意地悪な彼ととろ甘オフィス
月半ばということで仕事量がなかったこともあり、この日は定時で仕事を終えることができた。
須永先輩や他の社員も順調だったようで、帰り支度を始めているひとも見受けられる。
「私、これ営業課に渡してくるから。そしたら私もすぐあがれるし、日向は先に帰っていいよ」
席を立った須永先輩に「わかりました。お疲れ様です」と挨拶する。
お腹の痛みは相変わらずだけど、会社にいるのと家にいるのとでは気分が違う。早く帰れば少しは楽になるだろう。
そんな風に思い、パソコンの電源を切ろうとしたときだった。
「日向さん~」
ネコナデ声に嫌な予感がしながらも振り向くと、ファイルを持った古館さんがいた。
眉はハの字。困ってますって顔だった。
古館さんの態度を見てか、他の社員はバタバタと帰っていく。
なにか仕事を頼まれる前に逃げたんだろう。私だって、誰か他の社員が捕まっていたらそそくさと帰っているところだ。
「……なに?」
「このファイル、新しいページを差し替えなきゃなんですけど、今日どうしても外せない用事があるんです……」
古館さんが持っているのは、会社の規則が記されたものだ。
年に二度、削除されたり付け足されたりしてページが変わるから、その度に差し替えをしている。
「でも、三十分もあれば終わる作業だし――」
「でしょ? だったら日向先輩、お願いしますぅ。三十分で終わるならいいですよね?」
いいわけがない。
遅刻ギリギリできて、お昼休みだってなんだかんだ理由つけて他の人よりも三十分も多くとっておきながら仕事が終わらないなんてありえない。
けれど、ここでお説教するよりも自分でやってしまった方が楽なのはたしかだった。
お腹が痛い中、古館さんと向き合って話すのは数分が限界だ。
もういいや。あとで須永先輩に笑い話にでも変えてもらえれば。
そう思い、ファイルを受け取ったときだった。
「あれ。帰るの?」
もう人もまばらになった総務課に、成瀬さんが姿を現す。
今さらなにか仕事を頼まれても嫌だな……と考え見ていると、スタスタと近づいてきた成瀬さんは私にチラッと視線を向けたあと、古館さんを見て笑顔を作った。