黎明皇の懐剣
少し離れた岩場に移動したカグムはハオと共に、王子と懐剣を見守り、神妙な顔を作っていた。
口から零れるのは、重々しいため息だ。
ティエンが玄州に行く決意を固めてくれたことは、こちらとしては有り難い。隙を見て逃げ出す、なんて馬鹿な行為が減ってくれる。余計な仕事もなくていい。
だが。
(ピンイン。お前はとても気丈夫になった。強くなった。けどその分、脆くもなった)
良くも悪くも人間くさくなった。
それに喜べばいいのか、嘆けばいいのか、正直カグムには分からない。
「懐剣のガキ、折らないようにしねーとな。あれじゃ後追いしかねないぞ」
「頼むから、それを言ってくれるな。俺は頭が痛い」
薄々と気付いてはいたが、ティエンの弱点はあまりにも脆く致命的だ。
彼の大部分は懐剣のユンジェが占めている。
生い立ちを考えれば、仕方のないことだろう。分かっている。それに追い撃ちを掛けたのは自分だ。全部分かっている。
それでも、あれはあまりに脆すぎる。
ハオの言う通り、失えばきっと。
「懐剣ってのは、者であって物なんだな」
頭の後ろで腕を組んだハオが、こんなことを言ってくる。視線を投げると、彼は天を見上げた。
「なんっつーのかな。物ってのは、持ち主によってすぐに壊れたり、反対に長持ちしたりするだろう? 懐剣も同じなのかなぁって思ってよ」
ティエンとセイウの懐剣のはざまで揺れたユンジェは、持ち主によって心を持ったし、心を捨てた。
それがなんだか、哀れでならないとハオ。
自分の意思で心の有無を決められないなんて、麒麟の使いは本当に酷な運命を背負っているものだ。
「俺なら一日で音を上げそうだぜ。どんだけ辛抱強いんだよ、あのガキ」
毒のない悪態をつくハオから目を逸らし、カグムも天を仰いだ。やや薄い雲のかかった青空が自分達を見下ろしている。
「ユンジェは俺と違って、最後まで守り通す強い心を持っている。だから、どんな目に遭っても、懐剣をやめないんだろうさ。ほんと、王族の近衛兵だった俺より強ぇよ。あのガキ」
苦々しく笑うカグムは、羨ましい心の持ち主だと言って吐息をついた。ハオは何も言わず、ただ聞き手に回り、青い空を見つめている。彼なりの優しさなのだろう。
「国がどんなに変わろうと、空だけはいつも平和だなハオ。俺達の立つ地上は、こんなに荒れているのに」
天は見守る地上を、どう見ているのだろう。
麟ノ国を吹き抜ける風は噂を運び運んで、人びとの耳に届ける。
南の紅州にて麟ノ国第三王子ピンインの懐剣に、麒麟の使いが宿った。
同じく紅州にて麟ノ国第二王子セイウの懐剣を抜いた少年が現れた。されど、それは謀反兵らによって東の青州へ連れて行かれたと騒がれる。
二人の王子の懐剣を抜いた少年は同じ者。
西の白州を任されている麟ノ国第一王子リャンテは、噂を聞くや、早馬に竹簡を持たせると、返事を待たず三日後に、兵を率いて発ったそうだ。
彼は東の青州、麟ノ国第二王子セイウの下へ向かったという。
(第二幕:遁走の紅州/了)