不器用な僕たちの恋愛事情
3. 美空 VS 萌
六月二週目の月曜日。辺りはすっかり暗くなっていた。
美空を自宅まで送り届け、浮かれていた十玖は玄関の扉を開けて、一歩退いた。
仁王立ちの母 咲の姿がそこにあった。
いつから待っていたのだろう。
美空との時間が楽しくて、すっかり忘れていた。トラブルメーカーの存在を。
「ただいま」
「どういうことかしら?」
「なんの事?」
敢えてすっとぼける。
「萌ちゃんから泣いて電話があったんだけど。理由を聞いてもいいかしら?」
言いたくなくても言わせるじゃないか、心中で呟きながら、引き攣り気味の笑みを浮かべた。
萌がありのまま正直に話しているとは思っていない。
都合の良いことだけを掻い摘んで話しているはずだ。
「萌は何て?」
「迎えに行った萌ちゃんを無下にした挙句、晴くんに萌ちゃんを押し付けて逃げったって言ってたわよ。泣かしてまで逃げる理由はなんだったのかしら?」
取り敢えず、闇雲に怒らないで、理由を聞いてくれる咲に感謝する。亜々宮ならば間違いなく問答無用の一撃を食らっているところだ。それもひとえに今までの実績のお陰だろう。
ただこんなに早く美空の存在を明かさなければならない状況に、躊躇している。
なんとも気恥ずかしい。
言い淀んでいる息子の胸ぐらを掴む。
「ロクでもない理由だったら殺すわよ」
母はいつでも本気だ。
十玖は天井を眺め、ため息をついて観念した。
「萌が、彼女の前でいつもの“お嫁さん”発言をしたため、怒って走り去ったので、追いかけました」
咲にとって、息子の予想外の答え。茫然と遥か上にある十玖の顔を見上げる。
胸ぐらを掴む手を放し、ポンポンと胸を叩く。
「聞き違い?」
「なにが?」
「彼女って誰の?」
「僕のだけど」
「十玖に? ま~たまた。嘘や見栄だったら怒るわよ」
「相手は晴さんの妹だから、聞いてもらってもいいよ」
咲の前にスマホを突き出すと、しばらくスマホを眺め、再度十玖を見た。
「晴くんの妹。ならやっぱり日本人離れした美人? 写メないの?」
「苑子と一緒のヤツなら」
そう言って写真フォルダーを開くと、十玖から奪い取ってリビングに走って行く。
ここでようやく十玖は家に上がれた。
咲がリビングで奇声を発している。落ち着かせようとする父 晄(こう)の声。
構わず二階に上がろうとした十玖を咲が呼び止めたので、仕方なくリビングに顔を出す。
「父さんただいま」
「おかえり。えらい騒ぎだよ」
「そうだね」
言いながら晄の隣に腰掛ける。父の同情を含んだ手のひらが、十玖の背中を軽く叩いた。
「だって十玖に彼女なんて期待していなかったから。この先も間違いなく独りでいるんだろうと思ってたし、苑子ちゃんや太一くんはそれなりに構ってくれるだろうけど、孤独死するんじゃないかと心配してたのよ」
「僕はどれだけ可哀想設定なんですか?」
「いい? 絶対に逃すんじゃないわよ。こんな奇跡、二度とない」
やっぱり可哀想設定の様である。
咲は写メを見ながら、キャーキャー騒いでる。父はそんな母を見て苦笑していた。
「これで娘候補三人キープっ!」
「それ彼女に会っても言わないでよ。絶対引かれる」
「息子三人に何を望むってそれしかないでしょ。十玖が一番心配の種なんだから、気合入れて死守しなさいよ。いいわね!?」
付き合い始めたばかりで別れるもないけど、もし仮に別れでもしたら大変な事になるのは必至。
「肝に銘じます」
「で、いつ逢わせてくれる?」
満面の笑で応えを待つ咲に、なんと答えたものか。
思えば、天駆や亜々宮も速攻、彼女を家に連れて来させられていたではないか。
そこに例外はない。
「あ~、都合を聞いときます」
弄られるのが目に見えているから、正直連れて来たくない。
しかし咲の方が上手だ。乗り気じゃない息子を見抜いてる。
「都合を聞いとくなんて時間稼ぎするんじゃないわよ。はっきり決めなさい」
「腹くくったほうがいいと思うよ」
母の性格を把握しきった父の助言。
煮え切らない晄を押し切って結婚した話は、身内の間で知らないものはない。
また十玖自身がこの父によく似ている。
「スマホ貸して」
咲からスマホを受け取って、美空の番号に掛けると、間もなく出た。
出ちゃったよ、と声にならない声で呟いた息子の頭を小突く。
「ごめん、いま大丈夫? 実は……」
言ってる途中で咲がスマホを取り上げる。
「ちょっと母さん」
手を伸ばした十玖を叩き払いながら、にこやかに話始める。
「こんばんはぁ。十玖の母です。……やだ。緊張しないで美空ちゃん。実はさっき十玖に彼女ができたって聞いて、会いたいって言ってるのに渋るから、電話かけさせちゃったの。ごめんなさいねぇ。晴くんの妹さんなんですって? 写メ見せてもらったけど、美人さんよねぇ」
あの手この手と事実確認をしながら、言葉巧みに美空情報を聞き出す咲に、頭を抱え込んだ。
この母が本気になったら、詐欺師にもなれるんじゃないかと思う。
ケラケラ笑って楽しそうだが、十玖は気が気じゃない。
晄は全く気にも止めず、晩酌しながらテレビ鑑賞中だ。
あれよあれよいう間に話は進み、電話を切った時には決着していた。
「明日、連れてきてね」
「明日ぁ!?」
「そう。明日。美空ちゃん良いって」
「仕事早いっすね」
「当然でしょ」
そう言って小躍りする母は、着替えてご飯食べなさいと、ミュージカル調に言う。
(……頭痛い)
この人はどうしてこうなのか。
母の逸話は限りない。
そして、この母を嫁にしている父を心底尊敬した。
母 咲のせいですっかり失念していた晴日への礼の電話を、十玖はランニングしながイヤホンマイクでしていた。
何故ランニングをしながらなのか――――それは咲が纏わり付いて、鬱陶しいから。
「今日はホントに済みませんでした。お陰で助かりました」
『ありゃ怪獣だな』
「返す言葉もないです」
『いま外か?』
「電話がてらランニングしてました。母が煩いんで」
『走ってんのか? 息乱れてねぇし』
「ああ。いつも歌ってますからね。それに比べれば」
楽勝と笑った十玖に感嘆の息を漏らす。
どおりであの声量だ。
『何はともあれ、無駄骨にならなくて良かったよ』
「ありがとうございました。ところで竜さんは大丈夫でしたか?」
『子ザルの毒気にあたってヘロヘロだった。何らかの報復があったら、黙って受けろ。なに。危険はないはずだ』
「かえって怖いんですけど」
しばらく間が空いた。
晴日の歯切れの悪い口調。
『大丈夫。コレクションに加わるくらいだから。多分』
「何のですかぁ!?」
『そろそろ切るわ。じゃな』
虚しく響く通話終了音。
かくして十玖は眠れない一夜を過ごすこととなり、翌日の放課後に予告通り竜助コレクションに加わることとなった。