MAZE ~迷路~
 二人が鎌倉市内に入ったのは、とっぷりと陽が暮れてからのことだった。
「美波、お寺って、夜は門とか閉まってるんじゃないのかな?」
 智は一抹の不安を覚えながら、住宅街の一角に車を停めた。
「行ってみたら分かるわよ。」
 まるで他人事のように美波は言うと、智の後ろについて歩き始めた。


 智の想像通り、お寺の門はがっちりと、一分の隙もなく閉じられていた。
「やっぱり。どうするんだ、美波?」
 智は言うと、美波の方を振り返った。
「大丈夫。こっち、こっち。」
 美波は言うと、門とは反対の方向に歩き始めた。
「どこにいくの?」
 智は慌てて美波の後に続いた。
「このお寺の墓地は、すぐ脇にある散策路から見えるの。」
 美波は言うと、智に地図を見せた。
 美波が広げた地図をうっすらと街灯が照らし出した。
「ここ。この散策路。竹林が目印で、竹林を下ると、墓地に行かれるの。」
 美波はすこし得意げに言うと、散策路の入り口へと向かって進んだ。


 散策路の入り口は、急な段差から始まっており、『散策路入り口』という表示がなければ、ただの急斜面に段差がついているようにしか見えなかった。
「先に上がるよ。」
 智は言うと、先に段を上り、美波の体を引き上げた。
「五百メートルはないと思うんだけど。」
 美波は言うと、智と手をつなぎながら進んでいった。
 幸か不幸か、月はほとんど雲に隠されていた。日中に使用する目的で作られた散策路には、まったく街灯が設置されていなかった。二人は、雲間から差し込んでくるかすかな明かりを頼りに、ゆっくりと進んでいった。
 墓地の入り口にある街灯の灯が消されていたら、二人は散策路からつながる竹林を見落としてしまうところだった。
「美波、あそこ。」
 智は街灯を指差すと、立ち止まって竹林を見下ろした。
 智にしてみれば、たいした事のない段差に見えたが、小柄な美波には、とても帰りに一人で上がれるような段差ではなかった。
「先に下りるから、待ってて。」
 智は言うと、段差を乗り越えて竹林に下りた。
 下に降りてみると、思ったよりも傾斜がきつく、更に足場はでこぼこで不安定だった。
「美波、足場が悪いから、飛び降りると怪我する。」
 智は言うと、両手をのばし、美波に合図を送った。
 美波は、智の合図に従い、段差を滑り降りるようにしながら、智の腕に滑り込んだ。
「大丈夫?」
 智が聞くと、美波は静かに頷いた。
「じゃあ行こう。」
 二人は、ゆっくりと竹林を下り始めた。急な勾配を下まで降ると、入り口の街灯に照らされた墓石が、ぼうっと闇の中に浮かび上がっていた。
「さすがに、気持ち良いところじゃないな。」
 智は言うと、辺りを見回した。
「たぶん、お金持ちのお墓ってのは、こういう建売住宅みたいなんじゃなくて、祠とか、霊廟みたく、豪勢な感じになってるんじゃないのかな。」
 智の言葉に、美波も頷いた。
「あっちに明るいところがあるでしょ。あれ灯篭みたいに見える。」
 美波の言葉に、智は先にたって歩き始めた。
 迷路のように墓標が立ち並ぶ墓地を通り、二人が灯篭のところまで行くと、巨大な天然石を掘り込んだ墓石が現われた。
 智は懐中電灯を取り出すと、そっと石を照らしてみた。墓石には『近江家の墓』と、古風な書体で書かれていた。
「これだわ。」
 美波は石に彫られた名前を確認すると、並んで立てられている卒塔婆の方に歩き出した。
「暗いから気をつけて。」
 智は言うと、美波に懐中電灯を手渡した。
 美波が懐中電灯で照らし出すと、ひときわ真っ白な、真新しい卒塔婆が二人の目を惹いた。美波が顔を近づけてみると、それには十年前の日付が書かれていた。それ以外の卒塔婆は、すべて書かれた年代からの風雪を感じさせる、色褪せたものばかりだった。
「智、見て。」
 美波は、声に出して智を呼んだ。
 卒塔婆の日付を確認した智は、あまりの新しさに、少し不気味さを感じた。
「どうみても、数日前とか、数週間前に用意したって感じだな。」
 智が考えているうちに、美波はすばやく墓石の前の納骨室の所に戻っていた。
「美波?」
 智が問う暇もなく、美波は渾身の力で納骨室の蓋石を動かし始めていた。
「智、誰か最近開けたんだわ。石が楽に動くもの。」
 美波は言うと、蓋石のずれた間から、納骨室を懐中電灯で照らし始めた。
「みて、真新しい骨壷がある。」
 美波は言うなり、智が止める間もなく、納骨室に手を伸ばし始めた。
「あぶない。」
 バランスを崩した美波が、納骨室に吸い込まれそうに見えた智は、慌てて走り寄ると美波の体をつかみ止めた。
「大丈夫。」
 美波は言うと、両手で真新しい骨壷を挟んで取り出した。
「軽いわ。きっと空なのよ。」
 美波は言うなり、骨壷の蓋を開けた。
「やっぱり、空だわ。」
 美波の言葉に、智は我が目を疑った。
 さすがの智も、一般的に骨壷の蓋があんなに簡単に開けられるものなのかどうか知らなかったが、真新しい卒塔婆、真新しい空の骨壷には、全て理由があるように感じられた。
 放って置くと、骨壷の中に手を入れて調べそうな美波に、智はとりあえず蓋をするように言った。
「とにかく、早く蓋をして。」
 その瞬間、智は今まで感じたことのない、何か異様な気配を感じた。
 美波の言葉を借りて表現するなら、『先触れが、早くこの場を立ち去るようにと告げて言った。』というのが、ぴったりくるような感覚だった。
 智はすばやく美波から骨壷を取り上げると、自分でも信じられないくらいの早業で、骨壷を納骨室に戻し蓋石を元に戻した。
「どうしたの智?」
 怪訝な声を出す美波に、『走るよ』とだけ言うと、智は美波を抱き上げて走り始めた。
 竹林まで、どの通路を通ってたどり着いたのか思い出せないが、奇跡的なスピードで、智は美波を抱いたまま竹林に走りこんだ。しかし、さすがの智も、竹林の急勾配に美波を抱いて上がるのは無理だと判断した。
「美波、急いで上るんだ。」
 智は言うと、美波の手を引いて竹林を駆け上がった。
 散策路に上がる段差のところで立ち止まると、智は美波を抱き上げて散策路に上がらせてから、自分も散策路に這い上がった。
 智が散策路から墓地を見下ろすと、松明を燈したような一団が墓地に走りこんできた。
「何なの一体?」
 美波の問いに、智は答えることが出来なかった。
「とにかく、早く車に戻ろう。」
 智は言うと、目の端で松明の一団が『近江家の墓』辺りを取り巻いているのを見ながら歩き始めた。
 ほんの数十歩、散策路の入口に向けて歩き始めた智は、再び不吉な先触れを感じた。
「美波、この散策路が墓地につながってるって、何で調べたんだ?」
 智は言うと、立ち止まってあたりの様子を窺がった。
「テレビでやったの。この先に見晴らしのいいところがあって、そこからお寺が一望できるの。お花見の時にすごく綺麗だって。ティンクと見てて、ティンクが、ここがつながってるって教えてくれたの。」
 美波の言葉に、智は心臓が凍りつくような感覚を覚えながらも、美波から預かった地図を取り出すと、月明かりに照らして目を凝らした。
 智の心配通り、散策路の出入口は、どちらも寺の正門脇を通り抜ける形に作られていた。他には墓地を囲む林と竹林のほか、下に降りる場所はなかった。おまけに山側の崖は高く、とても人には登れそうもなかった。

(・・・・・・・・まずい、逃げ場がない・・・・・・・・)

 智は地図をしまうと、崖を上れそうな場所を探した。
 数メートル先に、崖にめり込むようにして大きな石が立っていた。高さは二メートル以上あるようだったが、智が抱き上げれば、なんとか美波は登れそうに見えた。
「美波、こっち。」
 智は言うと、美波を抱き上げて石の上に登らせた。それから智は、助走をつけて石に飛びつくと、左右の崖を上手く利用して、何とか石の上に這い上がった。
「伏せて。」
 目の端に明かりを捕らえた智は言うと、美波を抱くようにして、自分も石の上に横になった。
 それから一分もしないうちに、大量の明かりが辺りを照らし始めた。
『墓地にいないから散策路に逃げたと思ったんだが。』
 誰のものともわからない不気味な声が言っていると、反対側からも大量の明かりが近付いて来た。
『いたか?』
『いや、こっちにもいない。』
『何の目的で忍び込んだのか。』
『逃げ足が速いな。他に抜ける道はないのか?』
『後は獣道だけだ。』
『まだ、竹林に隠れているのかもしれない、しらみつぶしに探すんだ。』
 男達は言うと、数人の見張りを残してそれぞれ別の方向に消えていった。

(・・・・・・・・いったい、こいつら何者なんだ? とても普通のお寺の坊主には見えない。それに、どうして忍び込んだ事がわかったんだろう・・・・・・・・)

 智は考えながら、しっかりと美波を抱きしめた。腕の中の美波が恐怖に震えているのが、智にも感じられた。智としては、美波に声をかけたかったが、下にいる男達に聞かれるのを恐れて、智は声を出すのをやめた。
 小一時間近く経ってから、男達は示し合わせてどこかに戻っていったようだった。しかし、本当に立ち去ったのか、それとも立ち去った振りをしているのか分からず、智と美波は息を殺して隠れ続けた。
 冷たい夜風が体温を奪い、腕の中の美波が、恐怖ではなく、寒さで震え始めた事を智は肌で感じた。
 辺りから騒がしい気配が遠のき、再び静けさが戻ってきた頃、智は音をたてないように気をつけながら、石の下を覗いてみた。男達は本当に諦めたようで、明るい松明の光も、見えなくなっていた。しかし、智は出入り口付近が監視されている可能性を考え合わせ、散策路に戻らなくて良い方法を探す事にした。
「いなくなったみたいだ。帰り道を探してくるから、美波はここにいて。」
 智は美波の耳元で囁くと、さらに奥へと這って進んだ。
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