クールな伯爵様と箱入り令嬢の麗しき新婚生活
時間の使い方
エリーゼは珍しく、空気が冷たく、まだ太陽も昇っていない早朝にふと目を覚ました。最近はアレックスと寝ることで予知夢を見なくなり、身体の痛みもなくなって熟睡できているため、早い時間に起きることはない。
窓の外がまだ暗かったため、『もう一度寝よう』と寝返りを打ったエリーゼは、驚きで息を呑んだ。いつもはいないアレックスが、隣で寝ていたのだ。
白く大きな枕に頭を沈め、口元まで布団で覆って身体を丸めているアレックスを見て、エリーゼは『まるで猫みたいだ』と思った。
今までで、しっかりと彼を見たのは、顔合わせの時と結婚式の時だけ。それも、目が合えば迷惑そうに顔を歪められていたので、さすがのエリーゼも直視などできなかった。
だから、アレックスが熟睡していることを確認したエリーゼは、少しだけ自分の夫を観察することにした。まぁ、観察といっても鼻から上しか見えていないのだが。
艶のある藤色の髪は枕の上に広がり、睫毛も長く、鼻は高い。白い肌のアレックスは、寝ていれば女性のような美しさと儚さを感じさせ、思わず見とれてしまう。
いつもは歪められている碧眼も、ほかの人に向けられる時は甘く、優しさを含んだものになるのだろう。
『平凡な外見の私は、到底釣り合いそうもない』とエリーゼはため息をついた。
腕の立つ騎士が、小さく丸まって寝ているという光景が、なんだか不思議に思える。
『この無防備な彼を、私だけが見ることができる』と思うと、少し嬉しくなるエリーゼだった。
あれから結局、二度寝したエリーゼが目を覚ますと、いつも通りアレックスはいなかった。
これでも侍女が起こしに来る前で、令嬢としては早い時間から起きているのだが……。
起こしに来た侍女を朝の挨拶とともに迎え入れ、支度を済ませてひとりで朝食をとる。ルーズベルト夫人になって十日。もうひとりの食事にも慣れてしまった。
ただ、いまだに慣れないことは『奥様』と呼ばれることと、暇を潰すことだ。勝手知ったる屋敷ではないので、あまり自由に動き回ることもできず、だからといってずっと本を読んだり、刺繍をしたりするのも飽きてしまう。
そこで、今日は庭を散策することにした。侍女たちには『ひとりで散策したい』とお願いし、綺麗に整えられた庭先に出る。
「うわぁ……部屋から見るのとでは、全く違うわね」
屋敷の前を彩る大きな花壇には、様々な種類の花が植えられ、煉瓦でできた塀に沿うように木々が等間隔に植えられている。
まるで一枚絵のような光景を目にしたエリーゼは、気分が一気に浮上し、感嘆の息を漏らした。侍女から渡されていた日傘をくるくる回しながら、ゆっくりと花々を観察していると、この屋敷に来て初めて解放感を得られた。
「……お、奥様?」
「え?」
突然、後ろから困惑ぎみに呼ばれ、エリーゼは間抜けな声をあげる。
振り返ると、そこには身体の大きな男性が立っていた。優しげな顔立ちの男性もまた、ソルティアと同じくらいの年齢だろうと窺える。
「あ、すみません。勝手に入ってしまって」
「いえいえ、違うのです。まさか奥様がいらっしゃるとは思わなかったので、驚いてしまいまして。申し訳ありません。お初にお目にかかります。私は庭師のハルクレットと申します。よろしくお願いいたします」
「エリーゼです。こちらこそよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げたエリーゼ。
それを見たハルクレットは、「ソルティアの言う通り、遠慮なさっているのかな」と呟く。
エリーゼはそのことに気づかず、庭へと視線を戻した。
「ここの花々は、どれも綺麗ですね」
「こちらにある花は、ほとんどがアレックス様のお母様であるジュリエッタ様が選んだ花なのです」
「そうなのですか」
そう語るハルクレットは懐かしげに顔を緩め、花々を見つめる。
「ハルクレットさんは、アレックス様のお父様の代から庭師を?」
「はい。とても仲睦まじくお優しいご夫婦でした。アレックス様が四歳の時、事故でお亡くなりになってしまいましたが、それはもうアレックス様を目に入れても痛くないほどの可愛がりようで……」
ルーズベルト伯爵家の前当主であるオズベルクとその妻、ジュリエッタはアレックスが四歳の時に領地から帰る途中、事故で亡くなった。
そのため、まだ幼かったアレックスの代わりに、当主代行を務めたのが叔父であるベネリスだ。ベネリスはオズベルクの弟で伯爵家の当主になることもできたのだが、甥のアレックスに引き継がせたいと代行にとどまった。
ベネリスは領主としての役割を果たしつつ、アレックスが成人するまで、彼の面倒も見ていた。領主の座をアレックスに渡した今も、近衛騎士という仕事の関係でなかなか王都から離れられないアレックスを補佐するため、領地にとどまり、領民の生活を見守っているという。
そんなわけで、アレックスはベネリスに頭が上がらないのだ。
「奥様に対するアレックス様の態度、本当に申し訳ございません。アレックス様は使用人の私たちには、お優しい方なのですが……」
「そんな。ハルクレットさんが謝ることではありません。それに、無理やり結婚していただいたのですから」
「とんでもないです! 私どもは、アレックス様が奥様のような方と結婚できたことを、心から喜んでおります」
「ふふふ。皆さん、アレックス様のことが大好きなのですね」
ソルティアといいハルクレットといい、この屋敷の使用人たちはアレックスの行いを、自分のことのように謝ってくる。それは嫌味などではなく、アレックスを思い、彼を少しでも庇おうとしているからだとエリーゼにはわかる。
それがなんとなく自分の家族と重なり、エリーゼは微笑ましく思っていた。
「誠に勝手ながら、少しアレックス様のお話をしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
真剣な眼差しを向けてくるハルクレットの言葉を、エリーゼは無碍にすることができなかった。いや、アレックスのことを知るチャンスだと思った。エリーゼもまた、ほかの人と同じように、アレックスを噂の中でしか知らなかったからである。
「ありがとうございます。……アレックス様はとても明るく、素直なお子様でした。しかし、いつの頃からか、私どもにお心を隠されるようになりました。いくら私どもが愛情を持って接しようとも、ご両親からの愛には敵わなかったのかもしれません。学院に入ってからは、幾人かの女性とお付き合いもしていたようです。ですが、遊びというわけでは断じてありません! アレックス様は、真に愛せる女性を求めていただけで……あの、その」
「落ち着いてください。私は大丈夫ですから」
焦ったように口ごもるハルクレットを宥めるように、エリーゼは意識して微笑む。
「……失礼いたしました。アレックス様の奥様に対する行いは、許されるものではありません。ただ、今のアレックス様は、反発心のみで動いている気がするのです。奥様にはご迷惑ばかりおかけすると思いますが、もう少し、もう少しだけ、アレックス様を見放さないでいただけませんでしょうか」
深く頭を下げるハルクレットを見つめながら、エリーゼは思う。こんなにも愛情深く思ってくれる人がいるのに、アレックスはなぜそれだけで満足しないのだろうか、と。家族の愛しか知らないエリーゼには、アレックスの探す愛がよくわからない。
生き抜けるかさえわからないエリーゼは、とうの昔に恋愛は自分には縁がないものだと諦めてしまっていたからだ。
家族からの愛、使用人からの愛、アレックスの探している愛、何が違うのかわからない以上、アレックスの行動が単なる我がままだとも言い切れない。
それより、心から愛せる女性を探している途中のアレックスに足枷をはめてしまって、罪悪感を覚えてしまう。
しかし、エリーゼも人間である。愛しているわけではないアレックス相手でも、無視されるのは悲しいし、つまらない一生を屋敷の隅で送ることだって嫌なのだ。それならいっそ、約束通り彼に干渉せず、彼の〝愛する人探し〟を受け入れる代わりに、罪悪感でビクつくことをやめ、堂々と生活してもいいだろうか。
さすがに好き放題するつもりはないが、予知夢という問題が発生しない今、エリーゼにだってやりたいことのひとつやふたつはある。
「それならハルクレットさん、ひとつお願いを聞いてもらえますか?」
「私にできることなら、なんなりとお申しつけください」
「それでは、これから私も一緒に庭仕事をしてもいいですか?」
「え、あの、庭仕事ですか? それはまた、なぜ?」
まさかのお願いに目を白黒させたハルクレットに、エリーゼは今日一番の満面の笑みを向ける。
「私、予知夢を見るせいで幼い頃から身体が弱くて、屋敷の外に出ることもほとんどなかったのです。だから、やってみたくて!」
外で遊ぶ子供をいつも部屋の窓から見ては、羨ましいと思っていたエリーゼ。
彼女にとって、庭仕事は外で身近にできる遊びとしてうってつけだった。
敷地の中でなら婦人らしくないなどと言われることもないだろうし、長年の夢も叶うのだ。暇まで潰せて、一石二鳥である。
「しかし、ソルティアに怒られますよ」
「大丈夫です! お願いします!」
「……わかりました」
こうしてエリーゼは、自分の居場所を見つけたのであった。
窓の外がまだ暗かったため、『もう一度寝よう』と寝返りを打ったエリーゼは、驚きで息を呑んだ。いつもはいないアレックスが、隣で寝ていたのだ。
白く大きな枕に頭を沈め、口元まで布団で覆って身体を丸めているアレックスを見て、エリーゼは『まるで猫みたいだ』と思った。
今までで、しっかりと彼を見たのは、顔合わせの時と結婚式の時だけ。それも、目が合えば迷惑そうに顔を歪められていたので、さすがのエリーゼも直視などできなかった。
だから、アレックスが熟睡していることを確認したエリーゼは、少しだけ自分の夫を観察することにした。まぁ、観察といっても鼻から上しか見えていないのだが。
艶のある藤色の髪は枕の上に広がり、睫毛も長く、鼻は高い。白い肌のアレックスは、寝ていれば女性のような美しさと儚さを感じさせ、思わず見とれてしまう。
いつもは歪められている碧眼も、ほかの人に向けられる時は甘く、優しさを含んだものになるのだろう。
『平凡な外見の私は、到底釣り合いそうもない』とエリーゼはため息をついた。
腕の立つ騎士が、小さく丸まって寝ているという光景が、なんだか不思議に思える。
『この無防備な彼を、私だけが見ることができる』と思うと、少し嬉しくなるエリーゼだった。
あれから結局、二度寝したエリーゼが目を覚ますと、いつも通りアレックスはいなかった。
これでも侍女が起こしに来る前で、令嬢としては早い時間から起きているのだが……。
起こしに来た侍女を朝の挨拶とともに迎え入れ、支度を済ませてひとりで朝食をとる。ルーズベルト夫人になって十日。もうひとりの食事にも慣れてしまった。
ただ、いまだに慣れないことは『奥様』と呼ばれることと、暇を潰すことだ。勝手知ったる屋敷ではないので、あまり自由に動き回ることもできず、だからといってずっと本を読んだり、刺繍をしたりするのも飽きてしまう。
そこで、今日は庭を散策することにした。侍女たちには『ひとりで散策したい』とお願いし、綺麗に整えられた庭先に出る。
「うわぁ……部屋から見るのとでは、全く違うわね」
屋敷の前を彩る大きな花壇には、様々な種類の花が植えられ、煉瓦でできた塀に沿うように木々が等間隔に植えられている。
まるで一枚絵のような光景を目にしたエリーゼは、気分が一気に浮上し、感嘆の息を漏らした。侍女から渡されていた日傘をくるくる回しながら、ゆっくりと花々を観察していると、この屋敷に来て初めて解放感を得られた。
「……お、奥様?」
「え?」
突然、後ろから困惑ぎみに呼ばれ、エリーゼは間抜けな声をあげる。
振り返ると、そこには身体の大きな男性が立っていた。優しげな顔立ちの男性もまた、ソルティアと同じくらいの年齢だろうと窺える。
「あ、すみません。勝手に入ってしまって」
「いえいえ、違うのです。まさか奥様がいらっしゃるとは思わなかったので、驚いてしまいまして。申し訳ありません。お初にお目にかかります。私は庭師のハルクレットと申します。よろしくお願いいたします」
「エリーゼです。こちらこそよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げたエリーゼ。
それを見たハルクレットは、「ソルティアの言う通り、遠慮なさっているのかな」と呟く。
エリーゼはそのことに気づかず、庭へと視線を戻した。
「ここの花々は、どれも綺麗ですね」
「こちらにある花は、ほとんどがアレックス様のお母様であるジュリエッタ様が選んだ花なのです」
「そうなのですか」
そう語るハルクレットは懐かしげに顔を緩め、花々を見つめる。
「ハルクレットさんは、アレックス様のお父様の代から庭師を?」
「はい。とても仲睦まじくお優しいご夫婦でした。アレックス様が四歳の時、事故でお亡くなりになってしまいましたが、それはもうアレックス様を目に入れても痛くないほどの可愛がりようで……」
ルーズベルト伯爵家の前当主であるオズベルクとその妻、ジュリエッタはアレックスが四歳の時に領地から帰る途中、事故で亡くなった。
そのため、まだ幼かったアレックスの代わりに、当主代行を務めたのが叔父であるベネリスだ。ベネリスはオズベルクの弟で伯爵家の当主になることもできたのだが、甥のアレックスに引き継がせたいと代行にとどまった。
ベネリスは領主としての役割を果たしつつ、アレックスが成人するまで、彼の面倒も見ていた。領主の座をアレックスに渡した今も、近衛騎士という仕事の関係でなかなか王都から離れられないアレックスを補佐するため、領地にとどまり、領民の生活を見守っているという。
そんなわけで、アレックスはベネリスに頭が上がらないのだ。
「奥様に対するアレックス様の態度、本当に申し訳ございません。アレックス様は使用人の私たちには、お優しい方なのですが……」
「そんな。ハルクレットさんが謝ることではありません。それに、無理やり結婚していただいたのですから」
「とんでもないです! 私どもは、アレックス様が奥様のような方と結婚できたことを、心から喜んでおります」
「ふふふ。皆さん、アレックス様のことが大好きなのですね」
ソルティアといいハルクレットといい、この屋敷の使用人たちはアレックスの行いを、自分のことのように謝ってくる。それは嫌味などではなく、アレックスを思い、彼を少しでも庇おうとしているからだとエリーゼにはわかる。
それがなんとなく自分の家族と重なり、エリーゼは微笑ましく思っていた。
「誠に勝手ながら、少しアレックス様のお話をしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
真剣な眼差しを向けてくるハルクレットの言葉を、エリーゼは無碍にすることができなかった。いや、アレックスのことを知るチャンスだと思った。エリーゼもまた、ほかの人と同じように、アレックスを噂の中でしか知らなかったからである。
「ありがとうございます。……アレックス様はとても明るく、素直なお子様でした。しかし、いつの頃からか、私どもにお心を隠されるようになりました。いくら私どもが愛情を持って接しようとも、ご両親からの愛には敵わなかったのかもしれません。学院に入ってからは、幾人かの女性とお付き合いもしていたようです。ですが、遊びというわけでは断じてありません! アレックス様は、真に愛せる女性を求めていただけで……あの、その」
「落ち着いてください。私は大丈夫ですから」
焦ったように口ごもるハルクレットを宥めるように、エリーゼは意識して微笑む。
「……失礼いたしました。アレックス様の奥様に対する行いは、許されるものではありません。ただ、今のアレックス様は、反発心のみで動いている気がするのです。奥様にはご迷惑ばかりおかけすると思いますが、もう少し、もう少しだけ、アレックス様を見放さないでいただけませんでしょうか」
深く頭を下げるハルクレットを見つめながら、エリーゼは思う。こんなにも愛情深く思ってくれる人がいるのに、アレックスはなぜそれだけで満足しないのだろうか、と。家族の愛しか知らないエリーゼには、アレックスの探す愛がよくわからない。
生き抜けるかさえわからないエリーゼは、とうの昔に恋愛は自分には縁がないものだと諦めてしまっていたからだ。
家族からの愛、使用人からの愛、アレックスの探している愛、何が違うのかわからない以上、アレックスの行動が単なる我がままだとも言い切れない。
それより、心から愛せる女性を探している途中のアレックスに足枷をはめてしまって、罪悪感を覚えてしまう。
しかし、エリーゼも人間である。愛しているわけではないアレックス相手でも、無視されるのは悲しいし、つまらない一生を屋敷の隅で送ることだって嫌なのだ。それならいっそ、約束通り彼に干渉せず、彼の〝愛する人探し〟を受け入れる代わりに、罪悪感でビクつくことをやめ、堂々と生活してもいいだろうか。
さすがに好き放題するつもりはないが、予知夢という問題が発生しない今、エリーゼにだってやりたいことのひとつやふたつはある。
「それならハルクレットさん、ひとつお願いを聞いてもらえますか?」
「私にできることなら、なんなりとお申しつけください」
「それでは、これから私も一緒に庭仕事をしてもいいですか?」
「え、あの、庭仕事ですか? それはまた、なぜ?」
まさかのお願いに目を白黒させたハルクレットに、エリーゼは今日一番の満面の笑みを向ける。
「私、予知夢を見るせいで幼い頃から身体が弱くて、屋敷の外に出ることもほとんどなかったのです。だから、やってみたくて!」
外で遊ぶ子供をいつも部屋の窓から見ては、羨ましいと思っていたエリーゼ。
彼女にとって、庭仕事は外で身近にできる遊びとしてうってつけだった。
敷地の中でなら婦人らしくないなどと言われることもないだろうし、長年の夢も叶うのだ。暇まで潰せて、一石二鳥である。
「しかし、ソルティアに怒られますよ」
「大丈夫です! お願いします!」
「……わかりました」
こうしてエリーゼは、自分の居場所を見つけたのであった。