不器用な僕たちの恋愛事情
「怖かったよお――ぉ」
今度はわんわん泣き出した。首に抱き着いて泣く姿は、どう見積もってもビビりまくって泣いている小学生だ。
抱きかかえてあやしてるお兄ちゃんに、微笑ましい視線が注がれている。
「はいはい。悪かったよ萌。あんま泣いてっと遊ぶ時間なくなるよ?」
背中をよしよしして、耳元で囁く。萌はぐいっと顔を上げて「やだ。遊ぶっ」と抗議する。
「でもその前にソフト買って! そしたら許してあげる」
「もお何なりと。お姫様」
「萌ミックスがいい」
「はいはい。仰せのままに」
しょうがないって風を装って、萌を抱えたまま歩き出した。彼女は晴日の肩を叩く。
「晴さん。もお降ろしていいよ」
「ああ? 萌、軽いから平気だぞ?」
「萌にだって足はあります。そりゃ晴さんの足の長さとは、比べもんになんないけど」
体の半分以上が足の人に何を言ってるんだと、己に突っ込みながら複雑な笑みを浮かべる。
「回転数でカバーするから平気だよ」
「確かにその回転数は賞賛するけどさ」
萌を下に降ろし、空いた手をすかさず繋いだ。
「どこすっ飛んで行くか分からないから。俺の彼女は」
聞き流しそうなくらい自然に “彼女” と言われ、へへっと照れながら擦り寄る。普段、こんな風にくっ付いていたら非難囂々(ひなんごうごう)だ。付き合ってる宣言もしていないし。
解っていてもやっぱり寂しいし、堂々と付き合えたらどんなに良いだろう。
萌は空いた手で、晴日の袖をつんつん引っ張った。
「晴さん、さっきドサクサにチューした」
「あれは、おまじないだって。うちじゃ子供んときから普通だし。あんなのキスのうちに入りませ~ん。尤もおまじないを口にしたのは萌だけだけど。ホントのキスはまたな。俺の彼女なら早く慣れないと」
悪戯っ子の笑み。
晴日の母親は日米ハーフのアメリカ育ちだと聞いているし、父親は留学経験があって、その時に両親が知り合ったと聞いている。ならばキスは日常だっておかしくないのだけれど、萌は一般的な日本人だ。
「萌にはやっぱキスだよぉ。なのに大っ嫌いなお化け屋敷なんて、あんまりだぁ」
「わあかたって。ごめん」
見上げて泣きべそをかく萌の髪をわしゃわしゃにする。「もおっ」と手を押さえる彼女に微笑んだ。
前屈みになった晴日の、軽く触れるキス。
人目のある所で、キスされるとは思ってなかった。
凝固した萌を引っ張て、晴日はご機嫌に鼻歌など歌ってる。
約束通りミックスのソフトクリームを買って、腰かけた。
終始楽しそうな顔で眺められ、ソフトクリームがどこに入ったのかもわからない。
晴日に連れて行かれるまま、アトラクションを楽しみ、夕暮れがかった空を見上げ、二人は観覧車に足を運んだ。
乗り込むや晴日はA・Dの“オレンジ色の空”を歌いだした。レアな彼のフルコーラスを聞きながら、萌はぼんやりガラスの向こうの空を眺める。
「優しい歌だよね。ちょっと切なくなっちゃうけど」
そう言って振り返った萌を膝の上に抱き上げ、顎を持ち上げた。体を強張らせる萌の唇にそっと唇を重ね、ついばみ、舌先で唇をなぞり、軽く噛んだ。
「萌。舌ちょうだい」
吐息が熱くて頭がフラフラするのに、キス初心者に難易度の高い事を言い出した晴日を、萌は涙目で睨む。
「…や」
「じゃいいよ」
親指で顎を下に引っ張り、舌を滑り込ませて絡めた。驚いて引け腰になる萌を押さえ、自ら舌を絡めてくるように誘導する。ちろちろと確かめ合うように絡め、舌に優しく歯を立てた。引っ込めようとするのを逃がさず、吸う。
ゆっくりゆっくり慣らしていく。
下に着く頃には、とろんとろんに溶けた萌が出来上がっていた。
免疫のない萌を休ませてから、遊園地の傍の小さなレストランで夕食を取り、玄関まで送り届けて、晴日は帰路に就いた。
別れ際の萌はまだ少しフワフワしていたようで、心配ではあったけれど、二十時の門限までに帰さねばならなかったから仕方あるまい。
家に着くと、十玖が靴を履いているところだった。
何となく、二人の間の空気に違いを感じたが、その時は突っ込む気にもなれず、互いに軽く言葉を交わしただけだった。多分十玖も柔軟な対応を取れる限界だったろう。疲れの色が見て取れた。
後から美空にカマ掛けたら、あまりに分かりやすい反応を見せてくれた。これで父によくバレなかったと思う。それとも気が付かない振りをしたのだろうか?
二人がようやく囚われていたものから解放されたと知って、心から良かったと思う。でなきゃ本当に十玖は童貞を拗らせそうで、同じ男として堪らないと思っていた。
溜まれば勝手に抜くだろうが、好きな女を抱くことも出来ず一生操立てるなんて、破綻が見える気がしてた。それがどんな経緯でそうなったかはどうでもいい。二人が前に進みだしたことが重要だ。
これでひとつ肩の荷が下りた。
心置きなく自分の事に集中できる。
抱き合えない二人を差し置いて、先に進むことに多少なりとも罪悪感はあった。
あの時、美空じゃなく萌だったかも知れない。萌だったら、きっと今はないだろう。まだ好きだとも自覚していなかった頃だし、美空と同じ立場になっていたら、可哀想だと思う事はあっても、最初から選択肢にも入っていなかった。そうなっても誰も自分を責めないし、謂われもなかった。
萌を好きでいても良いんだと、救われた気がする。
さっき別れたばかりなのに、もう会いたい。
一日一緒に過ごしたのは、付き合いだしてから初めてだ。
周囲の目もあるが、萌の父親の監視が厳しい。
気が合ったらラストまで速攻だった自分が、何ちんたらちんたらしてるんだかと突っ込みを入れたくなる位、亀の歩みだ。
が、おいそれと手を出してはいけない存在が、ある事を知った。
十玖の従妹だという事も、当然脳裏にいつもある。
大事にされてきた少女。
あまりに小さくて、可愛くて、無理に抱いたら壊してしまいそうで、怖い。
あの小さい体で、晴日をすべて受け止められるのか、怖いのだ。
女の体が柔軟なのは知ってる。男に体を合わせて進化していく生き物だから、心配ないのかも知れないが、不安になってしまう。
相当痛いだろうし、暴れるのが目に見えるようだ。
重いのは御免だし、処女はずっと避けて来た。ところが今度ばかりは回避不可能の処女確定だし、迂闊に手出しできない自分まで童貞になってしまった気分になる。
人に惚れるって、思い通りにいかないものだと痛感した。