ダ・ル・マ・3・が・コ・ロ・シ・タ(上) 【完】
幸せに恵まれた子でありますように。
母はそんな願いを込めて、[ゆきえ]ではなく、私に[さちえ]と名付けた。らしい……。
ほとんどの人が間違えて読む紛らしい名前だけど、私自身はすごく気に入っていた。
ちなみに、生まれた時から父親はいない。
もちろん訊いたことはある。たった一度だけ。
そのとき母は、
『天国にいるのよ』
と、それ以上の詮索を避けるように私から離れた。
小さいながらも、すぐに嘘だと気付いたのを鮮明に憶えている。
なぜなら、祖父母の遺影は仏壇にあるのに、父親と称される男の人のそれはなかったから。
私に嘘をついている以外の不満があるとすれば、人前に出たがらない母の性格上、過度とも言える出不精で、一緒に外へ出かけた記憶がほとんど無いこと。
だけど、いつも優しく無償の愛で私を包んでくれる母がいたおかげで、父親という存在を“ちなみに”扱いできるぐらい、不自由の無い幼少期。
近所におトモダチもいたし、初恋“ごっこ”もこのときに済ませた。
その男の子の名は、かみむらやすふみ君。
同じ幼稚園に通い、行きや帰りは手を繋いで、いつも一緒だった。
いつしか帰りがけに公園で遊ぶのが日課になって、運動神経が悪く口ベタな私は、その背中についていくのに必死。
でも、苦痛ではなかった。
常に私の前を行く上村くんは、私にとって王子様のような存在。
ある日、私が意地悪な男の子に足をかけられて転び、大笑いされたことがあった。
そのときも、男の子を跳ね飛ばし、守ってくれたのは彼。
十分に初恋のエッセンスを含んでいたが、小学校へ上がるとその関係に変化がもたらされる。
異性を意識しはじめるこの頃。
上村くんは、少しずつ私から遠ざかるようになった。
きっと、私と話しているところを男友達に冷やかされるのが恥ずかしかったのだろう。
なんだかそれでこっちも意識してしまって、小学3年のバレンタインデーを最後に言葉を交わさなくなる。
でも、彼のことはいつも遠目から気にかけていた。
そんな不器用な私にも、時間はかかったけれど、友達と呼べる存在ができた。
それからは、とにかく毎日が楽しくて、胸につかえた小さな恋のトゲもいつしか消えてなくなる。
あのときは純粋だったから、当たり前のように、そういう日々がずっと続くんだと思っていた。