遠い昔からの物語
土間の上に、彼は胡坐をかいて座った。
「東京にいた頃は、ちゃんと防空壕に入っていたんだろう」
わたしはこっくりと肯く。
「だろうね……でないと、命がいくつあっても足りないもんな」
彼はポケットをまさぐり、煙草とマッチを取り出した。
「……三月のときは、家が焼け残ったんだけど……五月の時で……」
わたしがそう云うと、彼は合点がいった顔をした。
「三月と五月の空襲は……本当に……凄まじかったもんな……」
一本抜き出し口に咥え、マッチを擦って火を点けた。
「僕だって、あの猛火の中を、無我夢中で逃げまくったからね。
……同じ下宿の学友が死に、自分がなんで助かったのか、未だによくわからないよ」
一口吸って、煙を吐き出した。
「人間って……ちょっとした偶然によって、死んじまったり、生き残ったりするんだよな……」
煙草もマッチも貴重品だから、彼が喫煙するのを見るのは初めてだ。
彼が煙草を吸う間、沈黙が流れた。
彼は、亡くなった人に思いを馳せていたのかもしれない。
彼にも、わたしと同類の、心に負った傷がある、と感じた。