黎明皇の懐剣
「だが、ユンジェはあの時、止まらなかった。私はお前を止められなかった。ユンジェは私を守ろうと、使命を果たそうと、傷付いた体に鞭を打って走った」
身に覚えはある。
ユンジェは確かに使命を果たすことで、頭がいっぱいになっていた。何が何でも果たそうと走った記憶がある。
「それだけ、お前に生きて欲しいって気持ちが強かったのかもな。ごめん、そこは改めるよ。痛い思いはもうたくさんだし……ティエンに嫌な思いはさせねーよ」
「違うんだユンジェ。使命を果たそうとしたお前は何も悪くない。ユンジェを置いて行く、だなんて、そんなこともできない。弱い私は最後までお前について来てほしい、と願っている」
無論、ユンジェは最後までついて行くつもりだ。先ほども言ったように、約束を違えるようなことはしない。
「ティエン、何を怖がっているんだ?」
彼が何かに怯えていることは、目を見て分かる。しかし、口で言ってもらわないと、分からない部分だってユンジェにある。
彼の気持ちを尋ねると、ティエンは一呼吸置き、「いまがとても幸せなんだ」と、返事する。
「形はどうあれ、私はユンジェと出逢えたことが本当に幸せだ。お前と出逢ったことで、はじめて自分で生きようと思えた。生かされる人間を捨てることができた。もう、孤独だったあの頃には戻れない」
「なら、悩む必要ないじゃん。お前は巻き込んだ責任を、最後まで取るんだろう? 一緒に生きるって約束したじゃん」
なぜ、あえて独りになるような道を考えたりするのか、ユンジェには一抹も分からない。
「申し訳ない、私は不安だったんだ。ユンジェ、お前はもう私と同じ狙われる存在だ。兄達が、王族が、お前に目をつけ始めている」
麒麟が王族以外の人間に使命を授けた。
しかもそれは、麟ノ懐剣を通して授かった者。同じ懐剣を持つ王族は、ぜひ麒麟の使いを我が物にしたいと考える。
それだけ、懐剣の所有者にとって名誉あることなのだ。
ティエンは胸の内を赤裸々に語る。
獰猛な兄達やクンル王、王族から家族を守れるだけの自信が自分にはなかった。ゆえに臆病風に吹かれ、ユンジェの呆れるようなことを考えてしまった。
なにより、家族を奪われ、失うことが怖くて仕方がない。
彼は弱音を吐く。ユンジェすらも目を見開くほど。こんなティエン、初めてであった。
「お前と過ごした一年も、いまの旅も、苦労は多いが楽しい。こんな日々が続けば良いと思っているのに、周りはそれを許してはくれない」
いつか、ユンジェは懐剣として傷付くのではないか。利用されるのではないか。死を迎えるのではないか。
そんな暗い思考を持ってしまうのだと彼は、苦々しく笑った。
「旅に出て、ずっと不安を胸に抱えていた。どうすれば良いのか、考えれば考えるほど、よく分からなくなったよ。私はお前を守りたいのに」
そうか、ティエンはそんなにも深く悩んでいたのか。ユンジェは間を置き、そっと答える。
「俺だって、ティエンがいつ殺されるのか考えると怖いよ。怖くないと思った日なんてない」
でも。それをさせないために、自分はお役を持った。
それがなくても、ユンジェはティエンを生かすためによく考える。知識が足りないなら、ティエンに助けを求める。
ひとりでは無理でも、ふたりならどうにかなると思っているのだ。
懐剣だとか、麒麟の使いだとか立派なこと言われても、結局は十四のガキ。ユンジェひとりではどうしようもないことだってある。
「ティエン。俺が一緒に生きるって言った意味には、嬉しいや楽しいだけじゃない。苦しいや悲しいも含まれているんだ。都合が悪くなったら一人で頑張る、なんて変だろ?」
そういう時こそ、二人でどうにかして乗り越えるべきなのだと思う。
「ティエンの不安はよく分かった。じゃあ、二人で今後のことをよく考えよう。それが、きっと、一緒に生きるってことだと思う。上手く言えないけど、一人で悩みそうになったら、今みたいに話し合えば良いんじゃねーかな」
それだけでも、きっと不安は薄れる。いつもティエンに精神面を支えられているからこそ、ユンジェもこうして悩みを聞きたいもの。
「お前はもう、俺を十分に守ってくれているよ。目に見えないところでさ。これからも、なんか遭ったら助けてくれ」
痛む肩を動かし、両手でティエンの髪をぼさぼさにしてやる。
彼は小さく噴き出すと、力いっぱい抱擁してきた。痛みに悲鳴を上げるユンジェだが、ティエンはまったく許してくれない。
それどころか、仕返しがてらに髪を乱された。
「ジセンの言う通りだ。お前と話したことで、なんだか、気が楽になった。気持ちも固まった。ユンジェ、私はお前と共に生きる意味を履き違えていたよ」
頭に手を置いて、約束を結んできた。
「ユンジェは言ってくれたな。私を生かすと。ならば、私もお前を生かす。誰にもお前を利用などさせやしない。ユンジェは私の懐剣、兄達になんぞ奪われてなるものか」
この約束は決して破らないと誓う。彼は高らかに宣言した。
「私は強くなる。少なくとも、お前を守れる程度には、強い男になるよ」
ユンジェは妙に照れくさい気持ちを噛み締めた。けれど、相手の決意をからかう気にもなれないので、軽く抱擁を返すことにする。
「俺より強くなるなよ。懐剣の立場が無くなるから」
小声で言うと、彼は声を上げて笑った。