遠い昔からの物語

「東京に住まわれて長いんですの。こちらの訛りが全くないから」

わたしはお茶を差し替えながら(たず)ねた。

「まだ三年ほどですよ。こちらの一中を出て、都立の工業専門学校へ進学して以来だから」

彼はお茶を受け取りながら答えた。

入学した時分は「都立」ではなく「府立」だったはずだ。

一昨年、東京府が「行政ノ統一及および簡素化」により東京都に変わり、戦時体制の強化という錦の御旗の下で東京市が廃止され、防空のための対策や生活必需品の配給などは三十五区のそれぞれが担当することになった。

わたしもこの地に疎開するにあたって、区の役所で空襲による()災証明書と疎開転出証明書を発行してもらっていた。

罹災証明書があれば疎開先でも配給が受けられるとのことだったが、地元の者ですら深刻な食糧不足の折、疎開者に回ってくることはなかった。

また、余処(よそ)者がその「権利」を主張することも(はば)かられた。

「きみは、まだ女学生ですか」

今度は彼の方が訊いてきた。

「いいえ。去年の秋に、繰上卒業しました」

わたしたちの学年は、お国からの指示で従来よりも半年早く卒業を迎えていた。

「でも、なんだか申し訳なくてよ。卒業したわたしたちが内地に残り、学業途中のあなた方が中断して入隊し、外地に赴かなければならないなんて」

わたしは目を伏せた。

「だが、きみたちは、こうして、銃後を支えてくれているじゃありませんか」

彼は、傍らにある慰問袋をまた手に取った。

「……これが、戦地に届くんだな」

彼は慰問袋へ目を落として、ぼそりと呟いた。

「僕も、もうじき、これを受け取る側になるのか」

彼はなんとも云えない複雑な笑みを、うっすらと浮かべた。

「開戦した時分は、もっといろんなものを送れましたけれど、最近はなにぶん、物資が乏しくて」

わたしも彼の手にある慰問袋を見つめた。

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