限りなくリアルな俺様参上!
私は気にしていた。

XX月XX日を。

彼は約束を破る人ではないことはわかっていた。

あの後、もらったCDを聴いた。

何度も繰り返して覚えてしまった。

アルバムに入っている12曲の内

一番気に入った歌は「君の唇」というタイトルだった。

彼の低音が甘く切なく歌っていた。

まるであの時のキスのようだった。

思い出してドキドキした。

ヘッドフォンから耳に響く彼の声に身体の中から震えた。

何度聴いても鳥肌が立った。

もう一度会った時、果たして自分は彼を拒めるのか不安だった。

約束の日が近づいた。

自分に正直でいたい。

私はいつもそう思っていた。

でも今日だけはそうしたくなかった。

彼の思うようにはならない。

私を彼の好きにはさせない。

彼の遊びになんか付き合っていられないんですから。

私をその辺の女と一緒にしてもらいたくない。

キッパリと言うべきよ。

指定された日に私が店へ出向かなければ

自宅に来るとわかっていたので同じ席で待った。

なんて嫌な日なのかしら。

折角のシュークリームも味気ないと思った。

この仕打ちをどうしてくれるのかしら。

「いらっしゃいませ!」

カウンター内が急に騒がしくなった。

彼は注文もせず店内をすばやく見渡して私を確認した。

「美久、すぐ出よう。シューはまた後日来ればいい。おいで!」

何だか慌ただしい彼に困惑した。

さっさと車に乗せられて走った。

「君の家に避難だ。」

「どうしたの?」

「カメラマンにしつこく追われたんだ。」

「嫌ね、有名人は肩身の狭い思いをしなくちゃならないのね。」

「何、他人事みたいに言って。俺が追いかけられたら君にも迷惑がかかるだろ?」

なぜそんな風に優しく言うのかしら。

私の事なんてお遊びなはず。

「ふぅ、無事着いたな。中へ入ろう。」

彼はイグアナのサイモンを眺めていた。

「こいつ、見れば見るほど変なヤツだな。じっとして動かない代わりに、目だけはキョロキョロさせてる。」

「だってそういう生き物なんですもの。それに無害よ。おとなしくて、あどけなくて、手に乗せると可愛いの。お茶をどうそ。」

「ありがとう。ひと息つけるよ。」

「CDを聴いたの。何度も。」

「どの曲がよかった?」

「2曲目よ。」

「へぇ、嬉しい。君に嫌われっぱなしじゃ寂しいからね。」

ダメだ。

このペースだと彼を拒めない。

「美久の考えていることが手に取るようにわかる。俺のことを想っている君に会いたかった。」

「透樹さん、私もCDを聴いてあなたのファンの一人になれました。それで充分でしょ?」

「いや、不十分だ。ファンの一人じゃダメだな。俺一人のものになってもらいたい。」

「それ、どういう意味かしら?」

「つまり、恋人になってほしい。美久の全てで俺の全てを想ってもらいたい。」

「私のことはお遊びじゃなかったの?」

「遊びなわけないだろ?本気だ。」

「ちょっと待って、急にそんなことを言われても、私困ります。」

「急じゃないだろ、1ヶ月前に言ったはずだ。俺のものにしたいって、忘れた?」

「いえ、覚えているけど。」

「あの時のキスも忘れたのか?」

「いいえ、覚えているけど。」

「けど、何?」

「あの、だから。」鳥肌が立った。

身体が熱くなりそうだ。

どうしよう。

どうしたらいいの?

「美久、どうした?君の返事が聞きたい。」彼の青い目はじっと私を見つめた。

「私はまだあなたのことを知らなさすぎて決められない。」

「わかった。じゃ、付き合いながら決めてくれればいい。」

「付き合うって言っても無理でしょ?一般人と違って会社帰りに会うこともできないし、休日だって無いでしょうし、どう考えても無理よ。」

「俺が会いに来るよ、ここへ。今はそれしか思いつかない。それとも毎日俺に会いたい?」

「恋人同士だったらそう思うでしょ?私達はまだそうじゃないけど。」

「その言葉、忘れないよ。じゃ、俺はもう行くから。」

「えっ?もう?時間ないのね。」

「美久、つらい?君がつらい分、俺への想いが強くってことだ。その気持ちを大切にしたい。」

私をギュッと抱きしめてキスをした。

激しいキスが次第に優しいキスになった。

「んふ、んん。」

「美久?」

「溶けそう。」

「この次はもっと溶かしてあげる、約束だ。」

「約束ね。もっと感じたらわかると思うの。」

「俺は君の期待を裏切らない男だ。今夜はXXチャンネルを観ろよ。生だ。君のためだけに歌う。2曲目だったよな。」

夜TVで『ミュージックでナイト』を観た。

透樹の魅力はどこにあるんだろう。

あの痺れるような低い声かしら?

冷たく射抜くように見つめる瞳かしら?

マイクを握る力強い手とオーラが漂う指先?

それとも全身にみなぎるパワーかしら?

たぶんその全てだわ。

スクリーンの向こうから私を見つめるように

私のためだけに歌う彼。

でも実際には何万人もの彼のファンが同じ彼を観ているのだから

そう思うと何だかがっかりもした。

透樹の歌が終わったのでTVを消した。

暗い画面を見ながらため息をついた。

私には彼の恋人は務まらないと思った。

いつも寂しい想いを味わうことになる。

会いたくても会えない辛さに潰されるとわかっているからだ。

もう以前と同じ間違いを繰り返したくなかった。

2年前OLだった私は

友達の紹介で知り合った男性と付き合ううちに

お互いに結婚も意識していた。

ところが相手の出張が増え

会う時間の制限と

彼の海外赴任が決まり

限界を感じた。

引き裂かれた時間がほんの少しでも

その回数が増すごとにお互いの想いが離れてしまったことに比例した。

もうあんな想いはしたくなかった。

つらすぎて耐えられない想いはしたくなかった。

透樹には正直に話そうと決めていた。

着信『美久、今夜遅くなるが逢いたい。待っていてくれるだろうか。透樹』

『私も話したいことがあるの。美久』返信。

私は自分の気持ちを伝えた。

「君の気持ちはだいたいわかった。」

「そう、よかった、わかってくれて。」

「だが、俺はあきらめない。」

「どうして?どうしてそうやって私を苦しめるの?」

「美久、楽して恋なんかできない。人を愛するって簡単そうで実はとんでもなく大変なことなんだ。俺の言っていることわかる?誰とでも気軽に恋愛できるわけないだろ?お互いに想いをぶつけ合って支え合っていくのが恋人なんだ。確かに君の言う困難は多いと思うが、一つずつ乗り越えていきたい。君と俺ならできる。」

「透樹、今のあなたは私だけを想っている透樹なの?」

「今だけじゃない。朝起きて夜寝るまで、その先もある。夢の中までも君のことでいっぱいだ。俺をこんなにした責任を取ってもらいたいな。」

彼はベッドの中で私をなかなか離してくれなかった。

「俺はいつも君に満たされたいという想いで胸の奥が焼けるんだ。初めて会った時からずっとだ。これ以上狂いたくない。逢える時間が少ない中で今夜は限界だった。美久の中で俺を静めてほしい。君の想いの中で静まりたい。俺の想いがどうか届いてくれ。」

「透樹、私もずっとあなたを想っているから、だから安心して。」

透樹は朝早くに帰った。

「美久、今度いつ会えるか約束できないが、君の揺れ動く想いは全て俺のものだ。」


< 8 / 12 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop