黎明皇の懐剣
願いは届かず、事件は明け方に起きる。
それは川で洗い物をしていた時のことだ。夜通し大人達の看病をしていたユンジェは、汚れた水と布を洗うべく、ひとり川のほとりにいた。
三人の熱は下がらず、依然寝込んだままであるが、昨日の昼に比べ、落ち着きを取り戻している。
この調子であれば、明日には微熱になっていることだろう。
今は三人とも、岩穴で深い眠りに就いているので、ユンジェもこれが終わり次第、仮眠を取るつもりであった。
なのに。ぞわり、ぞわりと悪寒を感じたことで、欠伸をしていたユンジェの表情がこわばってしまう。
心臓を鷲掴みするような恐怖を感じる。
本能が警鐘を鳴らすので、絞っていた布を握り締め、周囲を見渡した。この感覚は所有者に危機迫る時のもの。何が来るのだ。何が。
状況を把握する間もなく、背後の藪から人間が飛び出す。それらは逃げ惑う悪漢どものようだ。
藪の向こうから賊を探す声が聞こえてくる。
寸時、藪から馬が飛び出すや、それらを青龍刀が斬りつけた。瞬きをする間もなかった。
「なんだ。歯ごたえのねえ野郎どもだな」
乗り手が退屈そうに欠伸を噛みしめ、青龍刀に付着した血を布で拭う。
ユンジェは息を詰めた。
みすぼらしい格好をした乗り手は、一見卑賤の身分に思えるが、この目は誤魔化せない。簪で留めた赤茶の長髪、広い肩幅、眉目秀麗な容姿。なにより、好戦的な切れ長の眼はユンジェを畏れさせる。
(なんで、こんなところにいるんだ)
麟ノ国第一王子リャンテ。
悪漢どもは彼の手により、慈悲もなく事切れてしまう。弱かったことが非常に不満だったようで、「そっちから仕掛けてきたくせに」と、彼は舌打ちを鳴らした。
リャンテと目が合う。
体を強張らせるユンジェとは対照的に、彼は面白そうな玩具を見つけたと目を細める。一層、身を小さくしてしまった。リャンテには顔を知られていないものの、下手に関わりたくない。
「ガキ、とんだところを見ちまったな。命惜しけりゃ金目の物を置いて行けよ」
一気に恐怖が混乱に変わる。なぜ王族の男が、追い剥ぎのような振る舞いをしているのだろうか。路銀が足りなくなったわけでもあるまいし。
落ち着け。よく考えろ。見たところ、相手はきっと暇つぶしをしたいのだろう。
こういう型は、自分の想像を上回る展開を望むことが多い。本当に金目の物を狙っているのならば、有無言わさず青龍刀を振り下ろしている。子ども相手に、わざわざ言ってきたということは、ユンジェという子どもを弄び、玩具にしたいのだ。
仮に相手の要求を呑んで、金目の物を置いたとしても、思い通りに終わって不満足となり、ユンジェに青龍刀を振り下ろすことだろう。
そこで、しごく無知な振る舞いでリャンテに尋ねた。
「あんた。賊じゃないのに、どうして金目の物を狙うの? お金には困っていないだろ?」
それとは違うだろう、と事切れている悪漢どもを指さす。
「ほお。なぜ、俺が賊じゃないと思う?」
予想外の展開が好きなのだろう。彼は楽しげに問うた。
それはリャンテが王族の人間だから、なんぞと言えば、一気に相手は冷めてしまうことだろう。みすぼらしい格好をしているのだから、王族の身分は触れられたくないと思われる。
だからこそ、口調は小生意気なもので振る舞う。ここで恭しい態度を取れば、ユンジェが王族であることを気付いていることがばれてしまう。
ユンジェはまじまじとリャンテを見つめ、そっと纏っている外衣を指さす。
「その外衣、追い剥ぎが着るにはとても目立つよ」
生成色の外衣は、ユンジェが纏っている鶯色の外衣より明るい。旅人ならまだしも、賊であれば、そのような目立つ色は避けたいところ。とりわけ追い剥ぎをするのであれば、闇夜にまぎれた色を選ぶはずだ。
また、リャンテの頭を指さし、象の簪は贅沢品の象徴だと教える。それを髪に挿せるのは、商人や薬師、地主といった金持ちばかり。金のない者達は、せいぜい木の簪に留まると主張する。
「あんた、一見みすぼらしい格好をしているけど、本当はお金持ちなんだろう? 簪だけじゃない。掛けている刺繍の頭陀袋や、つぎはぎ、穴のない麻衣。擦り切れていない上等な革靴は、平民じゃないことを教えてくれているよ」
どれも平民が纏うにしては綺麗すぎる。もっと、ぼろぼろになっていてもおかしくないのに。
革靴や刺繍の頭陀袋など、揃えることすら平民は苦労する。
それをやってのけているリャンテは金持ちだと告げた。奇襲を当然としている賊にしては目立つ格好をしているので、お金持ちが正体を隠しているように思えると、ユンジェは答える。
「なにより、本当の賊は今すぐ俺を斬り捨てるか、もしくは売るために捕まえるはずだよ。ここらへんの賊は、食い物を得るために襲う奴等が殆どだから」
数日の間、何度も賊に襲われたユンジェなので、ここの賊の特色は心得ているつもりである。