英雄は愛のしらべをご所望である
固まること数秒ーー我に返ったセシリアは、パタパタと忙しく顔の前で手を振る。
「か、からかわないでください」
シルバは貴族だ。この前、ラルドが伯爵家のパーティーに呼ばれた際にも目にしたが、貴族社会は美しい女性がたくさんいる世界で、シルバはそこで生きてきた人間である。
肯定の言葉を素直に受け入れるタイプのセシリアでも、そこまで図々しいつもりはなかった。
だが、シルバはそんなことお構い無しにセシリアの手をとると、ドロドロに甘い微笑みを浮かべてくる。
「セシリアさんをからかってどうするの? 俺、本気で言ってるんだけど」
免疫がなさすぎて、セシリアは手をとられた状態のまま、ぱくぱくと口を動かすことしかできなかった。
「セシリアさんの気持ちはわかってるつもりだし、困らせたくはなかったんだけど……ごめんね。あまりにも無防備に見つめてくるから言わずにはいられなくて」
「あ、や、いえ……なんか、すみません?」
何に対して謝っているのかもわからない。セシリアの意識は、温かい己の手とシルバとの往復で一杯一杯だった。
だから気づかなかったのだ。
「あ……」と目の前のシルバが驚いた様子を見せ、セシリアの背後に視線を向ける。
反射的に振り向いたセシリアは、目を見開いたまま動きを止めた。
「来たんだね」
シルバの言葉がセシリアの頭の中で木霊する。
セシリアの瞳に写り込んだのは、店のドアを開けたまま、感情の読めぬ表情でこちらを見つめている私服姿のウィルだった。