不器用な僕たちの恋愛事情
十一時まで逃げ切って、奪われたスタンプは有理のだまし討ち一個のみ。
ズルズルになった化粧をクレンジングコットンで拭き取りながら、十玖は大きな吐息を付いた。
「スタンプ一個だけなんて、よく逃げ切ったわね」
「有理がカード持ってたんだけど」
「多分おばさんじゃない?」
「漏洩元は苑子だろ」
「ピンポン。女装の十玖をおばさんと有理ちゃんが逃すわけ無いでしょ」
「もう二度としない」
女装は然り、集団に執拗に追い駆けられる恐怖を知った。
「どうでもいいけど早く着替えてよ。次は合唱部行くよ」
「これどうすんの? 汗だくなんだけど」
「そんなのは想定済み。交代用の用意してるから平気」
苑子は濡れタオルとボディシートを十玖に手渡す。
簡易更衣室の外からせっつかれ、そそくさと身支度を整えると、西校舎の部室に向かう。
途中で太一に会った。
「久々に見たけど、凄かったな十玖」
「もう記憶から抹消した」
「今年の三嶋家のハロウィンどうするんだろうね? 俺と苑子は今年も参加だけど」
「僕は不参加だから。ライヴだし」
「ライヴでは仮装しないのか?」
「……する」
「いまの間は?」
「ヤな予感してきた」
今日の姿をあの三人に目撃されているのだ。無事でいられる気がしない。
衣装は筒井が用意すると聞いているが、晴日たちが余計な情報を流出しないとは限らない。悪ノリするところがあるのは、筒井もA・Dも一緒だ。
今月は怒涛すぎる。
ため息を付いて、ふと頭を過ぎった事。
明後日の火曜日、ついに初公判がある。
(やっとだ。やっと、奴らが法廷に立つ)
冷静で、いられるだろうか?
美空、A・D、筒井、萌に出廷命令が来ている。
現行犯で捕まっているし自白もしているので、そう長く待たずに決着が付くだろうと、裁判所職員の父は言っていた。
それでも罪はだいぶ重くはなる筈だと言われたが、具体的なことは聞かされてない。
急に沈み込んだ十玖の背中を太一が叩く。
「仮装がそんなに憂鬱?」
「そりゃもう」
憂鬱だよぉ、と太一の肩に凭れ掛かる。
あの事件のことは、何でも語って来たこの幼馴染みたちにも言えない。
そうこうしているうちに部室につき、まず太一がリクエストに応えて、ピアノの弾き語りを始めた。
十玖はとうに辞めてしまったが、太一は現役だ。
滑らかな運指。暗譜も完璧だ。
十玖はブレザーを脱ぐと、渡されたタブリエを腰に巻き、苑子は裏へ着替えに行った。
太一の歌をバックグラウンドに、十玖はウェイター、苑子はウェイトレスを任されていた。タブリエ姿の十玖に注文が殺到し、苑子はそんな十玖を応援するが、手は貸さない。
ノルマの五曲を太一が歌い終える頃には、即席テーブルは埋まり、急遽用意された椅子に座って、十玖を待つ客で溢れた。
十玖が指のストレッチをしていると、客を掻き分けて美空がやって来た。
「来たよ。そろそろ?」
言いながら、太一を撮っている。
「この曲終わったら」
「太一くん上手だね。十玖も弾くの?」
「弾く。自信ないけどね」
「この間の上手だったよ。大丈夫」
「とーく。はいリクエストカード。あんたの弾けそうなの選んだから」
予め貰っていたリクエストに目を落とし、「これならイケそう」と暝目して音を辿る。
太一が一礼してこちらに歩いてくると同時に、十玖がピアノに向かう。途中で二人はハイタッチし、ピアノの前に腰掛けた。
テーブルを見渡せば、ライヴでも見かける顔が多い。
軽く首を回し、肩を逸らして余計な力を抜いた。
「ライヴに来て下さってる方にも初お披露目です。ピアノは数年振りなので、失敗しても聞き流して下さい」
客の笑いが漏れる。
長く息を吐いて、そっと鍵盤に触れる。
Fly me to the moon から始まって、イマジン、スカボローフェアと続く。
遅れてコソコソやって来たA・Dの三人を尻目に、無心に鍵盤を手繰っていく。
そしてA・Dの曲のリクエストだ。
来るとは思っていたが案の定だった。
Sleeping You ―――― 十玖が加入して初めての新曲で、想い入れの深いバラードだ。
前のどの曲よりも一層気持ちがこもる。
ジャケット撮影で、全員が本気寝してしまった思い出もよみがえり、口元に笑みが浮かぶ。
皆が聞き惚れている。当のA・Dも例外ではなかった。
そのまま流れるように、To be free へと移っていく。この曲もA・Dの曲だが、本来はアップテンポのノリのいい曲を、即興でアコースティックバージョンにアレンジしていた。
謙人が晴日に耳打ちし、晴日が竜助に耳打ちする。
(また何か画策しているんだろうなぁ)
間違いなく自分が振り回される羽目になる事を察知し、こっそりため息をつく。
歌い終えると、一瞬の間を置いて拍手喝采。
十玖は深々と頭を下げ、苑子とタッチして晴日たちの元に行く。
「良かったよ。アレンジの才能あるんじゃない?」
謙人が十玖の頭を撫でる。
「また何か企んでますよね?」
「……これだから、勘の良いヤツは困る。まあ楽しみにしててよ」
「そろそろ行って準備しないと」
竜助が壁掛時計をアゴ先で指すと、開演二十分前だった。
三人が遅れて来たのは、セッティングして来たからだが、駆け込みで良いものが出来るわけない。
苑子に手を振ると、シッシッとばかりに追い立てられた。
A・Dの退場に矯声が上がり、もみくちゃにされながら、彼らは体育館に急いだ。
体育館の客は一旦退場させられ、仕切り直している。
舞台袖から、再入場する観客を確認し、照明が落とされると、四人がそれぞれ左隣の右手首を掴んで、円陣を組んだ。
「よろしいか? よろしいか? では。One for all, All for one. 今日も張り切って暴れましょう。そーれ」
いつもの合言葉を謙人が言う。
「だりゃ――――ッ!」
四人の掛け声もいつも通り。
いつもと違うのは、それが筒抜けだってことか。
会場で笑いが起こる中、四人は自分のポジションに着き、晴日がマイクを持つ。
「ご来場のみなさま、今日は有難うございます。えー今日のライヴは、生徒会長の無茶振りで、急遽決まったものでして、聞いた瞬間、わたくし何より大好きなだし巻き卵を落っことしてしまいました。なので、絶対やってやるかと思ったんですが、毎度マネージャー泣かせに体張るような、お祭り大好きおちゃらけ集団でして、今回も半泣きでスケジュール調整してくれたマネージャーのためにも、三十分と短いライブですが、楽しんで頂ければと思います」
晴日が竜助を振り返り、ドラムスティックがカウントを取る。
Love Holic ―――― UKロック調の軽快なリズムが走り出す。軽快でありながら、歌詞の内容はほとんどストーカー。だけど誰もが心当たりがあるような気分にさせられる奇妙な曲をまた十玖が爽やかに歌う。
晴日と竜助が、十玖の話からヒントを得て作った曲だ。因みに作詞は晴日と十玖、作曲は竜助の合作と言う扱いになっている。
十玖にしてみれば身につまされる複雑な楽曲ではあるが、気に入ってる曲でもある。美空はこの曲を聴くと、
「申し訳ない」を連発するが。
ステージの下で、美空が写真を撮ってるのが目に入る。
暗くて表情は分からないが、きっと複雑な顔をしているだろう。
十玖は吹き出しそうになって、必死で堪えた。
続けて二曲歌い、晴日のMCが入った。
「今日は学祭という事もあり、初の制服ライヴなんだけど、どう?」
観客の声を聞きながら、楽しそうに頷く。
「えーと。チケットにそれぞれ番号が振ってあると思うんだけど、ライヴの後に抽選で後にも先にも最後の制服ポスター、未公開モノをプレゼントするんで、終わったからってサクサク帰るなよ~。では。次の曲はうちのヴォーカルが、ジャケット撮影の時に動物並みの跳躍で何度もフレームアウトして、メンバー、スタッフを泣かせた “To be free” 聞いて下さい」
疾走感のあるギターと共に十玖が高く跳んだ。
フレームアウトしたという跳躍力に、「おおーっ」と歓声が上がる。
To be free ―――― 先ほど合唱部で十玖がアコースティックにアレンジした楽曲だ。
しがらみも、窮屈に感じる毎日も、どんなに無理だと思えることも、角度を変えれば違って見える。一歩踏み出す勇気を持てば、未来はこんなに自由なんだ。
謙人が元を作り、四人でワード遊びをしながら作った。
A・Dは、よくワード遊びをしながら作詞をする。特にメッセージ性の高いものは、独りよがりにならないように、心がけているようだ。
今のところ作詞作曲は専門外の十玖でも、創る喜びを感じる時だ。
学校のステージを所狭しと動き回り、踊り、跳ねまくる。
お互いに煽り、刺激し、ヒートアップの先に一体感が生まれ、熱いグルーヴで体育館が震えているようだった。
こうしてライヴは惜しまれながら終了した。
ポスター抽選後、生徒会兼ライヴ実行委員会に後のことを任せ、A・Dはワゴンに乗り込んで次のライヴに向かった。
ワゴンに乗ってすぐ、十玖の為に晴日たちが出店でいろいろ買い漁ってきた物をガツガツ食べ、さすがに電池切れか、途中で落ちた。
朝から走りっぱなしだ。
マレフィセントは完全にフェイントだった上に、捕まるまいと校内を二時間近く全力疾走して、部もライヴも手抜きせずに六時間の間にこなしたのだから、体力が自慢でもクタクタだろう。
そこでお腹が満たされれば、眠気も走るというものだ。
しかし、まだ終わったわけじゃない。
本日のメインがこれからだ。
着くまでのしばしの休息。
謙人は十玖の手から食べかけのパックを取って、竜助に渡す。
前のめりになってる十玖を背凭れに寄り掛からせ、すっかり寝息を立てている彼の頭を撫でてやった。