思い切り書いてあったのだが、彼は幼少の頃から叔父に大変世話になっていたため、この話を断れなかった。
だからこそ、エリーゼ本人に断ってほしいと思っていたのだろう……エリーゼはアレックスの態度からそう感じていたが、こちらも引くに引けない事情がある。
結果、両親と叔父の思惑通り、今日、エリーゼの姓は〝キャスティアン〟から〝ルーズベルト〟へと変わることになったのだ。
だが、問題は当の本人たちの間にある、大きな隔たりだ。
エリーゼは、〝夫婦らしい関係〟とまではいかなくても、せめて人として仲良くしていきたいと思っている。しかし、アレックスにこちらの条件を呑んで結婚してもらった手前、そのことを言いづらい。
一方のアレックスは夫婦になるどころか、関わりたくない、干渉されたくない、と頑なにエリーゼを拒んでいる。
両親たちがしたような愛に溢れた結婚は、予知夢を見るようになった段階でエリーゼは諦めていた。いや、身体の弱い自分が結婚できるなんて、思っていなかった。
しかし、結婚するとなれば、旦那様とは良好な関係を築きたい。『今日こそ顔合わせの時の挽回を』と、意気込んできたのだが……。
「アレックス様のあの様子では無理そうね……あぁ、夜になるのが嫌だわ」
先のことを考えると心が折れそうになる。エリーゼはソファの背もたれに深く寄りかかったが、すぐにノック音が部屋に響き、慌てて姿勢を正す。
返事をすれば、ソルティアが紅茶セットを手に、申し訳なさそうに入ってきた。
「お、奥様」
「どうなさいましたか?」
「実はアレックス様がお出かけになりまして。お食事はおひとりで、と……申し訳ございません」
『本当に嫌われてしまったな』と思わず苦笑いを浮かべたものの、仕方のないことだと諦め、ソルティアに優しく笑いかけた。
「ソルティアさんが悪いのではないのですから、謝らないでください」
――悪いのは彼を縛りつけている私なのです。