不器用な僕たちの恋愛事情
十玖たちと一緒に晴日と竜助が音楽室にやって来て、合唱部は色めきだった。
お陰でなかなか始まらず、短気坊主の晴日が痺れを切らした。
「なんか歌って聞かせてよ。こっちはそのつもりで来たんだし」
晴日はニコニコ笑って催促するが、生真面目そうな三年女子の部長は唸ってしまう。
「一年はまだ発声メインなんで、二、三年だけで良ければ歌えるけど」
「曲なに?」
「アメイジング・グレイス」
「それいってよ。んで、お前ら三人は歌える?」
十玖、太一、苑子を代わる代わる見て、挑発的な顔をする。
そんな晴日を竜助は傍観している。
何を考えてるのか、手に取るようにわかるからだ。
「俺らは歌えますが、部長いいですか?」
太一が応える。
「オッケー。晴くんたちの希望だからね」
三年の男子がピアノの前に腰掛ける。指揮は部長。
伴奏が流れ始め、美しいハーモニーが奏でられていく。
竜助は音楽室の端の席に腰掛け、晴日は部員一人一人の歌に耳を傾けながら、前を歩く。
十玖の前でピタリと足を止めた。
目を見開いて凝視する晴日に、十玖は眉をひそめる。
見つけた、と声なく呟いた晴日は、口の片端を上げ笑う。
晴日にまたもロックオンされた。そう直感した。
――――美空に惚れてんの? お前にはやんねぇよ
あの日、耳打ちされた言葉。
あれから晴日には振り回されっぱなしだ。
感情が波立つ。心が裸にされていくようで、居心地が悪い。
(……苦手だ)
今のこの状況も晴日の牽制だろうか?
曲が終わり、晴日と竜助が拍手する。この二人に拍手され、単純に喜ぶ部員たちを尻目に、晴日は十玖の両腕をがっしり掴んだ。
「スタンド・バイ・ミー、歌えるよな?」
「はい……?」
「歌えるよな? ランニングしながら歌っていただろ」
逃げていく歌声。発声の出来たバリトン。合唱部。ランニングしていた十玖。
すべてが合致し、いま十玖の歌を聴いて確信した。
室内がざわめく。
「なんなんですか一体」
晴日の言う通り、歌っていたのは自分かも知れない。でも素直に従ってしまうのが嫌だった。
晴日の指に力がこもる。
「捜してたんだよ。たまたま聴いたお前の歌」
「何のために?」
「勧誘。十玖お前、A・Dに入んない?」
真摯な眼差し。
掴む晴日の指を解き、眇めた目で晴日を見る。
「冗談」
「じゃないから」
「ヤです」
「なんで!?」
食い下がる晴日。押し黙る十玖。
さっきの今で、身の危険を感じるから、とは言えない。
第一、そんな仲じゃない。
美空とのことがあっても、自分を曲げるのは違うと思う。
合唱部員を堂々と勧誘する晴日に、誰も異議を唱えない。あまりに突飛すぎて、理解できていないと言うのが正直なところだ。
膠着状態の二人に、竜助が助け舟を出す。
「いきなり殴りかかってきた奴に仲間になれって言われても、三嶋だって困惑するだろ。お前なんでも急ぎすぎ。三嶋に時間やれよ」
「……わかったよ。悪かったな十玖。でも諦めたわけじゃないから」
本人が言う通り、おいそれと諦めないだろう。
それはこの数日で容易に想像がつく。
十玖が美空に告白するかしないかが心配なのではなく、それ以前に、十玖の中から美空という枠を排除させる方向に持って行こうとしているのは、何となく分かった。
気の弱い人なら、日々の圧力で次第に気持ちが萎えていくだろう。
晴日に近付けば、美空との距離が縮まるかも知れないという打算が、頭を掠めないではなかったが、あくまで美空は美空だ。肝心の美空に未だ睨まれている状況は変わらない。
「僕にそのつもりは有りませんから」
「うん。いいんじゃね。俺も諦め悪いから、持久戦で行くし。十玖が胆座ってるのも、頑固そうなのも最初で分かってるから」
白い歯をにっ、と覗かせて笑う。
「俺、相当しつこいから、覚悟しとけよ」
とん、と握った手の甲で十玖の胸を叩く。眉をひそめた十玖に、ふふんと鼻で笑い、
「お邪魔さまぁ」
手をひらひら振って部員に挨拶しながら、晴日は出ていく。
竜助は、マイペースの幼馴染を見送りながら、十玖の肩を叩き、
「悪いけど、あんなんだから暫く付き合ってな。どうしても嫌なら遠慮なく断ってくれていいから」
「はい」
「そーとー気合入れて断らないとなんないから、まあ頑張って」
「……」
いたずらっ子の笑みを浮かべる竜助も、かなりの曲者かも知れないと思う。
あの晴日と長年付き合える男だ。
晴日を追って竜助が出て行くと、太一と苑子が寄って来た。
「気に入られたねぇ」
肩先で十玖を小突きながら太一が笑う。
「え……?」
「嫌そうだな」
「あ〜……うん。苦手かな」
「今までにない強引さだもんな」
「十玖にはいい事なんじゃない?」
苑子が割って入る。嫌そうな顔をして見下ろす十玖に、彼女はしれっと言う。
「斉木先輩が絡んでくるようになってから、十玖の表情が変わるようになってきて、あたしはいい変化だと思ってるんだけど」
苑子は小首を傾げて、十玖を見上げる。
「苦手だ、嫌だと頭から否定しないで、先輩に付き合ってみたら、意外と面白い発見があるかもよ?」
「キャパ不足なんだけど」
「増設しなさい」
ぴしっと言い切る苑子に、反論は無駄である。
子供の頃からいつも最終的な決定権はこの姐御、苑子にある。
太一はくすくす笑って、もう口を出すつもりはないようだ。
苑子の言ってることは、間違ってはいない。それは分かるのだが、気が進まないのはまた別の話。
十玖は、深い深い溜息をついた。