麗しき日々
 私は副社長を見上げた。


「面接試験の日の事ですか?」


「覚えているのか?」

 副社長は目を見開いて、驚いたように言った。


「勿論…… あの時、副社長が声を掛けてくれなかったら、私は、あのまま逃げ出して、きっと後悔していたといます」


「実は俺もなんだ……」

 少し恥ずかしそうに、チラッと私を見た。


「えっ?」

 私は意味が分からなかった。



「俺さ、この会社に入る前は、世界中をバイトしながら生活していたんだ。すげー楽しくて、充実していた。

 でも、いつかはこの会社に戻らなきゃいけない事は分かっていた。オヤジに呼ばれて、一社員として働きだしたけど、上手くいかない事ばっかりで、その上この会社を背負わなければとならないプレッシャーに逃げ出しちまいたかった」

 副社長は、壁に寄りかかり遠くを見ていた。


「知らなかった? そんな風には見えなかった。自信に溢れている人だと思ってた……」

 私も、副社長から少し離れ、並んで壁に寄り掛かった。


「でも、あの日、俺の前に今にも崩れそうに立ちつくす、湖波の姿があったんだ。他の奴らが颯爽と歩く中で、自分の姿と重なったんだ。無意識に湖波に近づいてた……」

 副社長は、ペットボトルの蓋を開けてゴクリと一口のんだ。

 その姿を、私は黙って見つめた。


「湖波が、奇跡だって言っただろ? この会社に入れるなんて……」


「……」

 私は黙って肯いた。


「俺は、この会社に入ったのは、避けられない運命でしかなかった…… でも、奇跡だっていう湖波の顔見て、逃げちゃいけないって思えたんだ。始めて、こんな気持ちで働いている社員達がいるって事に気付けたんだ。

 だから、湖波が入社して来て、すごく嬉しかった。皆を守れるよう上に立つ人間にならければならないと思って、アメリカに行ったんだ」



「そ、そんな…… 私、ずっと副社長に、あの時のお礼をしなければと思っていたんです。でも、私が声を掛けれるような立場じゃ無くなっていて……」

 私は下を向いて、手にしていたペットボトルを見つめた。


「バカだな…… 俺が、アメリカから帰ってきたら、仕事の出来る女性に成長していて、湖波は、もう、あの時の事なんて忘れていると思ってたよ」


「副社長……」


 私は、副社長を真っ直ぐ見た。


「……」

 副社長も黙って、私と目を合わせた。
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