それでもあなたを愛してる
9
圭吾は麻酔から覚めた後、高熱が続いてしまい、そのまま面会謝絶となった。
よくやく5日目の今日、面会の許可は下りたけれど、身内でない私には、僅か30分という限られた時間しか与えてもらえなかった。
「圭吾、入るぞ」
西島さんが軽くドアをノックして、圭吾の病室へと入っていく。私も彼の後に続いた。
私達に気づいた圭吾は、ベッドから顔を出してふっと微笑んだ。
その顔は最後に見た時よりも、随分痩せてしまっていた。
「具合はどうだ?」
「うん…まあ、何とかな」
西島さんの言葉に圭吾は力無く笑った。
顔色を見れば明らかに良くない状態だと分かる。
思っていたよりも、圭吾には時間がないのかもしれない。
目の前の現実にショックを受けていると、圭吾が私に視線を向けた。
「佐奈…ごめんな。光輝から全部聞いたよな?」
切ない表情を浮かべながら、圭吾は私をまっすぐに見つめた。
「うん」
目に涙を溜めて頷くと、圭吾はこう続けた。
「こんな方法しか思いつかなかったけど……俺は後悔してないよ。光輝に佐奈を託すことができてホッとしてる。だから……佐奈はちゃんと光輝と幸せになって欲しい」
そう言われるのは分かっていた。
私は無言のまま西島さんと顔を見合わせた。
「あのな、圭吾……。実は圭吾に書いてもらいたいものがあるんだ。佐奈ちゃん、あれ出して」
西島さんに言われ、私は婚姻届を差し出した。
私の名前と保証人である父の名前は既に記入済みだ。
「あ~そっか。分かったよ」
圭吾は小さなテーブルに婚姻届を広げると、西島さんが置いたボールペンを握った。
「待った、圭吾。そこじゃない。保証人のところは、あとで俺が書くから」
「は?」
圭吾は手を止めて、眉をひそめた。
「圭吾が書くのは夫の名前だよ。これは佐奈ちゃんと話し合って決めたことなんだ。佐奈ちゃんのお父さんも承諾してくれてる」
「いや、待ってくれ。話が違うだろ? 二人とも俺に同情なんていらないから」
「同情なんかしてないよ。佐奈ちゃんは会社を守る為とおまえを忘れる為に結婚を受け入れただけだし、俺だっておまえの為と好きな女を忘れる為だった。おまえは誤解してるみたいだけど、俺達の間に恋愛感情なんてないんだ。そんな結婚が幸せになれる訳ないだろ?」
圭吾はしばらく言葉を失っていた。
色々と混乱しているようだ。
「いや……でも、俺が死んだら……佐奈は一人になって…会社だって」
「私は一人でだって生きていけるよ。やろうと思えば何だってできるんだから…。愛のない結婚をするくらいなら、例え未亡人になったって、圭吾の奥さんとして生きていく方が幸せだよ」
「佐奈……」
私は更に続ける。
「それにね、会社のことも大丈夫だよ。西島さんがね、江波家の養子になって会社を継いでくれることになったの。相続税対策?にもなるんだってね。私にもお兄さんができて一石三鳥でしょ?」
「一石三鳥…」
圭吾がポカンと私を見ていた。
「まあ……そう言うことだから何も問題ないよな? 実は俺の方もな…二年前にいなくなった彼女を探し出すつもりなんだ。彼女のお腹には俺の子がいた可能性もあってさ」
「え?」
西島さんの言葉に、圭吾は目を大きく見開いた。
「おまえ……彼女とそんな深い関係だったのか?」
「ああ…圭吾には黙ってたけど、涼子とは結婚も考えてたよ。でも、彼女の方は俺に縁談があることを気にしたのか、なかなか返事してくれなくてさ。だから、てっきり俺との結婚が嫌で姿を消したんだと思ってた。けど……おまえを刺したストーカー女が自供したんだよ。彼女を何度か階段から突き落とそうとしたって。佐奈ちゃんの時みたいに」
恨みのこもった声で西島さんが言った。
「涼子がトイレで吐いたり、お腹を守るような仕草をしてたから、彼女が俺の子を妊娠したと思ったらしい。全部未遂に終わったらしいけど…きっと涼子は、お腹の子供を守る為に姿を消したんだと思う」
「そう…だったのか」
西島さんは、再び圭吾の前にボールペンを差し出した。
「ごめんな、圭吾。土壇場で約束を破って…。でも、佐奈ちゃんには圭吾しかいないし、圭吾だって佐奈ちゃんといるべきだ」
「圭吾、お願い! 私と結婚して! 今のままじゃ……一日にたった30分しか圭吾と会えないよ」
私は圭吾の腕をギュッと掴む。
「佐奈…」
圭吾は目を閉じて大きく息を吐き出した。
心の中で葛藤しているのが分かる。
「圭吾!!」
私が強く呼ぶと、圭吾は私を見つめた。
「これじゃ……しばらく死ねないな」
観念したようにふっと笑うと、西島さんの手からボールペンを受け取ったのだった。