不器用な僕たちの恋愛事情
前方に一際高い後ろ姿を見つけた。地下鉄の通用階段の前。
「みしまっっ!」
十玖は振り返った。美空に気が付いたのに、そのまま行こうとする。
「三嶋十玖っ!」
いい様、美空は十玖目がけてパンプスを投げつけた。見事頭にヒットして、弾かれたパンプスは車道に飛んでいき、空かさず車に踏み潰された。
「言い逃げするなっ!」
今度こそ十玖は振り返った。
「どうしてくれるのよ! 三嶋のせいであたしのパンプス即死じゃないっ」
指さした方向で、無残な姿を晒すパンプス。
見留めた十玖は、低木の垣根をひょいと飛び越えて、パンプスを拾って来た。
「ごめん。これじゃ履けないよね。弁償する」
「弁償なんていらないわよ。それより何なのさっきのはっ。しかもいい逃げするとかって、有り得ないんですけど!」
「ごめん。忘れてくれていいから」
「なに。なかった事にしたいわけ。みんなが見てる前であんな事言っといて、忘れてなんて都合よすぎんじゃないの?」
「迷惑でしょ」
「誰が迷惑だって言ったのよ。三嶋っていつも自己完結してない? なんで何も聞かないの? なんで何も言わないの? なんであたしをイラつかせるの? なのに、何であたしなの?」
一気に捲し立て、美空は俯いた。
イライラするとか言いながら、迷惑だなんて考えたことなかった。
今その先の言葉を望んでいる自分がいる。
「いっつも煮え切らない」
「ごめん」
「そんな言葉聞くために走ってきたんじゃないわよ!」
残ったパンプスをまた十玖に投げつける。胸元に力なく当たって落ちた。
十玖はパンプスを拾い、しゃがみ込んだまま手の中のパンプスを眺める。
「嫌われてると……思ってた。先輩に聞いて、勘違いだったって分かったけど、斉木が僕を好きになってくれる自信なんかなくて、振られる勇気もなくて、怖いものなんかないと思ってたのに、自分がこんなにヘタれだと思わなかった」
「それで?」
美空もしゃがみ込み、目線を十玖に合わせた。
視線が絡み、ふっと十玖が目を伏せる。数度、呼吸を整えて意を決した。
「斉木が、好きです」
「うん。ありがとう。でも……」
言い淀んだ美空に、悪い結末を想像した十玖が身を強ばらせる。
美空は、十玖に茶封筒を押し付けて、
「あたしと付き合うと、A・Dがもれなく付いて来るけど、覚悟ある?」
膝に頬杖をついた美空が、ニコリと笑う。
信じられないといった面持ちで、美空を見た。
「どうなの?」
「そんなの、決まってる。……嬉しくて、死にそう」
十玖は、膝に突っ伏し頭を抱える。耳まで真っ赤だ。
普段高いところにある十玖のつむじを見つけて、いたずら心が刺激される。突っつこうと指を伸ばした時、不意に十玖が顔を上げた。びっくりして、引っ込めかけた手を十玖が握る。
「やっぱ靴買いに行こう」
持って、と茶封筒を美空に預け、軽々と彼女をその腕に抱き上げた。
「み、三嶋っ!?」
思わず十玖の首に抱きついた。
「何で赤ちゃん抱っこ!?」
左腕でいとも容易く美空を抱え上げているが、片手では重くて普通持ち上げない。
「お姫様抱っこだと、スカートの中見えちゃうでしょ。その丈だと」
「そうだけど……ってか。重いから下ろして」
「靴ないのに裸足で歩かせたら、先輩にまた絡まれる。それってちょっとメンドくさい」
「……確かに」
それに、と言いかけた十玖。真っ赤な顔でへへと笑う。
「斉木を抱っこして歩けるなんて、夢じゃないんだなって思えて嬉しい」
「ばっ、バカじゃないの。明日、筋肉痛になっても知らないから」
「そしたらもっと実感湧くね」
何を言っても無駄のようである。十玖は美空を下ろす気がない。
周りの目が気になって、十玖の肩に顔を埋める。
「なによ。キャラ違うんじゃないの? 鉄仮面の無口な奴でしょ?」
「それでさっき怒られたよね、僕」
「そうなんだけどっ……変わりすぎ」
急に特別扱いされて、嬉しいやら恥ずかしいやらこそばゆいやら。
こんな事ならもっと早く、素直になっていれば良かったと思う。
美空を抱えてスタスタ歩いてく十玖の横顔を見た。視線に気がついて、微笑みかけてくれる。
彼女は首にしがみつき、照れた笑いを漏らした。
*
六月二週目の月曜日。
朝のホームルームで、亜々宮は自分の運の悪さを嘆いた。
時期はずれの転校生がやって来た。ニコニコと自己紹介をする転校生も、亜々宮に気が付いて苦い顔をした。
互いの生来の天敵がいる。
「なんであんたがここに居るのよ」
「こっちのセリフだ」
「亜々宮と同クラなんて、最悪すぎっ。先生、再出発にケチが付くのでクラス変えてください」
「珍しく同意見だ。お前みたいなトラブルメーカー、他所に行ってくれ」
なんの陰謀だ。
萌が戻ってきたというだけで、うんざりしているのに、同じクラスなんて陰謀としか思えない。
母 咲が、女の子至上主義で、萌を猫可愛がりしてるせいもあるが、家訓に女の子は自分を賭しても守れとある。それを破ろうものなら、咲の鉄拳制裁があり、子供心に破れないのを知りつつ、亜々宮に無体なことばかりしてきた従妹。
大好きな十玖には絶対やらないことを、亜々宮には当然のようにしてきた。
いつも泣きを見るのは自分だった。
「とーくちゃんの爪の垢でも煎じて飲んだ方がいいんじゃない」
「お前に言われたかない」
お互いにやぶ睨みして、教室に不穏な空気を撒き散らしている。
担任は、引つった顔で笑う。
「お前ら従兄妹だろ。仲良くしろな?」
そのセリフが二人の神経を逆撫でた。
ぎっ、と睨みつける二人に、担任は思わず尻込みしてしまうのだった。
昨日のライヴのSNSがあっという間に学校を席捲した。
朝から珍獣になった気分の十玖である。
十玖の席に美空、太一、苑子が集まって、一様に廊下に向かって観察眼を向けている。
廊下に鈴なりの生徒たちを掻き分けて、晴日がやって来た。
「すっげぇな」
「こーゆーの苦手なんですけど」
「諦めてくれ。俺と美空のために」
むせた十玖と美空に、ニヤッと笑う晴日。
「おやおやおや?」
「あれれれれ?」
ニヤニヤした太一と苑子が、二人の顔を交互に見ては吹き出しそうになっている。
「なにっ」
微妙な怒りを孕んだ十玖の声を、気にも止めない太一が肩を叩いた。
「このまま延々とこじらせてくのかと思ってたよ」
どうやらこの幼馴染みたちには、とっくにバレていたらしい。どちらにしろ、なまじ付き合いが長い分、この二人に隠し事が通用するとは思えない。
「十玖のくせに頑張ったわよね。美空ちゃんの事もA・Dの事も」
「はいはい。僕のくせに頑張ったよ。だからもぉ放っといてよ」
「はぁい。あまり十玖に構い過ぎたら、美空ちゃん可哀想だもんね」
話を振られて、美空が吃る。
「苑子。斉木までからかわないで」
「なあ十玖。俺も斉木なんだけど」
「そう…ですね。そう言えば」
あまり深く考えてなかったが、二人が一緒の時、先輩を呼び捨てにしているようなもんだ。
言われてみて困った。美空の名前を呼び捨てなんて、昨日の今日でハードルが高い。
(ちゃん? さん?)
腕を組んで考えてる十玖に、「そう言えばさ」と晴日が話を変えてきた。
「家族の了承は?」
「先輩と一緒だから心配もしてなかったですよ」
そう言って、昨日の茶封筒をカバンの中から取り出し、晴日に渡す。晴日は書類に不備がないか確認して、封筒に戻した。
「筒井マネに渡しとく。それでだけど、互いの呼び方はケント、リュウ、ハル、トークで統一。早く慣れてくれよ」
「わかりました」
「えー、いいな。あたしだけ斉木なんて疎外感。あたしだってメンバーの仲間だよ」
首を傾げた苑子に、晴日が答える。
「A・Dのジャケットとか撮ってるの美空だよ。Coo(クー)って名前で」
「へえ。そんな特技があったんだね」
「あったんです。まだ、A・Dしか撮らせて貰えないけど、そっちに進みたいから。だから、あたしもトークって呼ぶし、トークもあたしをクーか美空って呼んで」
「えっ」
「なに。文句あるの?」
「ないです」
「はい。決定」
美空は、こんなに押しが強かったのか、と十玖たち幼馴染みトリオの相違ない見解である。
まあ晴日の妹だから、当然といえば言えなくもない。
廊下の生徒たちが、一人の教師によって蜘蛛の子を散らすように去って行く。この状況を聞き及んだ担任が、時間よりも早く教室に来たようだ。
「斉木晴日。江東太一。お前らも教室戻れぇ」
しっしっと名簿で追い払われ、不承不承、二人が出て行く。それを見届けたあと、担任は十玖を見据えた。
「三嶋。SNS凄かったなぁ。けど浮かれるなよ。A・Dの先輩二人は、バカそうに見えていつもトップ5入りだからな。お前も頑張れよ」
「努力します」
そしてまた新たなプレッシャーを課せられた。
高校に入ってから、プレッシャー続きだ。
今までいかに自分が安穏と暮らしてきたか、身にしみる。
けれど、プレッシャーもそんなに嫌いじゃない。
着席の声で、美空と苑子が席に戻って行く。振り返った美空のサムアップに、十玖はサムアップで返した。