恋愛ノスタルジー
赤の種類
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「刷毛」

「はい」

翌日の土曜日。場所は凌央さんのアトリエ。

シャッシャッと、刷毛で紙に水を塗る音だけがする。

「裏返すぞ」

「はい」

今日からは約二ヶ月後の現代アートの個展のに向けての作業だ。

「そっち持って」

「はい」

「タッカー」

「はい」

刷毛の音の後は、パネルの側面にタッカーを打ち込む音が乾いた空気を震わす。

この作業は水張りといって、木製のパネルや板などに画用紙やケント紙等を水で張り付ける作業だ。

特に水彩画など、水を多く使う絵の具を使う際、紙がふやけてしまうのを防ぐ効果があるし、しっかりと固定されるので描きやすいそうだ。

今日は約三十枚の水張りパネルを作る予定だ。

凌央さんがタッカーを置くと、私を見ずに言った。

「……休憩するか」

「はい。あ、銀座で美味しいお菓子を買ってきたんです。コーヒー淹れますね」

「……サンキュ」

「……」

「……」

今日の私達は何だか変だ。

……いや。

私だけが変なのかもしれない。

笑えば頬が引きつるし、いつもならこのアトリエに入るとすぐに画に関する質問が湧き出てくるのに今日は何も浮かばない。
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