黎明皇の懐剣
短弓を構えたティエンは、新たに集まる兵になんぞ目もくれず、口から感情を迸らせる。
「聞け麒麟っ! 使いの者っ! 私が次の王となる者、この声を聞け!」
その目を黄金色に光らせ、セイウに向かって矢を放つ。
それは荒れ狂った風を呼び、闇夜を裂く道を作り、心手放そうとした麒麟の使いを目覚めさせる麒麟の声となった。
矢は姿かたちを変え、幼き麒麟となるや、瞬く間にセイウの下へ届く。
頭の鋭利ある角と一体になった鉄の鏃は第二王子の帯を突き抜け、彼の懐剣の鞘に直撃した。
微かに聞こえたヒビ入る音を合図にティエンは、乗り手のいなくなった馬を指笛で呼ぶと、駆け寄って来たそれに跨り、馬の腹を蹴って走らせる。
「ユンジェ。お前はセイウの懐剣じゃない。ティエンの懐剣だ」
足を止めて振り返るユンジェに手を伸ばす。
おなごのように白い手を目にしたユンジェは、惹かれたようにその手を掴むと、足を動かしたまま馬と走った。
華奢な腕が引き上げようとしてきたので、ユンジェから鞍を掴んで馬に飛び乗る。
「貴様らも馬に乗れ! 乗れ!」
ティエンが指笛を鳴らすことで、乗り手を失った馬達が謀反兵らに駆け寄る。それを止めようと弩を構えた兵が馬に矢を放つが、もろともしなかった。
隣を走る麒麟に目を向ける。恨みつらみを投げたい気持ちで一杯になったが、それを嚥下すると、瑞獣に願った。
(――どうか、我らを風と共に運びたまえ。兄セイウの手の届かない地まで、我らを運びたまえ)
手数の多いセイウに、今の自分達が真っ向勝負をしても敵うはずがない。だから欲深い兄の魔の手が届かないところまで、どうか風と共に。
(いずれ討つ。セイウを討って、ユンジェに繋がれた下僕の鎖を断ってやる)
その時を覚悟しておけ。ティエンは強い気持ちを抱いて、馬の手綱を握り締めた。
「おやおや残念。あと一歩のところだったというのに」
夜のとばりに身を隠し、風と共に去ってしまった愚弟達を見逃したセイウは肩を竦め、帯にたばさんでいた懐剣を鞘ごと抜く。
麒麟の加護が宿った黄玉にヒビが入っている。先ほど放たれた矢の鏃が、これに直撃したせいだろう。
血相を変えて駆け寄って来るチャオヤンを尻目に、セイウは美しい黄玉(トパーズ)が醜くなってしまったと鼻を鳴らす。
「骨肉の宣言を受けた上に、大切な黄玉まで醜くされるとは。ピンインめ、やってくれますね」
次会ったら、八つ裂きにした上で、生きたまま畜生の餌にでもしてやらねば気が済まない。このヒビは直るだろうか、セイウは眉間に皺を寄せる。
(ピンインの放った矢。一瞬、麒麟に見えたような……気のせいか?)
まあ。不快なことばかりでもなかった。黄玉を軽く舐めると、セイウは冷たい笑みを深める。
「リーミンは私を主君として見ている。主従の関係は成立している。あれは私の血を宿し、下僕としてお役を果たそうとしていた。ふふっ、健気な子ですねぇ。嫌いじゃないですよ、ああいうの」
それを知れただけでも収穫だろう。
「愚弟の呪縛により、あれは懐剣となり切れていない。なんと哀れな。私が解放してやらねばなりませんね」
そして、次こそセイウの懐剣を持たせるのだ。
己の懐剣を持った、リーミンはきっと、どの剣よりも美しく、気高く、興奮する姿を見せるのだろう。
国の誰も持っていない懐剣を持てるだなんて、これほど欲求が満たされることはない。
「黎明皇となるのは私か、ピンインか。それとも、噂を聞きつけるであろうリャンテか。はたまた、謀反を恐れている父上なのか。さて、天は誰を選ぶのでしょうね」
けれどそんなことより、新たな時代の王を導く、麒麟の使いを早く宮殿に飾りたい。セイウは歪んだ欲を惜しみなく表に出し、チャオヤンと兵達に言い放った。
「どんな手を使ってでも、リーミンを探しなさい。ここ東の青州、麟ノ国第二王子セイウが任されている地。どの土地よりも捕まえやすいのですから」
決して、他の土地に行かせてはならない。あれは誰にも渡さない。第三王子ピンインにも、第一王子リャンテにも、父にだって渡してなるものか。