英雄は愛のしらべをご所望である
セシリアがラルドの弟子となって約一年。それまでは元ハープ奏者であった母がセシリアの先生代りだった。

そのためセシリアのハープ演奏の実力は、実は高い。これはラルドのお墨付きをもらうくらいである。
ただ、演奏に合わせて歌うとなると、まだ人前に出せない、というのがラルドの結論だ。


「いや、そんな……私は無理です」


セシリアも自分の実力が足りないのを十分理解していたので、体の前で大きく手を振り、大袈裟なほどのリアクションで拒絶した。
百歩譲って演奏するのはいい。けれど、ラルドの演奏を望む客相手に歌まで披露する勇気はなかった。

しかし、男がセシリアの複雑な心情を把握できるはずもなく、期待のこもった眼差しをセシリアに向けてくる。


「どうしても『英雄の唄』が聞きたいんだ。最近じゃ、歌っている人も減っているんだろう?」


確かに男の言う通り、最近では『英雄の唄』を歌う者が減っている。
物語などにもなっているほど有名な話ではあるのだが、百二十年前の出来事であるが故か、今では皆が知っている昔話のような位置付けになりつつあった。

英雄の唄も親から聞かされたり、学校で学んだりして知る程度で、歌い手も敢えて選曲することは少ない。
今、再び英雄の唄に注目が集まっている理由はウィルの登場だろう、とセシリアも薄々気がついていた。


「それでしたら、明日以降、お店にお立ち寄りください」
「それができないから頼んでるんだ。そう何度もチャンスはない。だから頼むよ」


そう言って男は塀の上に足をかけ、よじ登ってくる。
このまま裏庭に入り込まれたらさすがに不味い、とセシリアが身構えた時、男の体がスローモーションのようにふわりと後方へ倒れていった。
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