不器用な僕たちの恋愛事情
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これはなんの因果だろうと思う。
筒井由希子は受話器を置いて、パソコンのスケジュール管理画面を見る。
事件から一ヶ月。
インディーズ専門の音楽サイトで、順位をいきなり上げてきたかと思えば、ライヴやメディア出演のオファーが立て続けだ。
有線のリクエストやホームページのアクセス数も増えている。
一時期、全てがかなり落ち込んだ。
この盛り返し方は、事務所的には実に有難い話である。
美空には非常に申し訳ないが、話題になってるこの期に一気に売ってくチャンスだ。
が、同じ女として複雑な心境。
決して許されることじゃない。現場を目撃した筒井には特に強く感じる。
自分に置き換えて考えた時、美空ほどの強さはない。
背中を押すどころか詰って、全てを恨み呪う。
美空がそうならなかったのは、十玖に因るところが大きい。
その十玖の献身愛が話題になり、今回の引き金にもなったと言って過言ではない。
飛び降り動画の再生回数が日々更新中だ。その他にも美空が入院中の付き添う様子が、コメントともに更新してる。
もちろん好意的なコメントばかりではないが、話題になっているのは事実だ。
事件が原因で、美空の足に支障が出たことも同情を誘っていた。
この現実をA・Dのメンバーがどう思うか。
筒井個人の感情とは別に、スケジュールは埋まっていく。
ビジネスとして割り切って貰うしかないのは承知だが、何ともやりきれない。
二人の純愛まで売り物にして行かなければならない自分が、汚い大人に成り下がってしまった事を物語っているようで。
上司には甘ったれた事をと喝を入れられるだろう。
筒井はパソコンで時間を確認すると、受話器を手にする。登録された名前を確認しながら、まだ躊躇いを捨てきれない。
こんな時間稼ぎは無駄だと知りつつ。
深呼吸して、通話ボタンを押す。
筒井は厳しい表情を浮かべ、美空が出るのを待った。
退院してから初めての筒井の電話を、帰宅したばかりの部屋で受け取った。
「筒井さん、お久しぶりです」
嬉しそうに応答しながらベッドに腰掛けた。
『久しぶり。元気? 体調はどう?』
「お陰さまで良いですよ。今日はどうしたんですか?」
『ああ。そうね』
筒井は言い淀んだ。大きく息を吐き、意を決して続ける。
『A・Dの出演オファーが結構来てるの』
「ならあたしじゃなくて謙人さんに言った方が」
『そうなんだけど…クーちゃんの事、絡めて聞いてくると思う。出演は音楽関係だけに絞って内容は事前に確認するけど、もしかしたら気分を害することもあるかも。その事伝えときたくて』
「全国区で名前を売るチャンスなんですよね?」
『ええ。クーちゃんの事を踏み台にするみたいで、申し訳ないと思うんだけど』
歯切れの悪い筒井に、一瞬複雑な表情をを浮かべたが、すぐに笑顔で答える。
「あたしは構わないですよ。どう答えるか、って心配はしないです。みんなを信用してるから」
美空の不利になるような事は、決して言わない。全幅の信頼。
「もしかしたら聞きたくない事、触れられたくない事を言われるかも知れないけど、筒井さんを始め、みんなが守ってくれるって信じてます。だからあたしの事は気にしないで、A・Dをお願いします」
『クーちゃん。ホントごめんね。あの事件には極力触れさせないようにするから』
筒井の声に微かな安堵を感じ取る。
通話の切れたスマホを眺めながら、何度も謝ってくれた筒井を思う。
正直、怖い。
自分は決して強くない。今からでも筒井に電話して、撤回したい。
ここで嫌だとダダこねたら、全力で慰めてくれるだろうし、折角のオファーを断ってしまうのが目に見えた。
筒井というマネージャーは、情に厚い人だから。
そんな人を困らせて、みんなの足を引っ張って、このままずっと後ろめたさを感じていくのは嫌だ。
どうしようもなく身体が震える。
今でも時折蘇る生々しく忌まわしい記憶。
死にたくなる衝動。
美空はテーブルの上に無造作に置かれている薬袋から、精神安定剤を取り出し、ペットボトルの水で飲み込む。
自殺はしないと、十玖と約束した。
美空が死んだら、追いかけると言ったのは、虚言などではない。
物静かで温厚を装いながら、内面はとても激しく情の深い人を、心ならずも追い詰めた。
手放せなくてごめんと言われた時、心が震えた。
心が壊れそうになったのは、何も美空だけじゃない。
十玖もたまに心療内科に行ってるのを、兄から聞いた。自分から美空が心配するようなことを言う人ではないから。
どんなに辛くても一緒に乗り越えることを選んでくれた十玖を、裏切ってはいけない。
今度のオファーは、傷口を拡げ抉るかも知れない。
そんなのは束の間だ。すぐに風化する。
(大丈夫。きっとやり過ごせる……こんなの…)
頭がふわふわしてきて、ベッドに倒れ込み、そのまま意識を手放した。
夢も見ない暗闇に落ちて行く。