不器用な僕たちの恋愛事情
美空は下駄箱を開け、げんなりとした。
ボロボロになった靴。死ねと殴り書いた紙きれ。
ローファーをここまで丁寧にボロボロにするのは、さぞかし骨の折れた事であろう。
美空はズタボロの靴を、下駄箱脇のゴミ箱に投げ捨てる。
「お気に入りだったのになあ」
履けなくなった靴を持ち帰っても、家族に心配を掛けるだけだ。
上靴のまま校舎を出る。
同じく部活帰りの生徒に紛れ、トボトボと駅に向かう。と、背後から肩を叩かれた。
「苑子ちゃん。太一くん」
「一緒に帰ろ」
苑子が隣に並んで歩き出す。
「背中が寂しそうだったよ」
「そお?」
「相方いないもんね」
「相方って…。いつもって訳にはいかないよ。あたしもやる事あったし」
十玖は今頃、音楽室でリハーサル中だろう。
美空は写真部が参加予定の一般公募のフォトコンの写真選びがあった。
「斉木。靴どうした? 上靴だろ、それ。…嫌がらせされてる?」
太一は気付いてしまったようだ。
美空は肩を竦め、嘆息した。
「十玖には言わないで。また心配かけるから」
「掛ければいいじゃん。あいつ斉木の心配なら喜んでするよ?」
「最近の趣味、斉木美空だからね。掛ければいいのよ」
幼馴染み二人が勝手な事を言っている。美空は苦笑し、「ダメダメ」と手を振った。
「ただでさえ心配性なのに」
「その心配性が心配もさせて貰えないとなったら、変に空回りするから言ってるの。そんな事になったら余計ウザいでしょ」
散々な言われようだ。
「見てる方は面白いけどね」
「またそんなこと言って」
「けど斉木。マズイって思ったら、俺ら十玖に言うよ?」
太一の心配も解る。
美空は頷いた。
*
五月四週目、水曜日。
嫌がらせ犯は、ライヴの翌日はテンションが上がっているらしく、朝っぱらからなかなか気合が入っている。しかしこれはやり過ぎだ。
十玖たち四人が教室に入った瞬間、生臭さと鉄錆の匂いが鼻を突いて顔をしかめた。
クラスメートたちが、美空の席に集まって何やら話している。
「おはよ。なんか凄い匂いするんだけど」
眉をひそめた美空が席に行くと、女子が「これ」と机の中を指差した。
中を見た瞬間、美空は小さな悲鳴を漏らし、カバンを落とした。十玖たちも机を覗く。
首を切られた仔猫の死骸。机の天板には“次はおまえ” と殴り書かれている。
十玖は蒼白になった美空を抱きしめた。
気丈な美空でも流石にこれは流せない。戻しそうになり、口を押えた。
「美空。保健室に行こう。苑子、担任に知らせて。悪戯にしては悪質だ」
「わかった」
「美空。我慢できなかったら、構わず吐いていいから」
そう言って美空を抱き上げると、十玖は足早に教室を出た。追い駆けるように苑子も教室を出て、職員室に走る。残ったクラスメートたちは、窓を全開にした。
保健室行くと、有理はまだ来てなかった。
美空をベッドに寝かせ、十玖は職員室に急いだ。
職員室では、丁度苑子が担任を引っ張て行くところで、話を聞いていた有理が十玖の元に走り寄って来た。
「美空ちゃんは?」
「寝かせてきた。大分ショックだったみたいだ」
「とにかく行きましょ」
有理が背中を押す。
二人は足早に保健室に向かった。
保健室を目前にして、走り去る人影を見た。十玖は慌てて駆け込み、カーテンを勢い良く開ける。
美空は気持ち悪そうに体を丸めて小さくなっていた。素早く美空の無事を確認して、十玖は安堵のため息を漏らす。どうやら杞憂だったようだ。
「美空ちゃん。大丈夫? 我慢しないでこれに吐いていいからね?」
枕元に洗面器を置く。
十玖は椅子を持ってくるとベッドの脇に腰かけ、美空の手を握った。
一時限目は授業どころの騒ぎではなかったようだ。
担任は元より、学年主任や校長、教頭まで現場を見に来、職員会議のため自習となった。
用務員が死骸を片付け、美空の机が入れ替えられた。
苑子と太一は二人のカバンを保健室に持って来ると、今日は早退していいと言った担任の伝言を伝えた。
少し落ち着きを取り戻した美空の背中を苑子が擦る。
「大丈夫? 動けそう?」
「う…ん。ありがと」
二人のやり取りを尻目に、太一が肘で十玖をつついた。顎をしゃくって、付いて来いと目が言っている。
廊下に出ると、太一は美空が嫌がらせを受けていたことを十玖に白状した。
「何でもっと早く言ってくれなかったんだよ」
「斉木が十玖には言わないでくれって」
「僕のせい…?」
「さあ。そこまで話してくれなかったから。心配させたくないって言ってたよ」
「美空の心配ならしたってし足りないのに」
「だから、それは俺も苑子も言ったよ。斉木の心配なら喜んでするヤツだからって」
それでも美空は話してくれなかった。
十玖は唇を噛んだ。
「おい十玖!」
呼ばれて振り返ると、晴日と竜助がこっちに走って来ていた。
「晴さん。竜さん」
「美空は?」
「大分落ち着きました。今日は美空連れて早退します」
「そっか。頼むな」
「はい」
晴日が保健室に入ると、それに続いた。
ベッドの脇に立った兄に、抱き着いた美空。チクリと胸に痛みを覚え、十玖はくしゃりと顔を歪めた。
有理にタクシーを呼んで貰い、斉木家に帰宅すると、美空を横にならせた。
冷蔵庫のミネラルウォーターとグラスを持って、美空の部屋に戻ると彼女は起き上がって、うな垂れていた。
「起きて平気? 気持ち悪くない?」
「うん。ごめんね」
「気にしなくていい」
十玖は水をテーブルに置くと、ベッドの端に腰かけて肩を抱いた。すっと身を預ける美空。
彼女の髪に口付けて、腕をゆっくり擦る。
「僕に…言って欲しかった」
「ごめん。心配掛けたくなくて」
「心配させてよ。美空に何かある方がツラい」
胸元に縋り付いて来る美空を抱きしめた。
すすり泣く彼女の背中を擦り、耳元で “星に願いを” を静かに歌う。
いつの間にか泣き声は止み、美空はくすりと笑った。
「何で “星に願いを”?」
「泣き止んだでしょ?」
微笑む十玖が目を覗き込む。美空は「そうね」と頬に手を添えて笑う。
「…僕の願いはね、美空が何の心配もなく、傍で笑っててくれる事だよ」
そう言って、瞼にキスをした。
栗色の髪を指で梳き、愛しそうに美空を見つめ一房に口付ける。
「いつから?」
それでもまだ白を切ろうとする美空に、不機嫌な顔になる。もう一度「いつから?」と訊かれて、美空は観念した。