遠い昔からの物語
三月の空襲もひどいものだったが、風向きが突然変わったおかげで、うちの近所はなんとか焼け残った。
だけど、五月のときは駄目だった。
警報が鳴ったと共に家族三人で防空壕に飛び込んだけれど、父が今度の標的はうちの近辺だと察して、このままでは直撃弾を受けるかもしれないからと、慌てて飛び出した。
外に出たら、黒いものが夜空から落ちてきた。
防空頭巾についたので触ってみると、べとっとしているからなんだろうと思ったら、それは油だった。
火が移ったら、ひとたまりもない。わたしたちは無我夢中で駆け出した。
周りは既に火の海だった。どちらに逃げたらいいかなんてわからない。
何処からこんなに人が沸いてきたのか、と思うくらいの大勢の人たちが、火の中で怒声や叫声を発して右往左往していた。
足の遅い母が、何度も群衆に飲み込まれそうになる。わたしは振り向いて、母の手をしっかり握った。
ヒューッという音のあとに凄まじい爆音が轟く中、ただ父だけを見て、逃げて逃げて逃げた。