MAZE ~迷路~
 崖の上は思ったほど広くはなく、智はあっという間に反対側の縁にたどり着いてしまった。崖の下には、閑静な住宅街が広がっていた。智はもう一度地図を取り出すと、何とか自分たちのいる位置を確認しようと頑張った。しかし、高低差も何も表記されていない簡略地図では、現在位置を特定するのは至難の業だった。
 仕方ないので、智は約一キロとされる散策路の全長と、墓地に面した竹林と思われる範囲から、大体の位置を割り出す事にした。割り出した位置と、地図が間違っていなければ、智達は幸運にも、山の裏側にある住宅地に面した、狭い崖の上にたどり着く事が出来た事になる。

(・・・・・・・・こっちの住宅街に降りる事が出来たら、あの寺に近付かないで車まで戻ることが出来る。でも、この段差どうしたら・・・・・・・・)

 智は考えながら、四、五メートルはありそうな段差に目をやった。

(・・・・・・・・左に進むと、また寺の近くの散策路に戻る可能性があるから、右に進むしかないな。でも、この狭い崖、安全なんだろうか・・・・・・・・)

 智は悩みながらも、狭い崖の上をしばらく這い進んでいった。崖は段々に狭くなっていったが、先に進むごとに住宅地側の段差は縮まり、逆にお寺側の段差が開いていっているように感じられた。
 ゆっくりと数分かけて進んでいくと、崖の脇に一本の巨木が枝を広げて立っているのが見えてきた。

(・・・・・・・・もう、あれしかないな。あの木を使って下に降りられないなら、このまま朝までここに隠れてるしかない・・・・・・・・)

 智は決心すると、Uターンして美波のところに戻って行った。
「美波、この先に崖の反対側に降りられるところがある。そこから住宅街に降りて、車まで帰るからね。」
 智は言うと、美波についてくる様に合図した。美波は黙って頷くと、智の後ろに続いた。
 智は大木のすぐ傍まで来てから、思ったより木が崖から離れている事に気付いた。

(・・・・・・・・これじゃ、美波には届かないかも・・・・・・・・)

 智は考えると、美波の方を振り返った。
「美波、俺が先に飛ぶから。合図したら、俺の腕に飛び込んで来るんだ。いいね。」
 智の言葉に、美波は再び無言で頷いた。美波が頷くのを確認してから、智は体を起こし、跳躍をつけて木に飛びついた。
 大木は衝撃で枝を激しくゆすぶった。智は落ちそうになるのを必死に堪えて、木の枝を崖側に倒すように位置を調整した。
「さあ、美波。飛んで。」
 智は言うと、両手を広げて見せた。美波は体を起こすと、体勢を整えながら、智の腕の中に飛び込んできた。
 衝撃で、美波を抱いた智は一メートル近く枝の中を滑り落ちたが、しっかりと美波を抱きとめた。美波の呼吸が落ち着いてから、二人はゆっくりと大木を降りて行った。
 両足が地面についたときの感覚は、これまで感じたことがないほど、妙に興奮する一瞬だった。下から見上げてみると、崖から木に飛びつくなどという芸当が、自分に出来たとは信じられないほどの距離があった。
 二人は手早く衣服についた汚れを払うと、いまさっき家から出てきたカップルのような雰囲気をかもし出しながら、住宅街を進んでいった。


 大きな道路に出ると、智は美波の手をひいて近くのコンビニに入った。何よりも、明るくて安全な中立地帯に美波を預けておきたかった。
「車を取ってくるまで、ここから出ちゃいけないよ。」
 智は耳元でささやくと、缶ビールを一缶買い、足早にコンビニを後にした。


 缶ビールを片手に、千鳥足の振りをしながら車まで戻った智は、まるで酔っ払いが目的地直前で力尽きてしまうかのごとく、車の手前で地面に横になった。それから、再びビールを口にする振りをしながら、手早く排気口と車の下に目を走らせた。
 実際のところ、真っ暗なので何も見えはしなかったが、智はそれでも排気管に何も詰められてないのを確認すると、ゆっくりと起き上がって車に乗り込んだ。
 車の中にも異常がないのを見て取ると、智は一気にエンジンをかけ車を走らせた。


 コンビニの向かい側に車を止めると、智は走ってコンビニに戻った。
 心配げな瞳をしていた美波は、智の顔を見ると顔をほころばせた。
「ごめん、財布忘れちゃって。」
 智は言うと、美波が手に持っていたお握りやお茶の代金を支払った。
 コンビニの袋を受け取ると、智は美波を車に乗せ、何事もなかったかのように車を走らせた。
「今日だけで、一生分の冒険をした気がするよ。」
 智は言うと、スピードを上げて鎌倉を後にした。しかし、既に時計は零時を回っていた。
「大変だ。お母さん心配してるぞ。」
 智は言うと、一瞬だけ美波の方を向いた。
「大丈夫。携帯がある。」
 美波は言うと、車に置いておいたバッグの中から携帯を取り出した。
「もしもし、あ、私。DVD見た後、ドライブに出てたの。これから帰るから。今日、智泊まってもいい? うん、わかった。鍵持ってるから。じゃあ。」
 美波は言うと、電話を切った。
「敦んちの駐車場に止めて良いって。」
 美波の言葉に、智は頷くと、更にスピードを上げた。
 二人を乗せたルノー5は、スピード違反で検挙される事もなく、スムーズに美波の家まで帰り着く事が出来た。
「美波、今日の事は、明日ゆっくり話そう。」
 駐車場に車を止めた智は言うと、美波の返事を待った。
「うん。明日ね。」
 美波は言うと、ドアーのロックをはずした。
 一足先に車から降りた智は、美波を降ろすと、ゆっくりと美波の家を目指した。

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