黎明皇の懐剣

 ところかわり、依然カグムは岩の上で夜風に当たっていた。
 ユンジェが座っていたところに、ハオが胡坐を掻くので笑いそうになってしまう。妙に苛々している彼のかんばせが、どうしても面白くて仕方がない。

「盗み聞きをするなら、もう少し、上手くやれよ」

「うるせぇ。お前が先に動いたせいで、俺は王子のお守をする羽目になった。宥めるのに苦労しただろうが」

「起きたらユンジェがいない上に、至近距離に兵士がいる。あいつは取り乱しただろうな」

「すごかったよ。最近、おとなしくなったと思っていたが、あの方は本当に兵士が嫌いなんだな。今晩の王子は特にひどかった」

 容易に想像がつく。あれは兵士が近くにいると、本当に眠れない男だ。
 今はユンジェが隣に寝ているので、なんとか眠ることができているが、王子の兵士不信は伊達ではない。どんなに強気に振る舞っても、ふとした拍子に気丈が崩れてしまう。近衛兵らに奇襲を掛けられた傷の深さが窺えた。

 それだけ、王子は近衛兵に、カグムに信頼を寄せていたのだろう。

(ユンジェの存在がピンインを強くしている。一方で、脆くもしている。今のあいつは視野が狭い。そんなんじゃ王になんかなれやしねぇだろうな)

 ティエンに言えば、勝手なことを言ってくれるな、と毒づいてくることだろう。

「王子なりに、色々気にしているんじゃねーの? どっかの誰かさんのこと」

 ハオが鼻を鳴らし、盛大に舌打ちをする。

「そりゃ気になるだろうなぁ。ミンイって兵士の遺言を聞いたら。あーあ、だからこそ、あんなに取り乱したんだろうな。誰かさんが何も言わないから、色んなことを思い出したんだろうな。なのに、何も言わないなんざ、ずりぃ男だな」

「なんだハオ。嫌味か?」

「気にすんな。ただの暴言だ」


「なお、酷いじゃねえかよ」


 二人の間に冷たい夜風が吹き抜ける。
 簡単な旅だと思っていたのに、とても苦労するな、と話を振れば、大いに頷かれた。早いところお役を終えてしまいたい、とハオが苦言したので、カグムは川面に移る月に目を落とす。

「カグムやハオは悪い奴じゃない、か。ユンジェは人を見る目があるんだか、ないんだか」

「ねーよ。俺達を見間違えている時点で、人を見る目なんざ皆無だ」

 やけにムキになるハオには思うことがあるようだ。

「そうだな。だが、あの目を持っているからこそ、ピンインの懐剣になったんだと思う。恨みも憎しみも持たないなんざ……すごい奴だよ」

 昔、王子の懐剣を半分ほど抜いたことあるカグムには、到底できないことだ。
 あの頃は、いつか自分が懐剣になるのではないかと思っていたが、麒麟はカグムではなくユンジェを選んだ。それは正しい判断だと思える。カグムはユンジェのように、真っ直ぐな男はないのだから。

「同情するつもりはないが……ユンジェ、人間のままでいられるといいな。いくら懐剣とはいえ、心を失くすのはあんまりだろ」

 ハオは何も言わない。ただ宙を睨み、掻いた胡坐の上で頬杖をついている。

「いっそ、俺達もユンジェの夢に加担してみるか? 農民ってのも悪くなさそうだ」

「はあ? 冗談抜かせ。なんで、俺まで農民なんざしなきゃいけねーんだよ」

「畑仕事ってのも、楽しいかもしれねーだろ? ユンジェが一から教えてくれるらしいしな。四人仲良く朝から晩まで畑仕事ってのも悪くないと思うぜ」

「おまっ……この面子で暮らすつもりかよ。想像するだけで怖ぇんだけど」

 心底嫌がるハオは、くだらない夢だと足蹴にした。
 馬鹿にしているわけではない。ただ、くだらないと、叶わない夢だと言って否定する。現実的ではないと悪態をつく彼は、平和すぎる夢だと言って鼻を鳴らした。

「いいじゃないか。子どもの夢見ることだ。可愛げがあるよ」

「あんま、そういうの聞かせるんじゃねーよ。情が移る。俺はてめえと違って馬鹿なんだから」

 あくまで謀反兵としてお役をこなしたい。そう強く謳って、その場に寝そべるハオにカグムは苦笑し、「お前の良いところだよ」と返してやった。

 軽く目を閉じるハオは、前触れもなしに夢を口にする。

「俺もお前も、クソガキも、そして王子も、人間らしく天上できるといいな」

 それはとても現実的な夢だった。


「大人の見る夢は可愛げがねーよな。けど、賛同するよ。正直、ミンイが羨ましく思えた。あいつは最後の最期で人間らしく死ねたんだから」


 人間の心を取り戻し、誰かに見守れられながら死ねる。これ以上の幸せな死に方があるだろうか。

 カグムは天上した友人を想い、力なく笑う。とても羨ましいと思う、浅はかな自分がいた。

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