日々カオス 〜私に起こるのはこんなことばかり 〜
モーシンと付き合い始めて、数ヶ月経った。

彼の出身地はバングラデシュ。この国と私の縁は2014年から始まっていた。首都であるダッカのソフトウェアのアウトソーシングの会社でインターンをすることになったのだ。いずれ南アジアのどこかの国でITの企業を立ち上げようと思っていた。バングラデシュはアジアの最貧国ということもあり、社会的問題の解決と企業活動のコラボレーションを行うというソーシャルビジネスにも興味があり、その勉強をしたかった。


2014年、3月 バングラデシュ、ダッカ。

汗、湿気、熱気、熱量… 
騒音、騒音、騒音…とにかく音が大きい。この地の宗教の象徴である『アザーン』というお祈りのアナウンスも正直言ってとてもうるさすぎる…。

人力車の自転車版であるリキシャーが群をなす道路。道路も道路と言えるのかわからない、土の匂いがする道。その道には物乞いが集まり、瀕死状態の人が横たわっていたり、一度見たらトラウマになる事柄で溢れている。

落ち着けるどころではない環境けれど、どこか落ち着く、という不思議な感覚。土に根ざしているからなのだろうか?

人口が多すぎる。どこにいても渋谷のスクランブル交差点にいる量の人がいる。人と人の距離が強制的に短いので、汗の匂いがきつい。もちろん渋滞が日常茶飯事。


この地で仕事を始めた。アウトソーシングでソフトウェアを作っているIT企業。日本向けのソフトウェアの仕事が入りそうなので、日本人を探していた企業の社長との出会いにより、そこで1年ほど働くこととなった。

インターンなのでそこまでの収入にはならないけれど、修行だと思って我慢して働いた。私は荒れ狂う混沌とハングリー精神に魅力を感じてしまう一種の癖があるようだ。混沌の中にも深い幸せを感じた。


住んでいた場所から会社に出社する時、いつも命の尊さ、人生の儚さを感じた。
政情も不安定であり、政治的な争いという名目の何が目的かよくわからない暴動がよく起こっていた。それによって出社もできなくなり、仕事が遅れてしまう。大陸で続いている場所に住んでいる人々の不安も理解できてきた。


ここでの生活も困難を極める。電気は1時間毎に止まるし、水道もでないことが多い。当たり前の生活というものはいろんな人たちの行った活動の結果できているということを認識した。生きること一瞬一瞬が奇跡だと知った。ホームステー先にはメイドさん、会社には雑用全般をやってくれる使用人がいる。経済格差というものを思い知らされる。


ホームステー先の子供が暴力的すぎて、子供が大嫌いになってしまった。ここの子供だけではなく、全体的にこの国の子供は暴力的らしい、と日本人の集まるグループで話をしている時に知った。


食べ物も期待していたのに、野菜や果物はホルマルリン漬けにされて売られていると聞き、それから食べ物を食べるのが怖くなって拒食するようになった。ダッカの都市では渋滞のため新鮮な野菜や果物を売るためにわざと腐らせない努力をしているそうだ。倫理など関係ないそうだ。愕然とすることばかりだ。

赤ん坊をレンタルして物乞いする女性、子供たち、力一杯扱ぎながら人を運ぶリキシャワラ、そしてその横に立ち並ぶ建設中のオフィス群、ホテル群。

ビジネスチャンスという意味では、規模には疑問があるけれど、経済的にはこれから伸びていくであろう国の一つではあるのだろう。


彼は、この国で生まれ育ち、世界中どこにいてもここに心がある。
その彼を、私は受け入れることができるのか?
< 6 / 18 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop