黎明皇の懐剣



 四頭の馬は日の出と共に、しじまの森林を、南の方角へ駆け抜ける。

 本日の天候は快晴、澄み切った空には白い雲ひとつない。
 気持ちの良い青空が地上を見守っている。そこに小さな鳥が飛んでも、肉眼で確認できるほど、空は青く澄み渡っていた。

 来た道を引き返す馬達の後ろでは、白い煙が四、五本と立ちのぼっている。
 それらはたき火から出る煙で、ティエンの指示で焚かせたものであった。距離を開かせて、たき火を焚いたつもりだが、いざ確認してみると、各々距離が近く見える。

 もう少し、離れてくれると惑わせる力も強まるのだが。仕方がない。時間がなかったのだから。

「正気の沙汰とは思えませんね。ピンインさま。わざわざ狼煙(のろし)をあげるなんて」

 ティエンは、前で手綱を握るカグムを冷たく見やる。
 この男の背中を短剣で刺してやることができれば、どれだけ気持ちが晴れることか。果たして本当に晴れる、のだろうか。

 苦々しい私怨を必死に押し殺し、簡単に答える。


「わざと敵に居場所を教えているのだ。あれでいい」

「朝からあんなものを上げたら、さぞ兵達は訝しがるでしょうね。あれは罠なんじゃないか、と……四つも、五つも、煙が上がっていたら何かあると、俺なら思いますね」


 さすが兵に身を置く者。ティエンの思うように勘ぐってくれる。カグムでさえ、このように思うのだから、将軍は余計に勘ぐることだろう。

「なぜ。あんなに狼煙を? あれの他に、たき火をいくつも組み立てさせましたよね。しかも湿気た枝で」

 湿気た枝でたき火を組み立てさせ、火を点けさせた意味がカグムには分からないようだ。それに火を点けても、燃え広がらずに終わる。火はやがて消えてしまう。

 なのに。ティエンは敢えて、それに火をつけた。一体なんの意図があるのだと、カグムが追究してくる。

 答えは簡単だ。

「意味など無い。それが私の目的だ」

「もう少し、分かりやすくお願いできますか?」

 ティエンは繰り返した。

「だから、あれに意味など無いと言っている。お前は今、数の意味を考えただろう? 当然だ。あんなにたき火を用意したのだから、何かしら意味があるのではないかと考える」

「なるほど。それが狙い、ですか」

「不気味だろう? 無意味な狼煙の数も、たき火の数も。相手は何を目論んでいるのだと、勘ぐってしまう」

 よく考える奴ほど、抱いた疑問と敵の目的を合致させようとする。不可解な点が出てくると、それの意味を解明しようと躍起になる。

 ユンジェがまさしくその型で、目的を把握するまで相手側の視点に立ち、なんでそうするのだと考え込む。

 はっきり理由が分からないと、気持ちが悪いのだろう。将軍カンエイがユンジェと似た型であることを願いたいものだ。

「タチの悪い策ですね。俺なら、意味が無いと分かった時点で腹を立てますよ」

「大いに結構。策略に嵌ってくれた証拠だ。まあ、狼煙の数については敵に見つかりやすいように増やした、という理由もある」

「あの数なら、すぐに見つけるでしょう。俺ならあの狼煙を、何かの誤魔化す手段として見ますがね」

「もしくは味方に合図を寄越しているんじゃないか、とも思うだろうな」

 あるいは居場所をかく乱させるためか。たき火の近くに誘導させるためか。
 はたまた、別の目的があるのか。将軍はよく考え、観察を始めるだろう。戦に長けた者なのだ。あれの正体がなんなのか、強く怪しむはずだ。

(よく考える奴の強みは観察力。それから、あらゆる可能性を導きだす)

 それを逆手に取ることができれば、逃げる時間稼ぎになる。

「カグム。貴様は指揮する側だ。あの狼煙を見て、一斉に隊を動かすか?」

 とっくに己の考えを読んでいるカグムは肩を竦め、「いいえ」と答えた。

「まずは偵察を送りますね。状況が把握できないのに、隊を動かすなんて無駄な労力ですから。偵察は基本戦術ですよ」

「では、その偵察がいつまでも戻って来なかったら?」

 彼は鋭く耳をすませ、赤い舌で口端を舐めると片手で手綱を握り、手の平に収めていた目つぶしを構える。

「もちろん。何か遭ったのだと判断し、指揮の自分が動きますね。自分達の気配に気づいたのかと、相手の目的地へ馬を走らせるやもしれません」

 ティエンは細く笑った。良かった、己の読みは外れていない。


「ピンインさま。見つからないように引き返すと申し上げませんでしたっけ? 懐剣が飛び出しても知りませんよ。貴方様に危機が迫ると、ガキは使命に駆られるというのに」


 肩に掛けていた短弓を手に持つと、矢筒から矢を抜き、いつでも構えを取れるようにする。

「無論、見つからないように引き返す。見つかる前に潰せば、万事丸く収まるだろう? ユンジェにだって負担は掛けまい」

 隣を一瞥すると、苦しそうに呼吸をしているユンジェの姿。
 腕に抱くハオが頻繁に様子を見ているが、険しい表情は子どもの容態を物語っている。ああ、馬の揺れすら、本当はつらいだろう。一刻も早く静かなところで横にさせてやりたい。

    
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