羽化
今年の初め、彼から言われたことばが頭をかすめた。
『入社したころから気になってたんだ。……その、いま、彼氏とかいなければ、僕と――』
勝手な話だ。
勝手な話だ!
あんなことばで、誘っておいて……。
なのに、それなのに、今になって、好きな人ができた?
わたしは?
わたしはどうなる?
わたしは……わたしの気持ちはどうなる?
どうなるんだよ!
「……ごめん」
貴司はそう言って俯いた。
……ずるい。
こうやって、喧嘩したときも、貴司はいつも先に謝って、わたしのことばを待つんだ。
ずるい。
卑怯だ。
いつもなら許せるそれが、今日だけは、今だけは、許すことができない。
わたしはいつのまにか泣いていた。
まるで、この時期になるとわたしがいつもやっている恒例行事の最中の汗みたいに。
あとからあとから涙が湧いてくる。
わたしはどうしたらいいのかわからなくなって、流れ落ちるマスカラを見られないように、自分も下を向いてただ泣いた。
対面の貴司はまた、小さな声で、「ごめん」と言った。
わたしはかぶりを振った。
そんなの聞きたくないと。
子どもみたいに。
――だけど、いつもと違って……。
「ここの払いはしておくから。ゆっくりしてから、今日はもう帰りなよ」
かたん、という音と共に、目の前にいたはずの貴司の気配が離れていったことだった。
わたしが顔を上げたとき、伝票のない、誰もいない、喫茶店でひとりで泣いている、変な女の姿だけが、ただそこにあった。