MAZE ~迷路~
驚いたような顔をして、部屋から飛び出した美波に、智は慌てて立ち上がった。
「美波!」
慌てた智は、バスタオルを巻いたままの姿で、玄関のドアーを開けた。
「美波。」
智が声をかけると、美波は声を潜めて泣いていた。
「美波、外は寒いから中に・・・・・・。」
智は言いながら、美波の腕に手をかけた。
「放っておいて。女の人が来てるんでしょ。」
美波は言うと、智の腕を振り払った。
「誰もいないよ。ただ散らかしてるだけだよ。」
智は言うと、美波を支えるようにして立ち上がらせた。
「第一、誰か部屋にいるなら、こんな格好でドアーを開けたりしないよ。」
智は言いながら、改めて部屋の中を見つめた。
確かに、二つカップの並んだテーブルや、脱ぎ捨てられた衣服、丸まった布団の作り出す芸術的な陰は、驚くほど効果的な疑惑の温床になったようだった。
智は初冬の風に震えながら、美波を部屋の中に入らせた。
「なんだか、お勧めできる格好じゃないな。」
智は言うと、几帳面に間仕切りを直しながら、ベッドルームに入って行った。
「すぐ行くから。」
智は言うと、手早く着替え、ベッドを平らに戻した。
「お待たせ。」
智は言いながら、部屋の間仕切りを全開にした。
「念のため、僕の名誉のために言っておくけど。誰も連れ込んだりしてないから。疑うんなら、風呂場とトイレも見に行って良いよ。」
そう言うと、智はバスルームの方を指差して見せた。
「いいの、別に。」
美波は言うと、激しくなる頭痛に、左手でこめかみを押さえた。
「座って、お茶を入れるから。」
美波の為に椅子を引くと、智はすぐにお茶を煎れはじめた。
「携帯、出ないのね。」
美波は言うと、ゴミ箱に捨てられている携帯電話に目を留めた。
「そんな事ないよ。」
智は言いながら、美波の視線の先にあるゴミ箱に目をやった。
携帯電話は、帰宅時の一時の感情で放り投げられたまま、まだゴミ箱の中に入っていた。
「最近、鳴らないから。時々、どこにあるか忘れちゃうんだ。」
智はごまかすように言うと、慌てて携帯を拾い上げた。画面には、不在着信の回数が表示されていた。
「家の電話も鳴らしたのよ。」
美波の言葉に、智はシャワーの時に聞こえた音が、電話のベルだった事を確信した。
「お風呂に入ってて聞こえなかったんだと思う。何か、鳴ったような気はしたんだけど。」
智は言いながら、美波の前に湯飲みを置いた。
激しくなり続ける頭痛に、美波は右手でも、こめかみを押さえ始めた。
「こんな遅くから、ごめんなさい。」
美波は言うと、必死に笑顔を作って見せた。
一時的に、こめかみから離した手は、痛む場所に戻りたがって、空を泳いでいるようだった。
「ブラック・ティーを贈ってくれたでしょ。そのお礼を言いに来たの。」
美波は言うと、再び左手でこめかみを押さえ始めた。
「今日は記念日だから。」
智は言うと、そのまま言葉を飲み込んだ。
(・・・・・・・・美波が婚約解消の話を知らないはずはない・・・・・・・・)
そう考えると、智は続ける言葉が見つからなかった。
「ママから聞いたの。智、婚約、解消したいんですって?」
美波は言うと、智の目を見つめた。
(・・・・・・・・美波と別れたくない。でも、そんな都合のいいこと、いまさら言えない。美波が口にした、哲って名前を勝手に誤解したのは、俺なのに・・・・・・・・)
智は、美波の緑色の瞳に、吸い込まれそうになるのを感じた。
智の想いが流れ込んでくると、美波は再び両手でこめかみを押さえた。
(・・・・・・・・頭が痛い。このままじゃ、意識を失って、ティンクにスイッチングしちゃう・・・・・・・・)
美波は、必死に痛みを堪えた。
「よく覚えてないんだけど、私、夛々木君に逢いたいって、言ったんでしょう。」
美波の言葉に、智は呼吸が止まりそうになった。
「ティンクの恋人なの。」
美波が言うと、智は無言で頷いた。
「どうしても、智に話しておきたい事があるの。」
美波は言いながら、右手をこめかみから離した。
「ティンク、生きていたわ。最後に会えたの。でもね、それ以来、私とティンクがごちゃごちゃになっちゃって、なぜかわからないんだけど、すごく夛々木君に、哲君に会いたかったの。」
美波の言葉に、智は美波の事をみつめた。
「変でしょ。だから、智が婚約解消したいって言うの、仕方ないと思うの。」
そう言う美波の瞳が、涙で潤み始め、美波は智に背を向けた。
「もう、もう何も言わなくていい。美波。」
智は言うと、背中から美波の事を抱きしめた。
「俺が悪かったんだ。あの時、どうかしてたんだ。やっと口をきいた美波が、他の男の名前を口にしたから、悔しくって、嫉妬して、どうかしてたんだ。」
智の言葉に、美波はこめかみを押さえる手を離し、智の腕に触れた。
その瞬間、美波は絢子の声を聞いた。
『美波から手を離せ!』
割れるような頭の痛みに、美波は意識が遠くなりそうになるのを感じた。
(・・・・・・・・いけない、このままじゃ。敦を呼ばなきゃ・・・・・・・・)
美波は、ポケットから携帯電話を取り出すと、必死に敦の携帯を呼び出した。
「美波から手を離せ。」
薄れ行く意識の中で、美波はもう一人の自分、絢子の言葉を聞いた。
(・・・・・・・・敦、助けて・・・・・・・・)
美波は意識を失った。
「美波から手を離せ。」
空耳かと思った智は、はっきりと腕の中の美波が言うのを耳にした。
「美波?」
智は怪訝な声を出して呼ぶと、美波の顔を覗き込んだ。
どことなく、何かが美波と違っていた。
「美波?」
もう一度、智が言うと、美波は智の腕を払いのけた。
「手を離せと言ってるんだよ。」
美波の態度の変化に、智は呆然として美波の事を見つめた。
「部屋に連れ込んで、美波に何をするつもりだったんだよ。」
話し方も、声のトーンも違ったが、美波の口から発せられている事に間違いはなかった。
「美波じゃない。君は、誰だ?」
智は言うと、一歩下がって美波の事を見つめた。
「美波には、指一本触らせない。」
美波の言葉に、部屋の中で異様なハミング音が始まったのと、敦がドアーを破るようにして部屋に入ってきたのは、殆ど同時の出来事だった。
「絢子ちゃん、やめるんだ。」
敦は叫ぶなり、美波の事を抱き寄せた。
「美波が悲しむような事はやめるんだ。絢子ちゃん。」
敦が耳元でささやくと、絢子は仕方なく力を収めた。それに従い、智の部屋に響いていた、不気味なハミング音も静まっていった。
何が起こったのか解からない智は、敦と美波の事を交互に見比べた。
「敦、いま、なんて美波を呼んだ?」
智の言葉に、敦は絢子を抱きしめる手を解いた。
「智、紹介しよう。美波の親友の絢子ちゃんだ。」
智は、敦のことを訝しげな瞳で見つめた。
「絢子ちゃん、美波の婚約者の智だ。絢子ちゃんが、病院で智に、哲君に逢いたいって言ったせいで、智と美波の間はこじれてるんだから、これ以上、こじれさせないでくれ。」
敦が言うと、絢子は挑戦的な目で敦の事を見つめた。
「美波は、もっのすごく純情で、一途なんだよ。婚約してるくせに、美波が他の男の名前を口にしたくらいで、婚約破棄だの解消だのって言う男に、美波を任せられるわけないじゃないか。」
攻撃的でありながら、要点をついた絢子の反論に、敦は返す言葉がなかった。
「美波を返してくれ。」
智は言うと、美波、いや絢子を見つめた。
「君が誰だってかまわない。俺の美波を返してくれ。」
智の言葉に、絢子は眉を吊り上げた。
「美波は、私のものなんだから、誰にも渡さない。」
絢子が言うと、不気味なハミングが再び始まった。
(・・・・・・・・まずい、ポルターガイストなんか始まったら、大変な事になる。病院だって吹っ飛ぶんだから、アパートなんか、木っ端微塵になるかも・・・・・・。笑えない・・・・・・・・)
敦は、脂汗が流れ始めるのを感じた。
「いい加減にしろ!」
智が叫んだ瞬間、ハミングは止まり、部屋の中が静まり返った。
「その体は、美波のものだ。」
智は言うと、絢子の肩を掴んだ。
「美波に体を返すんだ。」
瞬間、絢子は雷に打たれたような衝撃を感じて、意識を失った。
その場に倒れこむ美波を敦が抱きとめた。
「敦、どうなってるんだ?」
問いかける智を見ながら、敦は有紀子の言葉を思い出した。
(・・・・・・・・すごい。智は、おばさんが言ってたとおり、美波の力を抑えることができる神官の一族なんだ・・・・・・・・)
「変な目で見るなよ。」
智は言うと、美波をベッドに寝かせるように、敦に目で合図した。
智のベッドに美波を寝かせると、敦は智のところに戻ってきた。
「お前って、すごいよ。」
敦は言うと、智の事をみつめた。
「それより、本当のことを話してくれ。」
智の言葉に、敦はかいつまんで今までの出来事を話し始めた。しかし、美波の力の事に触れたくなかった敦は、絢子が美波と同じ体に存在すると説明する代わりに、美波が二重人格化してしまったようだと説明した。
「そうか。多重人格だと、声や話し方も完全に変わってしまうって読んだ事がある。」
智は言うと、美波の事を見つめた。
「小さい頃に、虐待された経験なんかが、大人になって多重人格を形成する場合もあるし。確かに、美波みたいに絢子さんに依存していたら、絢子さんの死を認識した瞬間から、自分の中に絢子さんという人格を作り出す事も可能だと思う。よく知っている相手だけに、簡単に形成できてしまうのかもしれない。」
そう言う智の眼差しは、愛情に満ちたものだった。
「まあ、美波の話から推察すると、絢子さんが俺の存在を認めてくれる日は遠いだろうな。」
智は言うと、肩をすくめて見せた。
「婚約、解消するのか?」
敦の問いに、智は頭を横に振って見せた。
「なんとなく、ますます美波が好きになった気がする。それに、美波には、絶対に俺が必要だって感じるんだ。」
智の言葉に、敦は心の中で舌を出した。
(・・・・・・・・お前には、絶対、力のことは教えてやらない。これは、おばさんと、絢子ちゃんと、美波と俺だけの秘密にしてやる・・・・・・・・)
「おばさん、安心すると思う。」
敦は何事もなかったような顔をすると、そう言ってのけた。
「電話借りるぞ。」
敦は言うと、有紀子に電話で美波が眠ってしまった事を告げた。電話の向こうの有紀子は、心配そうな様子だったが、敦は安心するようにと告げて電話を切った。
「美波が起きたら、つれて帰るよ。」
敦が言うと、智はクローゼットの中から、来客用の布団を一式取り出してきた。
「智、先に言っておくが、俺の目の届く場所で、結婚前の美波と同衾する事は許さないからな。」
敦は言うと、智に布団を譲って見せた。
「ちょっと待て。俺も言わせて貰うが、俺の婚約者が寝ている、俺のベッドに近づかないで貰いたい。」
智は言うと、敦の足と自分の足を紐で結んで見せた。
「美波が起きるまでの辛抱だ。諦めて、一緒の布団で寝てもらおう。」
智の茶目っ気たっぷりの様子に、敦は諦めると、枕を並べて智と横になった。
「明日が、いい日だといいな。」
智が言うと、敦も相槌を打った。
「寒いな。」
敦の言葉に、二人は諦めると、背中をくっつけるようにして、小さな布団に体を包み込んだ。
「美波!」
慌てた智は、バスタオルを巻いたままの姿で、玄関のドアーを開けた。
「美波。」
智が声をかけると、美波は声を潜めて泣いていた。
「美波、外は寒いから中に・・・・・・。」
智は言いながら、美波の腕に手をかけた。
「放っておいて。女の人が来てるんでしょ。」
美波は言うと、智の腕を振り払った。
「誰もいないよ。ただ散らかしてるだけだよ。」
智は言うと、美波を支えるようにして立ち上がらせた。
「第一、誰か部屋にいるなら、こんな格好でドアーを開けたりしないよ。」
智は言いながら、改めて部屋の中を見つめた。
確かに、二つカップの並んだテーブルや、脱ぎ捨てられた衣服、丸まった布団の作り出す芸術的な陰は、驚くほど効果的な疑惑の温床になったようだった。
智は初冬の風に震えながら、美波を部屋の中に入らせた。
「なんだか、お勧めできる格好じゃないな。」
智は言うと、几帳面に間仕切りを直しながら、ベッドルームに入って行った。
「すぐ行くから。」
智は言うと、手早く着替え、ベッドを平らに戻した。
「お待たせ。」
智は言いながら、部屋の間仕切りを全開にした。
「念のため、僕の名誉のために言っておくけど。誰も連れ込んだりしてないから。疑うんなら、風呂場とトイレも見に行って良いよ。」
そう言うと、智はバスルームの方を指差して見せた。
「いいの、別に。」
美波は言うと、激しくなる頭痛に、左手でこめかみを押さえた。
「座って、お茶を入れるから。」
美波の為に椅子を引くと、智はすぐにお茶を煎れはじめた。
「携帯、出ないのね。」
美波は言うと、ゴミ箱に捨てられている携帯電話に目を留めた。
「そんな事ないよ。」
智は言いながら、美波の視線の先にあるゴミ箱に目をやった。
携帯電話は、帰宅時の一時の感情で放り投げられたまま、まだゴミ箱の中に入っていた。
「最近、鳴らないから。時々、どこにあるか忘れちゃうんだ。」
智はごまかすように言うと、慌てて携帯を拾い上げた。画面には、不在着信の回数が表示されていた。
「家の電話も鳴らしたのよ。」
美波の言葉に、智はシャワーの時に聞こえた音が、電話のベルだった事を確信した。
「お風呂に入ってて聞こえなかったんだと思う。何か、鳴ったような気はしたんだけど。」
智は言いながら、美波の前に湯飲みを置いた。
激しくなり続ける頭痛に、美波は右手でも、こめかみを押さえ始めた。
「こんな遅くから、ごめんなさい。」
美波は言うと、必死に笑顔を作って見せた。
一時的に、こめかみから離した手は、痛む場所に戻りたがって、空を泳いでいるようだった。
「ブラック・ティーを贈ってくれたでしょ。そのお礼を言いに来たの。」
美波は言うと、再び左手でこめかみを押さえ始めた。
「今日は記念日だから。」
智は言うと、そのまま言葉を飲み込んだ。
(・・・・・・・・美波が婚約解消の話を知らないはずはない・・・・・・・・)
そう考えると、智は続ける言葉が見つからなかった。
「ママから聞いたの。智、婚約、解消したいんですって?」
美波は言うと、智の目を見つめた。
(・・・・・・・・美波と別れたくない。でも、そんな都合のいいこと、いまさら言えない。美波が口にした、哲って名前を勝手に誤解したのは、俺なのに・・・・・・・・)
智は、美波の緑色の瞳に、吸い込まれそうになるのを感じた。
智の想いが流れ込んでくると、美波は再び両手でこめかみを押さえた。
(・・・・・・・・頭が痛い。このままじゃ、意識を失って、ティンクにスイッチングしちゃう・・・・・・・・)
美波は、必死に痛みを堪えた。
「よく覚えてないんだけど、私、夛々木君に逢いたいって、言ったんでしょう。」
美波の言葉に、智は呼吸が止まりそうになった。
「ティンクの恋人なの。」
美波が言うと、智は無言で頷いた。
「どうしても、智に話しておきたい事があるの。」
美波は言いながら、右手をこめかみから離した。
「ティンク、生きていたわ。最後に会えたの。でもね、それ以来、私とティンクがごちゃごちゃになっちゃって、なぜかわからないんだけど、すごく夛々木君に、哲君に会いたかったの。」
美波の言葉に、智は美波の事をみつめた。
「変でしょ。だから、智が婚約解消したいって言うの、仕方ないと思うの。」
そう言う美波の瞳が、涙で潤み始め、美波は智に背を向けた。
「もう、もう何も言わなくていい。美波。」
智は言うと、背中から美波の事を抱きしめた。
「俺が悪かったんだ。あの時、どうかしてたんだ。やっと口をきいた美波が、他の男の名前を口にしたから、悔しくって、嫉妬して、どうかしてたんだ。」
智の言葉に、美波はこめかみを押さえる手を離し、智の腕に触れた。
その瞬間、美波は絢子の声を聞いた。
『美波から手を離せ!』
割れるような頭の痛みに、美波は意識が遠くなりそうになるのを感じた。
(・・・・・・・・いけない、このままじゃ。敦を呼ばなきゃ・・・・・・・・)
美波は、ポケットから携帯電話を取り出すと、必死に敦の携帯を呼び出した。
「美波から手を離せ。」
薄れ行く意識の中で、美波はもう一人の自分、絢子の言葉を聞いた。
(・・・・・・・・敦、助けて・・・・・・・・)
美波は意識を失った。
「美波から手を離せ。」
空耳かと思った智は、はっきりと腕の中の美波が言うのを耳にした。
「美波?」
智は怪訝な声を出して呼ぶと、美波の顔を覗き込んだ。
どことなく、何かが美波と違っていた。
「美波?」
もう一度、智が言うと、美波は智の腕を払いのけた。
「手を離せと言ってるんだよ。」
美波の態度の変化に、智は呆然として美波の事を見つめた。
「部屋に連れ込んで、美波に何をするつもりだったんだよ。」
話し方も、声のトーンも違ったが、美波の口から発せられている事に間違いはなかった。
「美波じゃない。君は、誰だ?」
智は言うと、一歩下がって美波の事を見つめた。
「美波には、指一本触らせない。」
美波の言葉に、部屋の中で異様なハミング音が始まったのと、敦がドアーを破るようにして部屋に入ってきたのは、殆ど同時の出来事だった。
「絢子ちゃん、やめるんだ。」
敦は叫ぶなり、美波の事を抱き寄せた。
「美波が悲しむような事はやめるんだ。絢子ちゃん。」
敦が耳元でささやくと、絢子は仕方なく力を収めた。それに従い、智の部屋に響いていた、不気味なハミング音も静まっていった。
何が起こったのか解からない智は、敦と美波の事を交互に見比べた。
「敦、いま、なんて美波を呼んだ?」
智の言葉に、敦は絢子を抱きしめる手を解いた。
「智、紹介しよう。美波の親友の絢子ちゃんだ。」
智は、敦のことを訝しげな瞳で見つめた。
「絢子ちゃん、美波の婚約者の智だ。絢子ちゃんが、病院で智に、哲君に逢いたいって言ったせいで、智と美波の間はこじれてるんだから、これ以上、こじれさせないでくれ。」
敦が言うと、絢子は挑戦的な目で敦の事を見つめた。
「美波は、もっのすごく純情で、一途なんだよ。婚約してるくせに、美波が他の男の名前を口にしたくらいで、婚約破棄だの解消だのって言う男に、美波を任せられるわけないじゃないか。」
攻撃的でありながら、要点をついた絢子の反論に、敦は返す言葉がなかった。
「美波を返してくれ。」
智は言うと、美波、いや絢子を見つめた。
「君が誰だってかまわない。俺の美波を返してくれ。」
智の言葉に、絢子は眉を吊り上げた。
「美波は、私のものなんだから、誰にも渡さない。」
絢子が言うと、不気味なハミングが再び始まった。
(・・・・・・・・まずい、ポルターガイストなんか始まったら、大変な事になる。病院だって吹っ飛ぶんだから、アパートなんか、木っ端微塵になるかも・・・・・・。笑えない・・・・・・・・)
敦は、脂汗が流れ始めるのを感じた。
「いい加減にしろ!」
智が叫んだ瞬間、ハミングは止まり、部屋の中が静まり返った。
「その体は、美波のものだ。」
智は言うと、絢子の肩を掴んだ。
「美波に体を返すんだ。」
瞬間、絢子は雷に打たれたような衝撃を感じて、意識を失った。
その場に倒れこむ美波を敦が抱きとめた。
「敦、どうなってるんだ?」
問いかける智を見ながら、敦は有紀子の言葉を思い出した。
(・・・・・・・・すごい。智は、おばさんが言ってたとおり、美波の力を抑えることができる神官の一族なんだ・・・・・・・・)
「変な目で見るなよ。」
智は言うと、美波をベッドに寝かせるように、敦に目で合図した。
智のベッドに美波を寝かせると、敦は智のところに戻ってきた。
「お前って、すごいよ。」
敦は言うと、智の事をみつめた。
「それより、本当のことを話してくれ。」
智の言葉に、敦はかいつまんで今までの出来事を話し始めた。しかし、美波の力の事に触れたくなかった敦は、絢子が美波と同じ体に存在すると説明する代わりに、美波が二重人格化してしまったようだと説明した。
「そうか。多重人格だと、声や話し方も完全に変わってしまうって読んだ事がある。」
智は言うと、美波の事を見つめた。
「小さい頃に、虐待された経験なんかが、大人になって多重人格を形成する場合もあるし。確かに、美波みたいに絢子さんに依存していたら、絢子さんの死を認識した瞬間から、自分の中に絢子さんという人格を作り出す事も可能だと思う。よく知っている相手だけに、簡単に形成できてしまうのかもしれない。」
そう言う智の眼差しは、愛情に満ちたものだった。
「まあ、美波の話から推察すると、絢子さんが俺の存在を認めてくれる日は遠いだろうな。」
智は言うと、肩をすくめて見せた。
「婚約、解消するのか?」
敦の問いに、智は頭を横に振って見せた。
「なんとなく、ますます美波が好きになった気がする。それに、美波には、絶対に俺が必要だって感じるんだ。」
智の言葉に、敦は心の中で舌を出した。
(・・・・・・・・お前には、絶対、力のことは教えてやらない。これは、おばさんと、絢子ちゃんと、美波と俺だけの秘密にしてやる・・・・・・・・)
「おばさん、安心すると思う。」
敦は何事もなかったような顔をすると、そう言ってのけた。
「電話借りるぞ。」
敦は言うと、有紀子に電話で美波が眠ってしまった事を告げた。電話の向こうの有紀子は、心配そうな様子だったが、敦は安心するようにと告げて電話を切った。
「美波が起きたら、つれて帰るよ。」
敦が言うと、智はクローゼットの中から、来客用の布団を一式取り出してきた。
「智、先に言っておくが、俺の目の届く場所で、結婚前の美波と同衾する事は許さないからな。」
敦は言うと、智に布団を譲って見せた。
「ちょっと待て。俺も言わせて貰うが、俺の婚約者が寝ている、俺のベッドに近づかないで貰いたい。」
智は言うと、敦の足と自分の足を紐で結んで見せた。
「美波が起きるまでの辛抱だ。諦めて、一緒の布団で寝てもらおう。」
智の茶目っ気たっぷりの様子に、敦は諦めると、枕を並べて智と横になった。
「明日が、いい日だといいな。」
智が言うと、敦も相槌を打った。
「寒いな。」
敦の言葉に、二人は諦めると、背中をくっつけるようにして、小さな布団に体を包み込んだ。