麗しき日々
奇跡の始まり
「ふう―っ」
片手で汗を拭うと,思わずため息がもれた。
消して、悪い物では無く、朝の一仕事終えた、安堵のため息だ……
森田湖波(もりたこなみ)二十五歳、短大を卒業し、第一希望だった大手食品メーカーの会社へ入社して三年になる。
総務へ配属され、思っていた仕事とは違ったものの、仕事は大変だが嫌ではなく、会社の為に忙しい日々を送っていた。
周りの気配の異変に顔を向けると、一台の黒塗りの車から降り正面玄関から入ってくる男の姿があった。
社員は皆、立ち止まり「おはようございます」と頭を下げる。
ほとんど表情を変えずに、凛々しい足取りのその男は、副社長の柴山颯太(しばやまそうた)三十二歳。
ロビーの隅に居る私の距離では、挨拶の声すら届かないだろう。
一応頭は下げてみるが、意味などあるのだろうかと、一度下げた頭を上げた。
すると、視線の先が一瞬だが副社長と目があった気がした。
まさか、そんなはずは無い。
偶然だろう……
私は抱えた書類を持ち直し、もう一度副社長の後ろ姿に目を向けた。
私のような、得に仕事に大きな貢献をする訳でもない社員と目が合うなど、偶然以外にはあり得ない……
まあ、副社長の前に華麗に並び、品よく挨拶する受付嬢ならともかく……
華やかに制服を着こなし、綺麗な笑顔を向けてあいさつする受付嬢をなんとなく見た。
リーダ的に取りまとめている、西野明美(にしのあけみ)が副社長から一番近い場所で、美しい笑顔で頭を下げていた。
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