MAZE ~迷路~
二人は、お弁当を食べ終わってからも、しばらく食後のお茶を飲んでくつろいだ。
「絢子、最近、元気ないな。やっぱり、美波ちゃんいないと寂しい?」
哲は、ちらりと時計に目を走らせながら、カップを片手に問いかけた。
二人を結び付けてくれたキューピットでもある、絢子の親友の美波が留学してから、絢子は二人でいるときも、どこか沈みがちに見えた。
「まあね。でも、ほら、私と美波は一心同体だから。離れても、いつも一緒なのよ。ただ、せっかく哲と出かけられても、こうやって時間ばっかり気にしてるの嫌なの。」
絢子の言葉に、哲はため息をついた。
「俺も、絢子とゆっくり過ごしたい。このままじゃ、結婚だって、絶対に許してもらえないだろ。俺は、絶対に諦めるつもりないけど。俺とじゃ、一緒になっても苦労ばっかりだと思う。それを考えると、絢子には、親父さんが言うような相手の方が、本当は良いんじゃないかって、思うこともあるんだ。」
哲の言葉に、絢子は頭を横に振って見せた。
「そんな事ない。わたし、お父さんの好きにされるのなんていや。」
驚くほどの拒絶反応に、哲の方が驚いたほどだった。
「絢子、ごめん。」
「あのね、哲。わたし、お父さんが哲とのこと反対するなら、家を出るつもりなの。それは、いままで育ててくれて、とっても恩を感じてるけど。でも、私の本当のお父さんだったら、あんな事しないって分かるから、だから、だから・・・・・・。」
絢子は言ってから、慌てて口を閉じた。
「そうだったのか。・・・・・・絢子、いままで言わなかったけど、家族と血がつながってないんだ。」
哲は、納得したように頷いた。
「ごめんなさい。家の外では、その事は絶対に人に言っちゃいけないって言われてて、美波にしか言ってないの。」
絢子は言うと、俯いた。
「ありがとう。話してくれて。」
哲は言うと、絢子の頬に触れた。
「食べすぎかな、なんだか眠くなっちゃった。」
ムードを壊す絢子の言葉に、哲も頷いた。
「そうだな、少し仮眠して、起きたら飛ばして帰ろう。」
哲としては、門限を破った時にどんな罰を絢子が受けるのか、どんな扱いを家で受けているのか、血がつながっていないとわかった今では、もっと話をしなくてはいけない事がいっぱいあると分かっていたが、目を閉じても頭が回るような眠気が襲い、哲から言葉を奪っていった。
「おやすみなさい。」
絢子は言うと、哲の肩にもたれかかりながら眠りに落ちていった。
「おやすみ、時計をかけておかなきゃ・・・・・・・・。」
そう言いながら、哲は意識を失った。
☆☆☆
耳障りな電子音のリズムは、明らかに哲の吐き気を増進させているように感じたし、まぶた越しに感じるまぶしいライトも異様だった。
(・・・・・・・・このライト、対向車? そんなわけないよな、いま何時だ? 絢子を家まで送らなきゃならないのに・・・・・・・・)
『血圧、脈拍共に正常範囲内に戻りました。』
聞き覚えのない声に、哲は驚いて目を開けた。
(・・・・・・・・ここはどこだ? 俺の隣には絢子がいたはず・・・・・・・・)
『意識が戻りました。』
マスクの向こうから聞こえるくぐもった声に、哲は慌てて上体を起こそうとした。
「落ち着いて、ここは緊急処置室です。」
男性とも、女性とも判別のつかない声に押し戻され、哲は横になったものの、すぐに激しい吐き気を感じ、体を曲げながら胃の中の残留物を吐き出した。
☆☆☆
「検察側の主張と、被告側の申し立ては完全に食い違っていた。」
敦の言葉に、智は真意を掴み損ねていた。
「検察は、目撃証言を含め、被告が絢子ちゃんを崖から突き落とし、睡眠薬自殺を図ろうとしていた。つまり、無理心中だって主張した。しかし、被告は食事をして眠くなり、先に寝たのは絢子ちゃんで、目が醒めたら病院だった。そう言ってる。」
「遺体は?」
智は、初めて問いかけた。
「上がらなかった。崖は外海に面してて流れが速く、靴が片方、途中に引っかかってただけで、検察側も確たる証拠はなかった。」
「睡眠薬の入手経路は?」
「被告の父親がかつて処方を受けていたのと同じタイプの睡眠薬だった。」
「食べ物を用意したのは、彼女の方じゃ?」
智の問いに、敦は頷いて見せた。
「何もかも、つじつまが合わないし、変なとこだけ、ぴったり合いすぎる。ただ、被告が自殺した事で、なにもかも闇に葬り去られたって事だな。」
「ところで、何で美波に内緒にしてるんだ?」
智は納得がいかず、問いただした。
「まず、俺たちは、美波には絢子ちゃんは事件に巻き込まれたと伝えた。ただ、死体が見つかってない事は触れてない。実は、事件の直後から、カルト教団に誘拐されたとか、彼女が養女だった事から、義兄と関係があったとか、養父の愛人だったとか、くだらない事が週刊誌に書きたてられてた。中には、絢子ちゃんが妊娠してたとか、実は生きているとか、そういった類の報道が多く、俺は目に付きそうな全ての報道記事を処分した。雑誌類は、絢子ちゃんの父親も買い占めていたようだし。家で買占めたぶんは大してない。」
敦の言葉に、智は美波の言っていた『ページが切り取られている』という点を思い出した。
「あっちの家は、美波が殺人犯を絢子ちゃんに紹介したって、すごい剣幕でね。葬儀のことも知らせてくれなかったし、墓地の場所すら教えてくれない。それで、おばさんから、美波には絢子ちゃんが死んだってこと以外、何も知らせないでくれって。ただ、事故で亡くなったって。その時、相手の男も死んだって伝えてくれって頼まれた。」
智の脳裏に、うなされている美波の姿が蘇った。
(・・・・・・・・事実を知らない美波は、それでもあんなに苦しんでる。事実を知ったら、苦しみから解放されるわけじゃない。今度は、新しい苦しみに襲われるだけだ・・・・・・・・)
智には、どちらが美波にとって一番なのか、決断することは出来なかった。
「美波、なにか言ったのか?」
敦の問いに、智は頷いて見せた。
「この間の温泉旅行、一晩に二回もうなされて、ずっと『ティンク』って名前を口にしてた。でも、起きてからその事を話しても、『死んだの』って答えるだけで、うなされる理由が分からなかった。だから、敦なら知ってるだろうって。そう思って、美波に聞かれないように二人で会いたいって言ったわけ。」
智が言うと、敦は大きなため息をついた。
「事実の大半を隠していることによって、やっぱり美波は苦しんでるのか。でも、これが美波にとって一番だと、俺たちは決めたんだ。」
敦の言葉に、智は何も言わずに目を閉じた。
「美波の友達が、絢子ちゃんを殺したということを隠し通すって・・・・・・。」
追い討ちをかけるような敦の言葉に、智はなんと返事をして良いのかわからなかった。
智が美波と約束した事は、いままでの美波の家族、敦達のすべての努力を無駄にしてしまうような行為だった。
「俺も、実はずっと悩んでた。美波も真実を知っても良い頃ではないかって。でも、俺は美波を護りたい。美波は、絢子ちゃんが亡くなった後、ものすごい欝状態で、おばさんが看病しにイギリスに行っていた事もあった。だから、美波をあんな病気の状態に戻したくないんだ。だから、『亡くなった』って言う事実が、美波をあそこまで追い詰めるとしたら、『殺された』という事実は絶対に隠しておきたい。智も分かってくれるよな?」
敦の言葉が、智の胸に突き刺さった。
智が美波と出会った頃の敦は、神経過敏なほど美波の事を心配していた。トイレに立って帰ってこないといっては様子を見に行き、食欲がないといっては心配し、ほとんど一人ではどこにも出かけさせなかった。
そんな様子に、智は箱入り純粋培養のお嬢様というイメージを美波に持ったほどだった。しかし、実際の美波は、確かにお嬢様ではあったが、さすがに海外で一人暮らしをしていただけあり、しっかりとした自分の意見をはっきり言う女性だった。
控えめさと、自分らしさの融合した美波に、智は強烈に惹きつけられ、気がついたときには恋に堕ちていた。
自分が美波に想いを抱くという事が、親友である敦に対する裏切り行為であることは分かっていたが、それでも智は自分の思いを抑えることは出来なかった。
☆☆☆
「絢子、最近、元気ないな。やっぱり、美波ちゃんいないと寂しい?」
哲は、ちらりと時計に目を走らせながら、カップを片手に問いかけた。
二人を結び付けてくれたキューピットでもある、絢子の親友の美波が留学してから、絢子は二人でいるときも、どこか沈みがちに見えた。
「まあね。でも、ほら、私と美波は一心同体だから。離れても、いつも一緒なのよ。ただ、せっかく哲と出かけられても、こうやって時間ばっかり気にしてるの嫌なの。」
絢子の言葉に、哲はため息をついた。
「俺も、絢子とゆっくり過ごしたい。このままじゃ、結婚だって、絶対に許してもらえないだろ。俺は、絶対に諦めるつもりないけど。俺とじゃ、一緒になっても苦労ばっかりだと思う。それを考えると、絢子には、親父さんが言うような相手の方が、本当は良いんじゃないかって、思うこともあるんだ。」
哲の言葉に、絢子は頭を横に振って見せた。
「そんな事ない。わたし、お父さんの好きにされるのなんていや。」
驚くほどの拒絶反応に、哲の方が驚いたほどだった。
「絢子、ごめん。」
「あのね、哲。わたし、お父さんが哲とのこと反対するなら、家を出るつもりなの。それは、いままで育ててくれて、とっても恩を感じてるけど。でも、私の本当のお父さんだったら、あんな事しないって分かるから、だから、だから・・・・・・。」
絢子は言ってから、慌てて口を閉じた。
「そうだったのか。・・・・・・絢子、いままで言わなかったけど、家族と血がつながってないんだ。」
哲は、納得したように頷いた。
「ごめんなさい。家の外では、その事は絶対に人に言っちゃいけないって言われてて、美波にしか言ってないの。」
絢子は言うと、俯いた。
「ありがとう。話してくれて。」
哲は言うと、絢子の頬に触れた。
「食べすぎかな、なんだか眠くなっちゃった。」
ムードを壊す絢子の言葉に、哲も頷いた。
「そうだな、少し仮眠して、起きたら飛ばして帰ろう。」
哲としては、門限を破った時にどんな罰を絢子が受けるのか、どんな扱いを家で受けているのか、血がつながっていないとわかった今では、もっと話をしなくてはいけない事がいっぱいあると分かっていたが、目を閉じても頭が回るような眠気が襲い、哲から言葉を奪っていった。
「おやすみなさい。」
絢子は言うと、哲の肩にもたれかかりながら眠りに落ちていった。
「おやすみ、時計をかけておかなきゃ・・・・・・・・。」
そう言いながら、哲は意識を失った。
☆☆☆
耳障りな電子音のリズムは、明らかに哲の吐き気を増進させているように感じたし、まぶた越しに感じるまぶしいライトも異様だった。
(・・・・・・・・このライト、対向車? そんなわけないよな、いま何時だ? 絢子を家まで送らなきゃならないのに・・・・・・・・)
『血圧、脈拍共に正常範囲内に戻りました。』
聞き覚えのない声に、哲は驚いて目を開けた。
(・・・・・・・・ここはどこだ? 俺の隣には絢子がいたはず・・・・・・・・)
『意識が戻りました。』
マスクの向こうから聞こえるくぐもった声に、哲は慌てて上体を起こそうとした。
「落ち着いて、ここは緊急処置室です。」
男性とも、女性とも判別のつかない声に押し戻され、哲は横になったものの、すぐに激しい吐き気を感じ、体を曲げながら胃の中の残留物を吐き出した。
☆☆☆
「検察側の主張と、被告側の申し立ては完全に食い違っていた。」
敦の言葉に、智は真意を掴み損ねていた。
「検察は、目撃証言を含め、被告が絢子ちゃんを崖から突き落とし、睡眠薬自殺を図ろうとしていた。つまり、無理心中だって主張した。しかし、被告は食事をして眠くなり、先に寝たのは絢子ちゃんで、目が醒めたら病院だった。そう言ってる。」
「遺体は?」
智は、初めて問いかけた。
「上がらなかった。崖は外海に面してて流れが速く、靴が片方、途中に引っかかってただけで、検察側も確たる証拠はなかった。」
「睡眠薬の入手経路は?」
「被告の父親がかつて処方を受けていたのと同じタイプの睡眠薬だった。」
「食べ物を用意したのは、彼女の方じゃ?」
智の問いに、敦は頷いて見せた。
「何もかも、つじつまが合わないし、変なとこだけ、ぴったり合いすぎる。ただ、被告が自殺した事で、なにもかも闇に葬り去られたって事だな。」
「ところで、何で美波に内緒にしてるんだ?」
智は納得がいかず、問いただした。
「まず、俺たちは、美波には絢子ちゃんは事件に巻き込まれたと伝えた。ただ、死体が見つかってない事は触れてない。実は、事件の直後から、カルト教団に誘拐されたとか、彼女が養女だった事から、義兄と関係があったとか、養父の愛人だったとか、くだらない事が週刊誌に書きたてられてた。中には、絢子ちゃんが妊娠してたとか、実は生きているとか、そういった類の報道が多く、俺は目に付きそうな全ての報道記事を処分した。雑誌類は、絢子ちゃんの父親も買い占めていたようだし。家で買占めたぶんは大してない。」
敦の言葉に、智は美波の言っていた『ページが切り取られている』という点を思い出した。
「あっちの家は、美波が殺人犯を絢子ちゃんに紹介したって、すごい剣幕でね。葬儀のことも知らせてくれなかったし、墓地の場所すら教えてくれない。それで、おばさんから、美波には絢子ちゃんが死んだってこと以外、何も知らせないでくれって。ただ、事故で亡くなったって。その時、相手の男も死んだって伝えてくれって頼まれた。」
智の脳裏に、うなされている美波の姿が蘇った。
(・・・・・・・・事実を知らない美波は、それでもあんなに苦しんでる。事実を知ったら、苦しみから解放されるわけじゃない。今度は、新しい苦しみに襲われるだけだ・・・・・・・・)
智には、どちらが美波にとって一番なのか、決断することは出来なかった。
「美波、なにか言ったのか?」
敦の問いに、智は頷いて見せた。
「この間の温泉旅行、一晩に二回もうなされて、ずっと『ティンク』って名前を口にしてた。でも、起きてからその事を話しても、『死んだの』って答えるだけで、うなされる理由が分からなかった。だから、敦なら知ってるだろうって。そう思って、美波に聞かれないように二人で会いたいって言ったわけ。」
智が言うと、敦は大きなため息をついた。
「事実の大半を隠していることによって、やっぱり美波は苦しんでるのか。でも、これが美波にとって一番だと、俺たちは決めたんだ。」
敦の言葉に、智は何も言わずに目を閉じた。
「美波の友達が、絢子ちゃんを殺したということを隠し通すって・・・・・・。」
追い討ちをかけるような敦の言葉に、智はなんと返事をして良いのかわからなかった。
智が美波と約束した事は、いままでの美波の家族、敦達のすべての努力を無駄にしてしまうような行為だった。
「俺も、実はずっと悩んでた。美波も真実を知っても良い頃ではないかって。でも、俺は美波を護りたい。美波は、絢子ちゃんが亡くなった後、ものすごい欝状態で、おばさんが看病しにイギリスに行っていた事もあった。だから、美波をあんな病気の状態に戻したくないんだ。だから、『亡くなった』って言う事実が、美波をあそこまで追い詰めるとしたら、『殺された』という事実は絶対に隠しておきたい。智も分かってくれるよな?」
敦の言葉が、智の胸に突き刺さった。
智が美波と出会った頃の敦は、神経過敏なほど美波の事を心配していた。トイレに立って帰ってこないといっては様子を見に行き、食欲がないといっては心配し、ほとんど一人ではどこにも出かけさせなかった。
そんな様子に、智は箱入り純粋培養のお嬢様というイメージを美波に持ったほどだった。しかし、実際の美波は、確かにお嬢様ではあったが、さすがに海外で一人暮らしをしていただけあり、しっかりとした自分の意見をはっきり言う女性だった。
控えめさと、自分らしさの融合した美波に、智は強烈に惹きつけられ、気がついたときには恋に堕ちていた。
自分が美波に想いを抱くという事が、親友である敦に対する裏切り行為であることは分かっていたが、それでも智は自分の思いを抑えることは出来なかった。
☆☆☆