不器用な僕たちの恋愛事情
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六月二週目火曜日。
今日も晴天なのに、十玖の心は晴れない。
母との約束通り、美空を自宅に連れて行くことになったのだが、面白がった晴日と竜助が謙人まで呼び、ついでに十玖の部屋でミーティングする羽目になった。
(何なんだこの人たちは……)
もう泣きたい心境である。
軒並みバカでかい派手な集団が、閑静な住宅外を連なって歩く。
十玖が際立って高いが、他の三人も百八十オーバーだ。
美空はもう慣れたもので、平然と前を歩いていた。
地下鉄の駅から歩いて十五分。
一般的な二階建て住宅。門扉を開けながら、四人を見てため息を付く。
とうとう着いてしまった。
「然もない家ですが」
そう言って家の中に案内すると、音を聞きつけた咲がリビングから飛び出して来た。
美空一直線に。
「ただい」
「美空ちゃんいらっしゃぁい」
食い気味に言った咲は男連中に目もくれず、美空の手を取ってぐいぐい奥に引っ張り込んだ。
唖然と見送る男四人。
「女郎蜘蛛」
ボソリと言った十玖に、三人が吹き出した。
「聞きしに勝るお方だね~。十玖のお母上は」
本気で感心している謙人に複雑な一瞥をくれ、十玖は自室に案内する。
三人が部屋を物色している間に着替えを済ませ、飲み物を持ってきた十玖に晴日が聞く。
「美空は?」
「笑ってましたけど、困ってる風でした。連れてこようと試みましたが、母の反撃に遭ったので、もう少ししてからリトライします」
そう言った十玖を見れば、髪がもしゃもしゃになっている。
二の句が告げずにいる三人に、十玖は続ける。
「あの人の女の子にかける執念は異常ですから。娘が欲しかったのに生まれたのが僕で、生後半年の時に息子のムスコを本気で切ろうとしたツワモノです。下手に逆らわない方が身の為ですから」
事もなげに言った十玖に、三人が青褪める。
「ありがとう。十玖でいてくれて」
ただただ三人が言える言葉はこれに尽きる。
去勢でもされていたら、今の十玖の声はなかっただろうし、人生そのものが違っていた。
「でも美空はお姫様扱いして貰えるんで、安心してください」
「それであの子ザルが形成されたのか」
納得して頷く晴日の言葉に、思い出した竜助がにやりと笑った。
「晴、謙人。そろそろヨロシク」
それで察する二人。
「あいよ」
ふたりの声がハモる。
二人は両サイドから十玖を拘束した。
「耐えろ十玖。これさえ耐えれば、綺麗さっぱり水に流してくれるから」
必死に笑いをこらえる晴日に、追従して謙人が言う。
「俺たちみんな犠牲者だから、安心していいからね」
「なんなんですっ!?」
「十玖押さえ込むには、二人でも足りないか?」
ズルズルと引き摺られる二人に、些か心配気の竜助。
「クーちゃんだったら一人でも押さえ込めるだろうけどね」
美空相手に力技は行使できないのを見越しての発言。
反撃はおろか自ら進んで捕まりそうだ。
「確かに。クウちゃんいないのは痛手だな。二人共ちょっとは気合い入れろや」
「だから何なんですかぁ」
にっこり笑った竜介の左手に、カラースプレーが三本とヘアスプレーが一本。右手にメイク道具。
拒絶するも虚しく、立てた髪はカラフルになり、パンクメイクを施された十玖は、竜助のスマホの写真フォルダーにコレクションとして追加された。
オデコに “Talk vol.1” と刻まれて。
時に一階では、招かざる客に空気が凍りついていた。
さっきまで十玖の母親と和やかに過ごしていたのに、リビングのドアが開いた瞬間、美空は凍りついた。
よもやここでまで会ってしまうとは。
萌にしてみれば、ここはテリトリーだ。むしろ侵入者は自分の方だ。
「なんでいるの?」
むっと、上目遣いで睨んでくる。
「え……と」
「伯母さんが呼んだのよ。ダメだったかしら?」
にっこり笑う伯母には逆らえない。何しろ十玖の母親だ。
「ダメじゃないけど、萌はヤダ。この人嫌いだも」
「なんで嫌いなの?」
「とーくちゃん盗った」
分かってはいたが、咲はやれやれと肩を竦めた。
ブスったれた顔で涙を浮かべる萌をその胸に抱き、よしよしとあやしながら、美空に十玖の元へ行くように促した。
一礼してリビングを出て行くと、背中で萌の鳴き声がした。
二階に上がって、十玖の名前を呼ぶ。すぐに右手奥の部屋の扉が開いた。
美空は「ぷっ」と吹き出し、口元を押さえた。十玖はきょとんと首を傾げ、
「解放されたの?」
「萌ちゃんが来たから」
「げっ」
心底嫌がってる十玖。
しかし美空は笑いをこらえるのに必死だ。肩がプルプルしている。
竜助流オトシマエを見慣れてるとは言え、十玖のこんな姿を見ようとは。
「緊迫感ないなァ、もう」
軽く握った拳で、十玖の胸を叩く。
「え?……あっ! 忘れてた」
頬に手を当て呆然とする。
「ちょっと落としてくる」
「お母さんのクレンジング借りて落とした方がいいよ」
「分かった」
言い様、十玖は階段を駆け降りていく。それを見届けて部屋に入った。
「子ザルがまた来たのか?」
「うん。いま十玖のお母さんが宥めてて、あたしはここに来るように言われたの」
床にぺたんと座り込む。
テーブルの上に開かれたままのスマホ。事務所から送られてきたスケジュールを見ていたらしい。
それに併せて十玖の練習もあるのだろう。
忙しくてデートどころではなさそうだ。
ちょっとがっかりしている妹の頭を撫でる。晴日が口を開きかけたその時、階下から轟く悲鳴。
全員部屋から飛び出して、リビングの方に走った。
入口では十玖が突っ立てる。
「どうした?」
謙人が訊ねた。
「クレンジングを借りようと声を掛けたら、萌が驚いて」
声で振り返って、首上パンクがいたら驚きもする。しかも萌が大好きな十玖がこんななのだから。
「十玖。ずいぶん愉快な格好だわね」
「好きでしてないから」
「すいません。罰ゲームでして」
謙人が頭を掻きながら言うと、咲は腹が捩れるほど爆笑した。
今までこの澄ました息子のこんな格好など、お目にかかったことなどない母は、いたく気に入ったようだ。
「もう落としちゃうの? 勿体ない」
「写真は撮ってありますが、お送りしますか?」
竜助がスマホをヒラヒラ振って見せると、
「頂くわっ」
見事な食いつきっぷりの咲。
「拡散しないで下さい。母さん。クレンジングどこっ?」
「洗面台の左の棚」
聞くや洗面所に行った十玖。
息子を見送って、新しく出来た仲間たちを感慨深げに見る。
「人付き合いが得意な子じゃないけど、宜しくお願いします」
深々と頭を下げられ、釣られて全員が頭を下げる。
傍から見ていた萌は、入り込めない空気に所在無げだ。
晴日は、ソファーで膝を抱えて拗ねている萌を一瞥した。
萌が美空を怒らせて、十玖が追いかけていった時、萌はしばらくの間手が付けられないほど泣いて暴れた。
泣いて暴れて、疲れて、大人しくなった。
声は掠れて、顔は腫れて、時々八つ当たりに晴日をひっぱたく。そしてまたさめざめと泣く。
良心の呵責?
悪いことはしてない。妹にうまくいって欲しいと思うことは、悪いことじゃないだろう。ましてや両思いなら問題ないはず。
それで報われないものが泣くことになっても、自分が悪いわけじゃない。
もちろん美空が悪いのでも、十玖が悪いのでもない。
全てが良いようになんてならない。
いくら好きでも、互いの想いが一緒でなければ無理だってことくらい、萌だってわかってるはずだ。ただそれとの向き合い方がわからないだけ。
長い年月を費やして想ってきた分、一朝一夕には行かないだろうけど、それをどうこう言える立場ではないし、萌が自分で納得しないとダメだ。
(言って聞くような奴じゃないだろ)
ただこれからも大泣きされて、暴れられて、八つ当たりされるのは勘弁して欲しい。
萌が赤の他人だったら、美空もまだ気苦労がないんだろう。
仲良くなれなくても、できるだけ穏便に決着をつけて欲しいものだ、と今後の都合のために願ってしまう晴日だった。