不器用な僕たちの恋愛事情
オープニングは、“聖者が街にやってくる”のロックアレンジで始まった。
それからもクリスマス鉄板ソングで盛り上げ、オリジナルのクリスマスソングの後に晴日のMC。
ゲームで盛り上がり、最後まで勝ち残った客にメンバーからのプレゼントが贈呈された。その時にファンが十玖の女装に触れ、すっかり忘れていた十玖を打ちのめし、彼はふにゃふにゃと崩れ折れた。
ファンたちには、すこぶる反応が良かったようで、掲載に至るまでの経緯が晴日の口から面白おかしく語られると、十玖は「泣いてもいいですか?」と一度袖に引っ込んでしまった。
戻ってコールとバスドラムのリズムに引きずり出されて十玖がステージに立つと、ドラムの十六ビートが十玖を総毛立たせる。
十玖が引っ込んでしまうというアクシデントがあったものの、二時間のライヴは少々オーバーして終わろうとしていた。
これでもかってくらいのステージパフォーマンスに誰もが酔っていた。
ハイテンションだった謙人が、一瞬硬直したのを晴日は見逃さなかった。彼の呼びかけで気を取り戻し、大事には至らなかったが。
しかし謙人はホールの一点から視線が離せなくなっていた。
筒井は謙人の頼みでホールの人物に声をかけた。
頷いたのを確認し、控室に通そうとしたところで、謙人と鉢合わせた。
謙人は手を取ってズンズン歩いて行く。
通路の突き当りで立ち止まり、相手に向き直った。
丸く広い額を露わにし、手入れの行き届いた弓なりの眉。きれいな弧を描く二重の瞳は優しげで、ぷっくりとした唇は控えめなティーブラウン。長い髪を後ろでゆるく纏め、質の良いワンピースは、育ちの良さを醸し出している風貌に、とても良く似合っていた。
しかし、ライヴハウスには凡そ似つかわしくない、清楚な身なりだ。
謙人はあからさまなため息をついた。
「いつ……日本に?」
チラリと謙人を見て、俯く。
「夕方、着いた」
「そう。今まで…連絡もなかったのに、なんでここに……?」
「……ごめん。祐人(ゆうと)ちゃんから話は聞いていて、空港着いたら、謙人の顔がどうしても見たくなって、気付いたらここに来てた」
祐人は謙人の年の離れた兄だが、彼女の口から出てきた途端、我慢していたものが沸点に達した。
「はっ。何なんだよッ!! 逃げるようにいなくなってッ、俺には! 連絡先も教えなかったくせに、兄さんには連絡してるって何なんだよッ!!」
「ごめん」
体を小さくする。
普段あり得ない謙人の怒声に、控え室からぞろぞろと顔を出した。
「ケント。まだお客残ってるから、落ち着いて」
筒井にそう言われて、思いのほか大声が出ていた事に気付いた。
「冷えるから中で話したら?」
「いいえ。筒井マネ。今日のクリパ、パスしていいですか? 彼女と話があるんで」
肩越しに指さす面持ちは、冷静になろうと努めても隠し切れない怒りが滲んでる。
いつもしれっとしている謙人が感情を露わにするのは、それなりの理由があるからだろう。
「分かったわ。で、その方は?」
まじまじと品定めするかのように、筒井が見ているのに気がついて、謙人は「あ~」と彼女を振り返った。
「松下佐保。俺の……許婚」
聞き慣れない言葉を理解するまでの間が空き、続いて驚きの声が通路に響き渡る。
愕然と謙人を見るメンバーたちに、おどけたような顔で小首を傾げた。
謙人は佐保を振り返るとむっとして、手を引っ張る。豆鉄砲食らったメンバーの前を通り過ぎ、リュックのポケットからスマホを取り出した。
「もしもし謙人です…兄さん! 佐保が来てるんだけど、どういう事か後で説明して下さい! あとこっちに車回してくれますか? 佐保連れて、一度そっちに戻りますから」
一方的に捲し立てて電話を切ると、憤慨しながら更衣室に入って行った。
さっきまでの高揚感なんか吹き飛んでしまってる。
筒井は入り口で突っ立ってる佐保に椅子を勧め、「こんな物しか出せないけど」とペットのお茶を差し出した。
佐保は会釈して受け取り、彼女の向かいにニコニコした美空が腰かける。
「許婚って本当にあるんですねぇ。佐保さんて、謙人さんの幼馴染み?」
「そうですけど…?」
「謙人さんの1コ上?」
「? はい」
「クーちゃん! 余計な事言わなくていいからっ」
「はあい」
更衣室のカーテンの隙間から顔を出し、美空に口止めすると、佐保に視線を移した。
「佐保! 俺めちゃくちゃ怒ってるから! 約三年分の怒り、とくと聞いて貰うからな。今度は逃げんなよ!?」
全部ぶつけなければ、この怒りは収まらないようだ。
ムスッとした謙人が、ドレッサー前の椅子にどっかりと腰かける。
謙人の不穏な空気に声を掛ける事もはばかれ、何故だかこそこそしながら、十玖たちはまとまって更衣室に滑り込んだ。
重苦しい空気。
筒井はペットの水を謙人に差し出したが、無視されてすごすご引き下がる。
いつもなら騒がしい控室が、異空間のようだ。
全員が居心地の悪い空気の中、まんじりともせずやり過ごしていると、謙人のスマホが鳴った。
「佐保。行くよ」
荷物を担ぎ、「お先です」と佐保の手を引いて謙人が出て行くと、全員が目いっぱい息を吐きだした。
*
黒塗りのベンツの後部座席で、謙人は窓の外を眺め、佐保はずっと俯いたままだった。謙人の右手は、ずっと佐保の手首を掴んだままだ。
松下佐保は、記憶にもない頃から当たり前のように傍にいた。
祖父たちは疎開先で知り合い、戦後の混沌とした時を一緒に過ごした。苦楽を共にしてきた祖父たちの結束は固く、互いに家族を持った後も変わりなかった。縁戚関係を結ぶ約束も子の代では至らず、孫の代でも無理かと諦めた時、佐保が生まれ、次いで謙人が生まれた事によって、望みは繋がれた。
最初は、祐人の許婚になる予定だった。
祐人とは十も年が離れていて、それでは祐人が気の毒だという事になり、謙人の許婚として約束が交わされた。
謙人がそれを知った時、子供心にも複雑な気持ちになったものだ。
大人たちの根回しにより、いつも一緒にいる事が義務のようだったが、佐保とは仲が良かったし、疑問にも思わなかった。しかしそこに祐人が加わると、佐保は祐人にべったりだった。
佐保に祐人を取られるのも、祐人に佐保を取られるのも、許せない気持ちが年を追うごとに強くなったが、軽くあしらわれる度にそれを素直に表に出すことが出来なくなり、中学に入る頃にはすっかり捻くれてしまっていた。
「こっちには、完全に戻ったの?」
彼女を見もしない。ただ掴む手に力が入った。
佐保は掴まれた手を眺め、
「一時帰国。謙人、もうすぐ卒業でしょ。年明けすぐに結納するから、戻るようにって」
「……はあ!? 結納なんて聞いてない!!」
突然突きつけられた現実に、意地でも見るつもりはなかった佐保を、思い切り振り返ってしまった。
「私だって三日前に聞いたばかりだもの」
慌てて帰国準備をし、飛行機に乗った。
「私だって驚いてる。すごく急だったし、あんな別れ方したから、謙人に会うの怖かったし。でもいざ帰国したら、会いたくて」
「俺が、何に一番腹立ててるか分かってるよね?」
「…うん」
謙人を一瞥すると、佐保はぽたぽたと涙を零した。