不器用な僕たちの恋愛事情
5.それぞれの想い
九月二週目月曜日。
新学期が始まって四日目。日差しはまだまだ夏真っ盛り。今日も夏日を観測している。
A・Dの事件を知る者は多かった。
SNSで拡散されたせいもあるが、刑事事件だったためニュースで報道され、ワイドショーでも取り沙汰された。夏休み中の事だっただけに、見ているものは多く、それでも事務所のお陰で、レイプ事件の流出を免れたのは不幸中の幸いだったろう。
誰もが一番心配していることだったから。
新学期早々、A・Dの三人および美空は校長室に呼び出されたが、注意を受けただけで、お咎めはなく、美空に対して見舞いの言葉があったに留まった。
BEAT BEASTの騒ぎがSNSで流れて、十玖を怒らせたら怖い人というのが、生徒たちに定着しており、それと同時に、美空に同情と羨望の眼差しが集まっている。
十玖と美空の仲は公然のものになっていた。
事務所的にはあまりいい顔はしないが、二人の情緒の安定が必要不可欠だから、十玖と美空を引き離すことはしないでくれている。
それよりも稼ぎ時に稼げなかった方が、事務所には痛手の様だ。
メンバーが全員学生だから、夏休みはツアーに出て稼ぐチャンスだったのに、すべての予定をキャンセルせざる得なかった。その損失が大きい。
マージンが多発するメジャーに比べれば、メンバーに掛かってくる負担は少ないものの、決して安くはない。
これからこれまで以上に、ライヴや物販に力入れていかなければならない。
十玖と晴日に、なんの抵抗もないかと言えば、嘘になる。もちろん謙人や竜助だって事が事だけに躊躇がある。
それでもプロなのだ。
事務所と契約している以上、理由がなんであれ、やらなければならない義務がある。
四人が四人とも負けず嫌いのくせに、美空のことを慮ってグダグダと二の足を踏んでいたが、当事者の美空に喝を入れられた。
美空が、辞めるなと言ったから、思惑に嵌って負けるなと言ったから、四人はまたステージに立つことを決意した。
その言葉を言えるようになるまで、どれほど辛い思いをしてきたか知っているだけに、笑って送り出す美空に頭が下がる思いだった。
十玖たちのクラスは科学実験室に移動中だった。
美空は事件以来、若干左足を引きずるようになり、最近よくつまずく。十玖はいつも美空の後ろを歩いて、転ばないように見守っている。
そして案の定、階段を降りる手前でつんのめった。
必要以上に触らないように気をつけながら、すかさず後ろからしっかり美空を抱き留めた。
美空の髪の香りがふわりと鼻腔をくすぐり、ドキリとする。
油断した。いつもならもっと距離を取っているのに、美空があっさり身を委ねてきて、近付き過ぎた。
十玖の焦りに気付きもせず、美空は「またやっちゃった」と腕の中でケラケラ笑ってる。
「美空ちゃん大丈夫?」
美空が落とした教科書を拾いながら苑子が言った。
「大丈夫。こうなるともうプロだね」
「そんなんプロになってどーすんの」
「だよねぇ」
美空はヘラヘラ笑っているけど、本当は悔しいのだ。美空も十玖も。
十玖は美空をきちんと立たせ、素早くチェックする。
「怪我ないね?」
「平気」
「教室に忘れ物したから、ちょっと取って来る」
「わかった。早くね」
「苑子。気を付けてやって」
「了~解」
苑子が言うや、十玖はダッシュして階段を駆け登って行った。
「十玖、ホント過保護だよね」
「面目ない。まったくお恥ずかしい」
赤面した美空がうな垂れると、苑子は「あたしも彼氏が欲しい」と美空の腕にしがみついて泣き真似る。
何事もなかったように移動を再開した美空たちの前方で、晴日が手を振っていた。
「あんま十玖に世話かけんなよ」
ニヤニヤ笑いながら晴日が階段を登ってくる。
「お兄ちゃん。見てたの?」
「おうっ。コケたところからな。ところで十玖は? ダッシュしてったけど」
「忘れ物だって」
「ふ~ん。珍しいな。あの几帳面が」
晴日は何かピンと来たらしい。ニヤリと笑って足取り軽く駆け上ってく。
「あの顔…なんか企んでる」
美空は眇めた目で兄を見送った。
美空の予想通り何か企んでる晴日は、鼻歌を歌いながら軽快に階段を登る。
「だ――――――――ッ!!」
何処からともなく聞こえてくる雄叫び。
聞こえた生徒たちは一様に辺りを見回した。
「おっ。やっぱ屋上か」
その頃十玖はと言えば、高速スクワットに精を出していた。
無心に数える十玖の背後から声をかける。
「お前の教室はいつから屋上になったんだ?」
「……晴さん?」
意表をつかれ、間抜けた顔で振り返った十玖に、ニカッと笑って遠慮なくストレートに切り込む。
「勃ったか?」
図星を突かれ、赤面した十玖がたじろいだ。
晴日は自分の勘が当たって満足そうに頷いた。
「さっきの一部始終見てたけど、そんな状況でも美空チェック忘れないのは天晴れだな」
容赦ない辱めに、十玖はしゃがみ込んで頭を抱える。
穴があったら入りたい、と考えた瞬間、今はそれが微妙な下ネタな事に気がついて、自分にツッコミを入れ、打ち拉がれた。
「俺なら速攻、押し倒すか、抜きに行くな」
さらりと悪びれない晴日。
ガバッと頭を持ち上げて、晴日を食い入るように見た。変な汗が吹き出てくる。
「このこと美空は!?」
「大丈夫。言ってないし、気付いてもない」
十玖の前にしゃがんだ晴日がピースする。
いくら捌けた兄妹仲でも、リアルな男の子事情は話さないでいてくれたらしい。
特に今の美空にはデリケートな話だ。
「良かった~」
十玖は、安堵のため息をついた。
バレたら恥ずかしいから、なんて陳腐な理由で安堵しているわけじゃない。
十玖は真っ赤な目をして、心情を吐露する。
「あんな事件があって、美空は死にたくなるほど傷ついたのに、お構いなしに反応する自分が、酷くえげつなく感じて、そんな僕を知ったら拒絶されると思うと、守りたいのに守れなくなりそうで怖いです」
晴日は胡座に頬杖を付き、目を閉じて聞いていた。
大切ゆえのジレンマ。
好きな人に触れて、性衝動が起こることは至極まともな事なのに、今は二人を苦しめるものでしかない。
いけないことと思えば思うほど、エスカレートしていく欲情。
「十玖には、重いモン背負わせちゃったよな。やめようと思えばやめることも出来たのに。別れたって誰も十玖を責めないぞ?」
「僕の中で“やめる”なんて選択肢はないですよ。どうしたって手放せないですから」
手放せるくらいなら、一緒に飛び降りたりしない。
「兄貴に惚気るなよ」
「事実ですもん。…けど、傍にいられるだけでいいとか言っといて、現実こんなで……もおいっそ不能になってくれたらいいのに」
「アホか。お前はっ!」
「それだけ切実なんですよ。僕にとって」
半ベソかいて拗ねる十玖。そんな十玖をからかうでも唆すでもないけれど、晴日はボソリと呟いた。
「他でヤっちゃえば? 俺が許す」
「嫌です」
「いつ出来るなんて、保証ないんだぞ?」
「いくら晴さんでも、怒りますよ? するのが目的で付き合ってるわけじゃない」
「けど不自然だろ」
「不自然でも! 他の誰かじゃ嫌なんです」
「だってそれじゃお前、一生童貞かも知んねぇじゃん」
「いいですよっ。それでもっ!!」
ちょっとキレ気味の十玖である。
晴日なりに心配して言っているのだが、これ以上食い下がったら、逆鱗に触れそうだ。
「うん。まあ…幸運を祈る。ありがとな。美空を好きになってくれて」
「お礼なんて言わないで下さい。僕がそうしたいだけで、ほぼ公認のストーカーですよ」
公認ストーカーとか、言い得て妙だ。
自分をストーカー扱いする程、ひたすらに美空を想い続ける十玖。
「今じゃストーカーされる側でもおかしくないのに」
「美空に害が及ばなければどうでもいいです。そんな事」
「そんな事か?」
「興味ありません」
(いっそ清々しいくらい、どこまでも美空中心か)
この哀れなくらい一途な想いが、一日でも早く報われればいいのにと願う晴日だった。