揺蕩うもの
「紗綾樺さんは、とても的中率の高い占い師で、自分をはじめ人の考えを読める能力を持っていると思っています」
奴は真っ直ぐに俺の目を見つめ返して答えた。
「それ以外は?」
「それ、以外ですか・・・・・・」
途端に奴の声のトーンか下がった。
「すいません、いつも紗綾樺さんが自分のことをわかってくれるもので、自分は紗綾樺さんのことを知ってるつもりでしたが、本当は何も知りません。自分が知ってるのは、紗綾樺さんが素敵な女性であることだけです」
「それで、あんたは遊びじゃなく、本当に結婚をしても良いと思えるのか? この先、あんたが浮気をしたら、妹はすぐにわかる。あんたがちょっとほかの女に興味を持っても妹にはわかる。そのうち、それが嫌になって、最後は厄介になって、妹を捨てるんじゃないのか?」
俺は遠慮なく言葉をぶつけた。本当に俺以外の誰かがさやのことを理解してくれて、側にいてくれるなら、それはとても喜ばしいことだ。でも、人間はそんなにキレイな生き物じゃない。すぐに秘密が無いことに耐えられなくなる。どこまでさやに知られているのか、疑心暗鬼になる。そして、最後は化け物呼ばわりでお終いだ。
もう二度と、あんな悲しくて、つらい思いをさやにはさせたくない。
「自分は、紗綾樺さんを裏切るようなことをするつもりはありません。傷つけたり、苦しめたりするつもりはありません」
そう、恋する男にとって試練は燃焼促進剤みたいなものだ。俺が反対すれば、それだけ奴は燃え上がる。だから、反対するのは間違いだ。そんなこと、もう若くない俺ならよくわかる。
「わかりました」
俺があっさり承諾すると、奴は驚いたような表情を浮かべた。それに対して、さやは表情一つ変えずにお茶を飲んでいる。
この温度差が、正直俺には理解できない。どう考えても、さやが結婚を前提に奴と交際しようとしているように思えない。でも、本人達がそう言うなら信じるしかない。
「そのかわり、デートの予定は保護者代わりである自分に報告すること」
「あの、紗綾樺さんは、既に成人されてますよね?」
恐る恐る訊くあたり、本当にこいつはさやのことを何も知らないらしい。
「とにかく、妹と交際しようと言うなら、条件は飲んでもらいます。妹を成人していると思わず、未成年の女の子と付き合っている位の用心深さで、清く正しく交際すること。デートの日は、帰りは送ってくること。いいですか?」
俺の言葉に不承不承、奴が頷いた。たぶん、奴にはなぜ俺がさやのことを未成年扱いさせようとしているのかがわからないんだろう。まあ、当然と言えば、当然だが、交際を続けていれば、そのうちわかるはずだ。
「お兄ちゃん、お茶ちょうだい」
こういう、重要なときでも、さやは何も変わらない。俺はさやの願い通り、ティーポットからお茶を注ぐ。
「あついぞ」
念の為、一声かけると、さやはコクリと頷いた。
「あの、お兄さんの連絡先を教えていただけますか?」
奴の問いに、俺は手近なメモに携帯電話の番号を走り書きして手渡した。
不服そうな奴の表情から、名刺が欲しいのだとはわかる。でも、今の俺はしがない派遣スタッフで、名刺なんてものは持たされていない。今やっている仕事だって、元々自分がやっていた設計士の仕事ではなく、設計士のアシスタント業務だ。
「すいませんね。名刺なんて洒落た物を持てる仕事に就いてないんですよ」
俺が言うと、奴は返事に困ったように沈黙した。
「あ、もう一つ、条件があります」
俺が言葉を次ぐと、さやが少し鋭い視線を向けた。
「さやの過去を知ろうとしないでください」
俺の要求が意外だったのか、さやはすぐに視線を緩めた。
「さやに家族のこととか、昔のこととか、訊かないでください。それが、最後の条件です」
確かに、俺の言葉は矛盾している。さやの何を知っているのかと問うたのに、知ろうとするなと言うなんて、大きな矛盾だ。でも、さやにつらい思いをさせないためには、それしかない。奴が勝手に調べるなら仕方ないが、何も覚えていないさやを質問責めにして苦しめられるのは困る。何しろ、さやは何も覚えていないんだから。
「あの、お兄さんのお名前も伺ってよろしいですか?」
奴が控えめに言う。
「天生目です」
「あ、下のお名前です」
言われてから、奴が苗字を知らないはずがないことに俺は気付いた。
「ああ、すいません。天生目宗嗣です」
「宮部尚生です。よろしくお願い致します」
奴は礼儀正しく名乗りなおし、頭を下げた。もしかしたら、俺が思っているほど悪い奴ではないのかもしれない。
「お茶を戴きます」
そう言うと、奴は飲み頃になった麦茶に口を付けた。その向かいで、さやが大きなあくびをした。
「宮部さん、ご覧の通り、妹も疲れていますので、今晩はこの辺で」
俺が声をかけると、奴は一気に麦茶を飲み干した。警察官になるくらいだ、俺が思っていたよりも、根性があるらしい。
「お兄さん、では、今日はこれで失礼いたします。遅い時間から、お茶までご馳走になったあげく、快く紗綾樺さんとの交際も認めていただき、本当にありがとうございました」
奴はもう一度、深々と頭を下げた。
「さや、宮部さんはお兄ちゃんが見送るから、お前は早く風呂に入りなさい」
俺は言うと、さやの正式な交際相手となった宮部を見送りに外まで出向いた。
奴は真っ直ぐに俺の目を見つめ返して答えた。
「それ以外は?」
「それ、以外ですか・・・・・・」
途端に奴の声のトーンか下がった。
「すいません、いつも紗綾樺さんが自分のことをわかってくれるもので、自分は紗綾樺さんのことを知ってるつもりでしたが、本当は何も知りません。自分が知ってるのは、紗綾樺さんが素敵な女性であることだけです」
「それで、あんたは遊びじゃなく、本当に結婚をしても良いと思えるのか? この先、あんたが浮気をしたら、妹はすぐにわかる。あんたがちょっとほかの女に興味を持っても妹にはわかる。そのうち、それが嫌になって、最後は厄介になって、妹を捨てるんじゃないのか?」
俺は遠慮なく言葉をぶつけた。本当に俺以外の誰かがさやのことを理解してくれて、側にいてくれるなら、それはとても喜ばしいことだ。でも、人間はそんなにキレイな生き物じゃない。すぐに秘密が無いことに耐えられなくなる。どこまでさやに知られているのか、疑心暗鬼になる。そして、最後は化け物呼ばわりでお終いだ。
もう二度と、あんな悲しくて、つらい思いをさやにはさせたくない。
「自分は、紗綾樺さんを裏切るようなことをするつもりはありません。傷つけたり、苦しめたりするつもりはありません」
そう、恋する男にとって試練は燃焼促進剤みたいなものだ。俺が反対すれば、それだけ奴は燃え上がる。だから、反対するのは間違いだ。そんなこと、もう若くない俺ならよくわかる。
「わかりました」
俺があっさり承諾すると、奴は驚いたような表情を浮かべた。それに対して、さやは表情一つ変えずにお茶を飲んでいる。
この温度差が、正直俺には理解できない。どう考えても、さやが結婚を前提に奴と交際しようとしているように思えない。でも、本人達がそう言うなら信じるしかない。
「そのかわり、デートの予定は保護者代わりである自分に報告すること」
「あの、紗綾樺さんは、既に成人されてますよね?」
恐る恐る訊くあたり、本当にこいつはさやのことを何も知らないらしい。
「とにかく、妹と交際しようと言うなら、条件は飲んでもらいます。妹を成人していると思わず、未成年の女の子と付き合っている位の用心深さで、清く正しく交際すること。デートの日は、帰りは送ってくること。いいですか?」
俺の言葉に不承不承、奴が頷いた。たぶん、奴にはなぜ俺がさやのことを未成年扱いさせようとしているのかがわからないんだろう。まあ、当然と言えば、当然だが、交際を続けていれば、そのうちわかるはずだ。
「お兄ちゃん、お茶ちょうだい」
こういう、重要なときでも、さやは何も変わらない。俺はさやの願い通り、ティーポットからお茶を注ぐ。
「あついぞ」
念の為、一声かけると、さやはコクリと頷いた。
「あの、お兄さんの連絡先を教えていただけますか?」
奴の問いに、俺は手近なメモに携帯電話の番号を走り書きして手渡した。
不服そうな奴の表情から、名刺が欲しいのだとはわかる。でも、今の俺はしがない派遣スタッフで、名刺なんてものは持たされていない。今やっている仕事だって、元々自分がやっていた設計士の仕事ではなく、設計士のアシスタント業務だ。
「すいませんね。名刺なんて洒落た物を持てる仕事に就いてないんですよ」
俺が言うと、奴は返事に困ったように沈黙した。
「あ、もう一つ、条件があります」
俺が言葉を次ぐと、さやが少し鋭い視線を向けた。
「さやの過去を知ろうとしないでください」
俺の要求が意外だったのか、さやはすぐに視線を緩めた。
「さやに家族のこととか、昔のこととか、訊かないでください。それが、最後の条件です」
確かに、俺の言葉は矛盾している。さやの何を知っているのかと問うたのに、知ろうとするなと言うなんて、大きな矛盾だ。でも、さやにつらい思いをさせないためには、それしかない。奴が勝手に調べるなら仕方ないが、何も覚えていないさやを質問責めにして苦しめられるのは困る。何しろ、さやは何も覚えていないんだから。
「あの、お兄さんのお名前も伺ってよろしいですか?」
奴が控えめに言う。
「天生目です」
「あ、下のお名前です」
言われてから、奴が苗字を知らないはずがないことに俺は気付いた。
「ああ、すいません。天生目宗嗣です」
「宮部尚生です。よろしくお願い致します」
奴は礼儀正しく名乗りなおし、頭を下げた。もしかしたら、俺が思っているほど悪い奴ではないのかもしれない。
「お茶を戴きます」
そう言うと、奴は飲み頃になった麦茶に口を付けた。その向かいで、さやが大きなあくびをした。
「宮部さん、ご覧の通り、妹も疲れていますので、今晩はこの辺で」
俺が声をかけると、奴は一気に麦茶を飲み干した。警察官になるくらいだ、俺が思っていたよりも、根性があるらしい。
「お兄さん、では、今日はこれで失礼いたします。遅い時間から、お茶までご馳走になったあげく、快く紗綾樺さんとの交際も認めていただき、本当にありがとうございました」
奴はもう一度、深々と頭を下げた。
「さや、宮部さんはお兄ちゃんが見送るから、お前は早く風呂に入りなさい」
俺は言うと、さやの正式な交際相手となった宮部を見送りに外まで出向いた。