不器用な僕たちの恋愛事情
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時間は遡り、日曜の午前十時。
萌の自宅マンションに迎えに来た。萌の父親が出したデートの条件である。
インターフォンを鳴らすと、ロックが解除されてドアが開き、エントランスを抜けてエレベーターのボタンを押す。相原家は六〇三号室だ。
去年の夏休みに、家庭教師で来たのが最初だった。あれからたまに時間を作っては、萌の受験勉強に付き合った。
あの頃は、美空にかかりっきりの十玖の負担を軽くしてあげられればと、家庭教師を買って出たのだが、まさか付き合う事になるなんて、考えもしなかった。
美空を十玖に任せて、寂しかったのもある。
大好きな十玖の慟哭と、やり場のない苛立ちや切ない愛情を前にして、号泣した後に諦めた萌の姿がいじらしく、明るく振舞う彼女がほっとけなくなった。
萌をからかって、可愛がって、甘やかして、単純に美空の代わりが見つかったと思っていたのだが、いつの間にか離れ難い存在にまでなっていた。
そうなると色んなケジメを付けねばならず、これまでの割り切った付き合いの出来る女たちと完全に別れて、萌を合格させてから交際したいと彼女の両親に伝えた。萌の父親は、晴日を外人だと誤解した後に、違うと知るやチャラ男扱いしたのだが、萌を合格させると不承不承許してくれた。
インディーズバンドのギターと言う事に不満を持っているようだが、信用の塊と言える十玖が太鼓判を押してくれたので、今のところ大きな問題はない。
そう。大きな問題は。
ドアチャイムを鳴らした。応答したのは萌の父親だ。
(やっぱこの人かぁ)
娘の父親と言うものは、得てしてこんなものなんだろうか?
今でこそ仲の良い父と十玖だが、最初は陰険なくらい十玖の扱いは酷かった。
「来たのか。来なくてもいいのに」
ドアが開いて、一発目の言葉がこれである。
「ちょっとパパ邪魔。どいて」
玄関先を塞いでる父親を鬱陶しそうに押し退ける。その対応に泣きそうな表情を浮かべた。
「邪魔って」
「晴さんお待たせ。行こ」
父親をスルーして、晴日の腕を引っ張る。晴日は「いってきます」と会釈して、引っ張られて行った。
手を繋いで歩いても、ある意味悲しいくらい違和感がなく、晴の存在に気付いても萌を中傷する声は上がらない。
問題は、二人の身長差にあるかもしれない。
晴日が百八十四センチであるのに対して、萌が百四十八センチ。実に三十六センチ差だ。しかも萌のお子様サイズが、到底カップルに見えない状況を作り出していた。
金髪が目立たない様に帽子をかぶり、色の薄いサングラスで目を隠す。ここでいつもならアクセをジャラジャラ付けてるところだが、萌父にこれ以上チャラ男の烙印を押されることは勘弁願いたいたく、服だって持っている中で地味目の物にしている。
結構、努力しているのだ。
対して萌は、花の模様を編み込んだ綿ニットのピンクのプルオーバーに、黒のレギンスパンツ。小ぶりのショルダーバッグと黒のスニーカー。
同じものを美空が着たら大人っぽく見える物も、萌が着ると頑張ってるお子様に見えてしまうのは何故だろう。決して口にはしないけど。
傍から見たら、仲の良い兄妹、もしくは親戚か、近所のお兄ちゃんか…。
隠れ蓑にはなるけど、複雑だ。
ホームでも萌が腕を組んだって、ぶら下がって遊んでる風にしか見えない。いや。実際今は本当にぶら下がって遊んでるのだが。
一体十玖はどんな構い方をしてきたのか? ほとんど人間ジャングルジムだ。
お陰様で、なんと微笑ましい光景だろうか。
電車を乗り継ぎ、辿り着いたのは郊外の遊園地。
券売所で萌が身を乗り出して言った。
「高校生二枚」
「…はい?」
受付の女性が、すぐ後ろに立っている晴日の顔を見る。萌は学生証を突き出して、
「小さいですけど何か?」
「い…いえ」
「パスポート学生二枚で」
学生証とお金を出しながら、笑うのを必死に堪えてる晴日のスネを蹴る。
同じ学生証でも用途が微妙に違う。年齢の証明の点では一緒だが、理由は真逆。
ホント失礼しちゃう、とさっきまで憤慨していた萌だが、アトラクションの前では長続きしなかった。
日曜の混雑の中、あれもこれもと晴日を引っ張りまわし、少し遅い昼食を取る。昼食代は、萌が出すと言って利かなかったから、彼女の奢りだ。
「俺、稼いでんだから気にしなくていいのに」
「そーゆー問題じゃないの。萌が来たいって言ったんだし、そーゆーの当たり前になっちゃダメでしょ。晴さんのお陰でお小遣い上がったんだし」
母親はその辺、話が分かる人だ。
ホットドッグに齧り付き、リーフレットの案内図を確認しながら楽しそうな萌を見て、晴日も楽しそうに笑っている。萌がふいに顔を上げて、にっこり笑いかけてきた。
「晴さん苦手なものってないの? ジェットコースターとか観覧車とか?」
「いや全く」
「なあんだ。面白くない」
ぷうっと膨れる萌の頬を指で潰し、
「何で? 一緒に楽しめなかったら、それこそ面白くないだろ?」
「漫画とかドラマで、イケメンがそーゆーのダメ設定あるじゃん」
「残念。速いのも高いのも大好きだね」
ニカッと笑う晴日の前で、企みは虚しく費えたようだ。
「まあいっか」
「萌は?」
「お化け屋敷」
「テンプレだなあ」
「意味分かんないのがヤなの」
「ふ~ん。十玖は? 苦手なもんあんの?」
「遊具に? ないよ。唯一、苦手なものはGだけだも」
「Gか。俺も目が合った瞬間、凍り付きそうになる。アイツ等、顔目掛けて飛んで来やがるから始末に悪い」
「とーくちゃんもおんなじこと言ってた。子供の頃、追っ駆けられて怖い思いしたって。だから汚くしてると怒られるからね?」
A・Dの三人が散らかすと、後を追って片付けるから助かるけど、几帳面で、潔癖なところがあるとは思っていたのは、トラウマのせいだったらしい。
しかしせっかく手に入れた弱みも使えないんじゃ意味がない。
二人は話題を変えて、さくさくと昼食を済ませると立ち上がった。
手を繋いで歩いていた二人だが、突如晴日が萌を小脇に抱えて走り出した。
「晴さん、なに――っ!?」
「萌。腕のパスポート準備OK?」
「パスポート?」
左手のパスポートを前に突き出した。晴日は手首を掴んで「オッケー」とニヤリ笑う。
目前に鉄板の外装をしたアトラクションを発見し、萌は悲鳴を上げた。
「いやーっ! 晴さん放して~ぇ」
「とっつげき~ぃ」
「ぎゃ――っ!!」
色気もへったくれもない。
人の出入りが少ない入り口を速やかに通過し、少し進んだところで萌を下ろした。磁石さながら瞬く間に張り付いて、顔をすっかり隠してる。
「も~え。そんなにがっちりしがみ付いたら歩きづらい」
「やだ~あ。晴さん離れないでぇ」
「作り物だろ。怖くないって」
「か…かかか…げから本物で…でっでっ出てきたら死ぬう~ぅ」
「出て来ないからっ」
仕掛けがガタガタ動くたび、脅かしがいのある悲鳴が轟く。足が震えてまともに歩けない萌を抱き上げると、首根っこにしがみ付いた。うなじに萌の吐息がかかり唇が触れた。
あまりに久々の感覚に、一瞬足の力が抜けてコケそうになり、更にデカい悲鳴が上がった。
「あ、悪ぃ」
「いまのワザとおぉぉぉぉぉ?」
「違う違う。抜けた」
腰の力が。
(何やってんの俺ぇ!)
萌をお子ちゃまだと侮っていたら、天然の反撃が来るなんて想定外だ。
ちょっとからかって、泣かせて、めちゃくちゃ可愛がってやろうと思ったのに、読み誤って腰を取られるなんて。
(策士策に溺れるか? これは。そうなのか?)
くらくらする。
唇の触れた首筋から耳まで熱くなってくる。
「萌。顔ちょっと上げれる?」
「ムリムリムリ」
一層力を込めてしがみ付いて来るのをグイッと押す。
「せめて少しズレてくれる? 首熱い」
言われてみれば確かに首が熱っぽいのだが、怖くて顔を上げられない。
「もぉえ~。怖くなくなるように、おまじないしてあげるから。目ぇ瞑ってていいよ」
萌の後ろ頭をポンポンする。恐る恐る顔を上げたが、目はぎっちり瞑ったままだ。晴日は頭を撫でて「いい子だね」と微笑むと、すっと引き寄せてキスをした。
萌はしばらく怖いのも忘れて、薄明りの中晴日をマジマジと見るが、しれっと歩いているものだから、実は勘違いだったんじゃないかと、自分を疑う。
「あ…の。晴さん?」
「ん?」
「いま何かした?」
「おまじない」
萌の唇を指先でつついて、にこっとする。
しかしさっきの感触は指ではなく、もっと柔らかくてしっとりと熱を帯びていた。
「……ってキスじゃん! 酷いっ!! 萌初めてだったのにお化けやし…き……や――っ!」
思い出して、また大騒ぎだ。
「だからおまじないって言ったじゃん」
それから萌はお化け屋敷を出るまで、一言も口を利いてくれず、出た瞬間「ばかあ――っ!」と両頬を抓られた。周囲を全く考慮してない。