不器用な僕たちの恋愛事情
BEAT BEASTはいつにも増して客の入りが良かった。
“To be free” が先日からCMで流れるようになった影響だろうか。
「久々に見たけど、いい男に育ったんじゃない?」
カウンターに肘を預け、カクテルグラスを片手に、遠目にも長身と分かる艶やかな美女だ。バーガンディのルージュが一際目を引く。
緩いウェーブの栗色の髪は背中の中程まであり、細身のスーツをしなやかに着こなす。タイトなスカートから伸びる無駄なものを削ぎ落とし、ピンヒールと一体化したような下肢は、絶妙なバランス。
「う~ん。いいねえ」
片や人が良さそうで、何処にでもいそうな中年の男。ポロシャツにチノパンと身綺麗にしているので、くたびれた感はないが、連れの女性とはあまりに違いすぎる。しかし、ステージを見るその眼光は鋭い。
美女はホールスタッフに声を掛けた。スタッフ経由で美女に呼ばれた筒井は面喰らい、終始「はあ」と応えるばかりだった。
A・Dが控え室に戻ってくると、呆けた顔の筒井がスツールに腰掛けていた。
視線の先にあるのは名刺。
「筒井マネ?」
謙人が声をかけた。
筒井はのろのろと顔を上げ、「おつかれ」と心ここにあらずだ。
それぞれが飲み物を手に腰掛け、一息ついた。
謙人はテーブルの上の名刺に目をやり、手にするとふわりと名刺から品の良い香りが漂う。
「アバダンティア代表、本郷ディアナ…?」
謙人は鼻先で名刺を振りながら、何の香りか思い出そうとしている。香りを思い出す前に、名刺の主を思い出したのだが。
「アバダンティアって言ったら、大手のモデルエージェンシーですよね。そんな人が何の用ですか?」
各業界に精通している企業のお坊ちゃまは、こんな事にも明るかった。
メジャーレーベルのスカウトマンが来るなら話は分かるが、モデルエージェンシーは畑違いだ。
筒井は、ハッとして顔を上げる。
「トーク。本郷社長が “華子が待ってるから顔を出しなさい” って言えば、分かるって言ってたんだけど、華子って誰? 社長とどう言う知り合いなの!?」
いきなり振られて、十玖は考え込んだ。
「トークにしか頼めないって言ってたんだけど」
「僕?」
そう言われてまた考え込んだ。
考え込むこと三分ちょっと。十玖は「ああっ!」と手を打った。
「あの華子さんか。久しぶりですっかり忘れてた」
「誰なの?」
「本郷ディアナ華子さん。社長と華子さんは同一人物で、イトコのマネージャー兼任してます」
「社長自ら?」
「イトコが曲者なんで」
「そこまでするモデルって…ちょっと待って。聞いたことある。……SERI?」
「です」
控え室に驚きの声が響き渡る。
SERIと言えば、グラビアだけでなくCM、ショーに引っ張りだこのモデルだ。
兄にイケメン小説家の高本泰成(たかもとやすなり)、舞台俳優の力(りき)、唯一の弟でモデル兼俳優の淳弥(じゅんや)がいる。長男の健と次男の基樹(もとき)は、家業の病院医師をしている、煌(きら)びや家族だ。一時期すごい話題になったことがある。
「トーク。今まで一度だってそんな話したことないわよね?」
「僕には関係ないですから」
「関係なくないでしょ。従兄弟でしょ!?」
「そうですけど、僕には普通に従兄弟ですし、自慢しても別に」
そこは普通自慢したがるもんだ、と全員の相違ない思いを、十玖は感知していない。
しかし見事な男系一族は、間違いなく三嶋の血縁だ。
見目麗しく、煌びやかな一族を鑑みれば、十玖のこの容姿も納得してしまう。
「トークにしか頼めないって、どういう事?」
筒井が話を戻した。
華子が直接来て、十玖にしか頼めないということは、SERI絡みということだろう。
「せっちゃん…SERIはえらく人の選り好みをするというか、危険?」
「危険?」
全員がオウム返しに訊いてくる。
どこまで話していいもんだか考えて、十玖は当たり障りのない言葉を探す。
が、ないので、オブラートに包みながら話すことにした。
「業界では有名らしいですが、SERIは大の男嫌いで、下手に近づくと身内でもかなり危険というか。三嶋の家系にたまに突出して運動神経いいのが出ますけど、彼女はそれです。僕でも手こずる強さですから」
「十玖が手こずるってどんなだよ」
十玖に連敗記録を尽く塗り替えられている晴日が呟いた。
「けど淳弥と僕だけは圏外扱いなんですよね。男のカテゴリーに分類されてない? そんな感じです。だからご機嫌取りでもして欲しいって事なんですかね…?」
「いや。違う違う」
筒井は顔の前で手を振った。十玖はきょとんとする。
「正式にオファーしたいって事だったんだけど。モデル。それがなんで十玖にしか頼めないのかが分からなかったの」
十玖はすくっと立ち上がり、リュックを持って更衣室に入ってしまった。
「え…ちょっとトーク!?」
返事はない。
筒井はオロオロして更衣室の前に佇む。間もなく十玖が不機嫌な顔をして出てきた。
「その話、正式に断って下さい」
「何で?」
「問題を増やしたくないんで」
モデルなんて冗談じゃない。A・Dの事だってどうしようかと思っているのに。
目立つことは、これ以上遠慮したかった。
「問題って何?」
その言葉を無視し、「帰ります」と十玖は先に出てしまう。
残された晴日たちは、いま学校で問題になっている事を筒井に話した。
一人BEAT BEASTを後にし、駅に向かっている途中で見知った顔を見つけた。
相手も気づいたようで、手を振って近付いて来る。
「十玖先輩、お疲れ様でぇす。一人ですか?」
「…ん。智ちゃんも一人?」
亜々宮(あーく)の彼女の早坂智子だ。
「いえ。クラスの子も一緒です。いまコンビニに行ってて。先輩。今日のライヴ、サイコーでした! “To be free” 良かったです」
「ありがと。でも亜々宮には内緒でしょ?」
「はあまあ。なんであんなにヒネくれてんですかね」
「何でだか嫌われてるんだよね」
心当たりが分からないから対処のしようもない。
「智ちゃんはもう帰るの?」
「はい。駅まで友達と一緒に」
後方のコンビニを指し、振り返った。ちょうど友達が出てきて、智子を探しているようだった。
「メグ。こっち」
智子が大きく手を振った。メグと呼ばれた子が、小走りでやって来る。十玖の体に一瞬、緊張が走った。
「高橋?」
「先輩! お…お疲れさまでした。すごく良かったです」
「あ、そっか。メグ合唱部だっけ」
うん、と笑う高橋。
最近、高橋とよく遭遇する。気のせいかも知れないが、告白をされた頃から、ちょくちょく見かけるような気がしてならない。
振った手前、申し訳ないと思うから、余計にそう感じるのかもしれないが、何故か落ち着かない。
「智ちゃん。家まで送ろうか?」
言いながら、高橋の反応を見ている。
「やった。でも亜々宮には内緒ね」
「分かってる。高橋は? 家どこ?」
「うちは反対方向なんで」
「そお。じゃ駅まで一緒に行こう」
「はい」
特に変わった様子は見られない。
三人は駅に向かって歩き出す。
「斉木先輩は一緒じゃないんですか?」
高橋が聞いてきた。十玖は微かに眉をひそめて彼女を見る。
「来てないからね」
「そうですか…ああ。そう言えば大変でしたよね」
全校集会で、問題提起された。
美空が被害者だという事は、瞬く間に広がった。人の口に戸は立てられないとは、よく言ったものだ。
何食わぬ顔でいう高橋。それが何故神経に障るのか?
高橋は首を傾いで、十玖を見上げてくる。
「先輩って、昔ちょっとだけキッズモデルしてませんでしたか? 高本淳弥と一緒に。確かみんなに “とおくくん” て呼ばれてた。珍しい名前ですけど、違います?」
「えっ先輩ホント!? 高本淳弥って、あの俳優の!?」
智子が袖を引っ張って聞いて来る。十玖は小さく頷くと、智子は一人で大はしゃぎだ。
十玖の眼差しが自然と厳しくなった。高橋に対して、どんどん警戒心が高まって来る。
彼女はふふと笑う。
「どうしてって顔ですね。父がアパレル関係者で、見学によく連れて行って貰ったんです。その頃から先輩、優しかったですよね」
屈託なく笑う彼女に感じる違和感。
これは何なんだろう。
華子からのオファーに引き続いて、昔を知る高橋。
彼女の事は全く記憶がない。
「先輩、いつの間にか辞めちゃって、そしたら今度はA・Dのボーカルで現れるんだもん。ビックリしちゃった」
嬉しそうに笑っているのに、十玖には空々しく見えてしまう。
高橋が何かをやったという訳じゃないのに。
一刻も早く駅に着き、高橋と別れたい。
「あの頃から、あたし先輩のこと好きだったんですよ」
くすくす笑う。
手を伸ばしてくる高橋を咄嗟に拒絶した。