意地悪な彼ととろ甘オフィス
「あなたたち、ずいぶんすれ違ってこじらせちゃってる気がするんだけど」
片手でおでこを覆い、夜空を仰いでいた寧々さんは、気を取り直したみたいに笑顔を作り、ブラウスの胸ポケットを漁り出す。
「いいわ。とりあえず今日は帰るわね」
「あ、はい」
「あなたも今度うちのお店にいらっしゃい。奢るわよ」
渡された名刺を見ると、大きな黒い蝶々と〝Nene〟という店名が書かれていた。
場所は、隣の駅前だ。
「じゃあ、もう遅いし早く家に入りなさい。見届けてあげるから」
遠慮しても「女の子なんだから」と譲ってくれない寧々さんに甘えて、玄関を開ける。
挨拶するために振り向くと、寧々さんは「ああ、そうだ」となにかを思い出したように言った。
「響哉ね、カウンターに座って、ずっとペットボトルの炭酸水眺めてたわよ」
「え……」
「〝それでお酒作ってあげるからちょうだい〟って言ったら〝触んじゃねぇ〟って睨まれちゃったわ。よっぽど大事な子からもらったのかしらねぇ?」
意味深な言い方をした寧々さんが「じゃあね」と背中を向ける。
慌てて「帰り道、気を付けて」と声をかけると、手をひらひらとされた。
『あの子、うちの店に来ては潰れるほど飲んで悪酔いするのよ。その理由がどうやらあなたにあるみたいだから、ちょっとね』
『〝触んじゃねぇ〟って睨まれちゃったわ。よっぽど大事な子からもらったのかしらねぇ?』
……そんなわけない。
そんなわけないけど……。
性懲りもなく、また膨らみだしてしまった期待を、ふるふると首を振って払い落とす。
部屋に戻って窓の外を眺めたけれど、成瀬さんの部屋の電気は消えたままだった。