オトナの恋は礼儀知らず
 お店を出ると綺麗な月夜だった。

「マスターって信用できる人ですね。」

「え、えぇ。」

「僕が友恵さんのことが知りたくて聞いたことがあるんです。
 でも教えてくれなくて。
 友恵さんに会えるかもしれないし、毎晩通いました。」

「毎晩ですか?」

 マスターは常連客のことを軽々しく話したりしない。
 だからって毎晩通っていたなんて。

 当時は会わないように避けていたくせに心が痛んだ。

「だから執念ですよ。
 どうしても会いたかった。
 そして今こうしていられるのだから何も言うことはありません。」

 会えたのはやっぱり桜川さんの努力だった。
 会うことは桜川さんの努力によって偶然ではなく必然にされていたのだ。

 それを煩わしく思うどころか嬉しく思う私はもうずいぶん桜川さんに毒されている。

「たぶん前にマスターが僕に1杯ご馳走してくれたのは、何も教えられなくてすまないね。という気持ちなんだと思いました。
 仕方ないことなのは分かっているのに……マスターの信用問題に関わりますからね。」

 あぁ。そうか。
 だから私にも桜川さんがバーに来ていることを教えなかった代わりにカクテルをご馳走してくれたんだ。

 それはきっと2人が上手くいくようにという気持ちも込められていたのだろう。
 お店に入った時のマスターの微笑みが優しく沁みていく。

「カクテルに意味があるのを知っていますか?
 花言葉みたいにカクテル言葉と言うらしいです。」

 たまにマスターが意味を教えてくれる時もあるから、そういうのがあるのは知っていた。

「僕が最初にマスターにいただいたのは、鮮やかな赤が印象的なキールというお酒でした。
 カクテル言葉は『最高のめぐり逢い』
 その言葉にやっぱりマスターは応援してくれているんだと嬉しかった。」

 最高のめぐり逢い……マスターが見てそう思ったのだ。
 まだその時は2度目に会う前だろうから、最初に2人で飲んでいた時に思っていたなんて……。

「今日のXYZは永遠にあなたのもの。
 サイドカーはいつも二人で。
 なんだかマスターにやられちゃったな。」

「詳しいんですね。」

「いや。付け焼き刃ですよ。
 次に友恵さんと飲める時があったら意味のあるカクテルをプレゼントしたかったから。」

 それをマスターにやられては出る幕がなかったと残念そうな桜川さんが驚くことを口にした。

「もしも僕が友恵さんを探している時にカクテルを送るんだったらブラックベルベットかな。」

 それ、マスターにいただいたのだわ。

「忘れないで。なんて女々しいかな。」

 ううん。奇しくもそうなったわ。
 忘れられなかった。


 月夜に照らされたベンチは影を作り、私達の影に重なってまた離れた。

 側にいて重なり合った影は桜川さんの影の分だけいつもより長くなっていた。



 マンションの前で桜川さんが立ち止まった。

 もう着いたんだと残念な気持ちが押し寄せていると桜川さんの空いていた手が私の空いていた手を取った。
 つないでいた手と重ねて両手に包み込まれると穏やかなぬくもりは桜川さんそのもののようだった。

 そしてその桜川さんが声を落としてつぶやいた。

「離れたくないな。
 ……また会いに来ます。」

 優しく触れる唇に愛おしくて離れたくなくなって、しがみつきたい気持ちを押さえ込んだ。
 結婚を断っているのは自分自身なのだから。






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