黎明皇の懐剣
さて。そんなこんなで集落に着いた一行はさっそく、必要な物資を補給するべく、そこを歩いて回る。
読み通り、集落の大部分が農家であったため、身元がばれることはなかった。小さな油屋を訪ねても、まったく疑われることがなく、銭を出せば喜んで物を売ってくれた。
「おっ。宿もあるな。この調子なら宿に泊まっても大丈夫だろう」
全員の体調を考慮したカグムは、久しぶりに屋根の下で寝ようと提案した。
飛びついたのはハオである。彼はぜひとも、寝台で体を休めたいと主張した。毎日、冷たい土や草の上で寝るのはしんどいとのこと。
ユンジェも異論はなかった。たまには寝台で寝る贅沢を味わっても、罰は当たらないだろう。
休める時に休んでおかないと、心身疲弊してしまう。ついでに宿に泊まったことがないため、この機に経験しておきたい気持ちもあった。
宿泊が決まると、カグムは太っ腹なことに個室を取った。
てっきり四人部屋を取るのかと思っていたのだが、個々で休息が必要だろうとのこと。
ユンジェとティエンが逃げ出さないと分かっているからこそ、思い切った判断を下したようだ。
もしかするとカグム自身、一人になりたかったのかもしれない。無用な詮索はしないでおこう。
ちなみに。個室を誰よりも喜んだのは、ティエンであった。
兵士がいない空間が嬉しくて堪らないようで、今晩はゆっくり寝ることができると喜んでいた。みな、旅の疲れが溜まっていたことが窺えた。
勿論。ユンジェはティエンと同室である。
それは彼の希望であり、ユンジェ自身の希望でもあった。二人で話す機会は多けれど、二人っきりで話す時間は殆どない。ゆえにこれは貴重な時間であった。
「ユンジェ。この宿には湯に浸かれる大部屋があるらしいぞ。一緒に入ろう!」
部屋に入るや否や、ティエンがこんなことを言ってくる。
子どものようにはしゃぐティエンを見るのは微笑ましいので、少しでも要望に応えてやりたい。が、湯に浸かることに、少々嫌な思い出があるユンジェは、顔を引き攣らせてしまった。
どうやら、ティエンは湯殿が大好きな様子。もう一年も湯に浸かっていないから、とても楽しみだと言って喜んでいた。
「うーん。湯殿に行ってカグム達、怒らないかな。声を掛けるべきじゃ」
「べつに逃げるわけではないから、大丈夫だろう」
「でもなぁ」
乗り気ではないユンジェは、カグムやハオの心配をする。勝手なことをすれば、厳しく監視されそうである。
しかし、なんのその。ティエンはいたずら気に誘いを続けた。
「湯殿後は二人で内緒の贅沢をしないか? 陶ノ都では色んなことがあって美味しい物を食べられなかったからな。ここの宿、夕餉とは別に銭を出せば、甘味が食せるらしいぞ」
ユンジェは生唾を飲んでしまう。
いくら辛抱強い農民でも、所詮は子どもなので、甘味には目がない。ああ、滅多に口にできない菓子が食えるやもしれない。
(これを逃したら、今度はいつ菓子を食えるか分からないぞ。そうだよ、いつも頑張っているんだし、ご褒美くらいあってもいいよな。うん、いいに決まってる)
ユンジェは心を躍らせ、爛々に目を輝かせながら、ぜひ贅沢をしたいと答えた。
「なら、私と一緒に湯殿へ行ってくれるな?」
先ほどまでの引き攣り顔はどこへやら。
ユンジェは勿論だと何度も頷き、はっきりティエンに付き合うと告げた。すでに頭の中は甘味で一杯である。
「ふふっ。乗り気になってくれて良かった。ユンジェのそういうところは、本当に扱いやすい子どっ……愛らしい一面だな」
噴き出しそうになっているティエンは、まことユンジェの扱いに長けていた。