遠い昔からの物語
だけど、谷崎の本を読んでいるときだけは、今戦時の真っ只中にいることも、一日中お腹が空いて空いて堪らないのも、忘れられた。
疎開者には徴用がない代わりに、配給もないので、わたしの食べる分は、伯父・伯母・下の従姉の廣子の三人分の配給分から捻り出されている。
「お腹が空きました」とは口が裂けても云えない。わたしのせいで、余処の家よりもひもじい思いをさせているのだ。
だから、配給切符を持って並ぶのは、わたしの「仕事」だ。
手にするまでかなり時間がかかることもあるが、いつ鳴るか知れない空襲警報に怯えながら、長い行列の中でひたすら待っているのに「遅配になった。明日来とくれ」とすげなく云われる東京に比べたら、はるかにマシだった。