イジワル騎士団長の傲慢な求愛
「セシル……ああ、見違えた。美しくなったな。幼かった頃とは違い、もう立派な女性だ」
「お、お父様……?」
普段褒めることなど滅多にしなかった父が突然口にした賛辞に、どうしたことかと不安に駆られてしまう。
そんなセシルの心を落ち着かせるように、伯爵はゆっくりと弁解を始めた。
「昔のわしには、義務とプライドしかなかった。この家を存続させることだけがすべてだった。しかし、死を身近に感じる今、その頃の自分は間違っていたのだと、はっきりとわかった」
ステッキが、コト、と小さな音を立ててカーペットの上に転がった。
震える手足を懸命にこちらへ伸ばす伯爵は、まるで残り幾ばくもない命を燃やしているかのようだった。必死に力を振り絞り、セシルの両肩に手を置く。
「セシル。お前には随分と無茶を押しつけてしまって、すまなかった。もう偽らなくていい」
「……お父様?」
「アデルであったことは忘れて、セシルとして生きなさい」
その漆黒の双眸にかつてのギラギラとした輝きはなく、代わりに穏やかな静寂が満たしていた。
死というものを目前にして、あらゆる我欲を取り払ったかのように澄んだ目で、セシルを見つめている。
「この命が尽きる前に為すべきことがあるとすれば、ただひとつ。娘たちが幸せに生きられる道を用意してやることだ」
執着するものなどなにもない。くだらないプライドや、権力など、もう彼には必要ない。
ただ最後にひとつ心の残りがあるとするならば、自分の死後、愛娘ふたりが幸せに生きていけるかどうか――彼らに、なにを残してやれるかだ。
「お、お父様……?」
普段褒めることなど滅多にしなかった父が突然口にした賛辞に、どうしたことかと不安に駆られてしまう。
そんなセシルの心を落ち着かせるように、伯爵はゆっくりと弁解を始めた。
「昔のわしには、義務とプライドしかなかった。この家を存続させることだけがすべてだった。しかし、死を身近に感じる今、その頃の自分は間違っていたのだと、はっきりとわかった」
ステッキが、コト、と小さな音を立ててカーペットの上に転がった。
震える手足を懸命にこちらへ伸ばす伯爵は、まるで残り幾ばくもない命を燃やしているかのようだった。必死に力を振り絞り、セシルの両肩に手を置く。
「セシル。お前には随分と無茶を押しつけてしまって、すまなかった。もう偽らなくていい」
「……お父様?」
「アデルであったことは忘れて、セシルとして生きなさい」
その漆黒の双眸にかつてのギラギラとした輝きはなく、代わりに穏やかな静寂が満たしていた。
死というものを目前にして、あらゆる我欲を取り払ったかのように澄んだ目で、セシルを見つめている。
「この命が尽きる前に為すべきことがあるとすれば、ただひとつ。娘たちが幸せに生きられる道を用意してやることだ」
執着するものなどなにもない。くだらないプライドや、権力など、もう彼には必要ない。
ただ最後にひとつ心の残りがあるとするならば、自分の死後、愛娘ふたりが幸せに生きていけるかどうか――彼らに、なにを残してやれるかだ。