不器用な僕たちの恋愛事情
10. 歪み


 五月三週目、金曜日。

 美空は二日ほど休んでいる。

 十玖は自分が原因で、美空が酷い目に遭ってる事を知った。

 彼女が別れたいと言った時には、もう嫌がらせは始まっていたようで、次第にエスカレートしていったらしい。美空が断固として言ったのは、怖いから別れたいと言ったのではないという事。

 ただそう言って別れ話を切り出してくれてたら、あんな酷い抱き方をして、彼女をむやみに泣かせることもなかっただろう。

 容疑者は不特定多数。

 分かっているのは、この学校の生徒、もしくは関係者。校内に居てもおかしくない存在。

 あんな事があったとは思えないほど、日常は穏やかだ。

 標的が自分だったら楽なのに。

 A・Dのメンバーだから、その彼女だから、美空はツラい思いをしている?

 ならA・Dを辞めたら十玖に興味を失って、美空に危害を加えようとしなくなる?

 しかし十玖が目的なら、辞めても意味がない。

 最善の方法は、解ってる。解ってるのに、その選択肢だけは選べない。選びたくない。

 正体の見えない相手に、苛立ちは募っていくばかりだ。



 背中の傷はもうカサブタになって、所々かゆくて仕方ない。有理に殴られた傷も完治した。

だからこれと言って用事がある訳ではないのだが、いつもなら近寄りたくもない保健室のスツールに腰掛け、有理の背中を眺めていた。美空のいない教室に居たくないのと、彼女がいない今、何らかの接触を取って来るのではないかとの期待もある。

「美空ちゃんの様子はどう?」

 有理がコーヒーを差し出しながら言った。

「落ち着いてるよ。暇だってラインが来てた」

 受け取ったコーヒーを啜る。

「そう。なら良かったわ」

 有理も腰かけてコーヒーを啜った。上目遣いで十玖を見る。

「あんたは? 大丈夫?」
「…平気」
「たまには弱音吐いたって、誰もあんたをバカにしたり、責めたりしないわよ?」
「そんなんじゃないよ。本当に平気だから」
「ふうん。背中は?」
「かゆい」
「ははっ。早いわね」
「若いからね」
「引っ掻いちゃダメよ?」
「なかなか抗いがたい誘惑で困ってる」

言われた傍から背中に手を回し、ブレザーの上からボリボリ掻いて有理に「こらっ」と手を止められた。

仕事を淡々とこなす有理をぼさーっと眺める十玖に、彼女は取り立てて何かを言うでもなく、時間がゆっくり過ぎて行く。

 コーヒーを一気に飲み干し、「ごちそうさま」と十玖は立ち上がった。

 教室に戻る時間だ。

 引き戸を開けると、目の前に女生徒が立ちはだかった。十玖が見下ろすと、会釈する。合唱部の高橋だ。

「どうも。先輩」
「…ああ。ゴメン。邪魔だね」

 十玖が前を開ける。

「すみません」

 頭を下げながら前を通り過ぎる。十玖は思わず高橋の腕を取った。振り返った高橋が怪訝そうな顔で見上げてくる。

「先輩?」
「ごめん。何でもない」

 手を離すと、高橋はもう一度会釈して、有理の元に行く。

 鎮痛剤を貰いに来たことを聞くともなしに聞いて、十玖は教室に戻った。



 誰彼構わずすべてが怪しく思えてくる。

 疑いたくなんてないのに。

 授業のノートを持って美空に会いに来た。

 顔を見た瞬間、今日の美空不足を埋めるように、抱きしめキスをする。

 数時間会わないだけでもこんなに美空が愛しいのに、別れる選択をする事なんて到底無理に決まってる。

「ちょっ…十玖」

 美空が腕を押さえた。訴えるような眼差し。

「ごめん。もう少しだけ」

 プルオーバーの中に手を滑らせ、しっとりとした肌の感触を感じる。

 十玖の背中に腕を回し、頬を寄せた。

「十玖。何かあった?」
「何もない。ないけど、美空もいなかった」

 それだけで、えも言われぬ喪失感を感じるのは、失いかけた日々を思い出させるから。

 もう二度とあんな思いはしたくない。

「怖いんだ。美空」
「何が怖いの?」
「僕を…離さないで」

 美空の手がそっと頬に触れ、「離れない」と微笑む。十玖は貪るようにキスをし、背中を撫で上げると美空が体を強ばらせた。

「…美空」
「や…玄関先で。お兄ちゃん、帰ってくるのに」

 突き放そうとする美空の腰を引き寄せ、キスをしたまま抱き上げる。美空はぼうっとしてくる頭を必死に切り替え、キスから逃れて首に抱きついた。

「きょ…今日、ライヴ…でしょ? こんな事、してる間ないよ」
「美空不足の方が重大。心が死にそうなんだ」

 抱え上げたまま十玖は美空の部屋に雪崩込んだ。

 ベッドに押し倒し、首筋に口づけて深く息を吸った。

「美空の匂い、落ち着く」
 
 耳元の声にゾクッとして、美空は無意識に首に回した腕をギュッと引き寄せた。

 美空のまさかの反応に一瞬驚いて、それから笑みを浮かべた十玖の手がプルオーバーの中を滑るように這い上って行く。

 ブラを押し上げて乳房を手の中に収めると、美空の微かな声が漏れる。

 唇を重ねた時、それは唐突に訪れた。

「美空。とお…く…」

 三人がフリーズした。

 ぎこちなくお互いを見る。

「いや――――ッ!!」
「わ――――ッ!! 晴さんッ!!」

 二人同時の叫び。

「わりい。邪魔したな」

 何事もなかったように、平然と扉を閉める晴日。

 美空は十玖を突き飛ばし、慌てて服を直した。十玖は茫然とベッドに座り込んで、扉を眺めてる。

「もおっ! お兄ちゃん帰って来るって言ったのにぃ」

 美空がボカボカと背中を叩く。

「美空だって途中からその気になったじゃん」

 拗ねた十玖の言葉に真っ赤になった。

「とーくのバカッ!! しばらくあたしに触らないで!」

 美空の思わぬ反撃に、十玖の顔が一気に情けなくなる。

「ハグは?」
「ダメ!」
「美空~ぅ。ごめん。ハグも出来なかったら、干からびて死んじゃうよぉ」
「知らない! 一度着替えに帰るんでしょ。さっさと行けばっ!?」

 そう言って十玖のお尻をゲシゲシと蹴飛ばす。堪らず立ち上がり、美空を振り返った。

「な…なによ」

 ファイティング・ポーズで牽制する美空。

 十玖が顔をぐっと美空に近づけると、わずかに後退った。

「干からびる前に救済してね?」

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