黎明皇の懐剣
七.山椒は小粒でもぴりりと辛い
ユンジェはたいへん困った状況に追い込まれていた。
深いため息をつき、ぐるりと周りを見渡す。
四方八方、木に茂み、木に花、木に木に木に。どこを見ても草深い木ばかり。森育ちの自分は、この状況をなんというか、よく知っている。所謂、迷子だ。
あの後、青州兵やリャンテらから、少しでも距離を置くため、森の奥の奥の奥まで無我夢中に走ってしまったのもだから、こんな事態になってしまった。
一度森に迷うと、本当に厄介で、よほど土地勘がない限り、元いた場所に帰り着くことは到底不可能である。
森に入る時は、印をつけながら歩くのが鉄則。
それの余裕がなかったユンジェは、見事に迷子になっていた。もう、自分がどこの方角から来たのかも皆目見当がつかない。早いところ、大人達のいる岩穴に戻りたいのだが。
(もう、みんな起きているかな。岩穴から出ていないといいけど)
とりわけティエンが心配である。
兵士不信の彼はユンジェがいなくなると、不安定になり、近くの兵に殺気立ち、とても気性が荒くなる。
普段であれば少しの間、離れ離れになっても、さほど心配しないのだが、今の彼は高熱に魘されている。
いつまでもユンジェが帰らないとなれば、火照った体を引きずってでも外へ探しに出るやもしれない。
まだ、青州兵やリャンテらが近くをうろついているかもしれないので、是非ともおとなしくしてほしいところ。
カグムやハオが止めてくれたら良いのだが、彼らもまた高熱に魘されている身の上。
やはり最善の策は、ユンジェが自力で岩穴に戻ることだろう。
「まずは俺の心配だよなぁ。どうしよう」
ユンジェは追っ手が来ていないことを十分に確認すると、自分の手持ちを調べる。
「金貨。懐剣。びしょ濡れの布一枚。これでどうしろってんだよ」
おまけにユンジェの体は濡れている。まずは火に辺りところだ。盛大なくしゃみを三つ零し、ユンジェは二の腕を擦る。
(このままじゃ、俺が熱を出しちまう。火打ち石もない今、火を熾すには)
ユンジェは爺と暮らしていた日々を思い出す。
食べていくことで手いっぱいだった我が家は、何度も火打ち石が買えず、食い物を優先していたことが多かった。
そんな時、爺は火打ち石がなくとも火を熾せると笑っていたっけ。
(なんだ。じたばたすることないじゃないか)
ユンジェは、まずは安全な場所で火を熾すことを決める。
巨大な切り株の傍に、場所を設けると、薪を組み立てる。次に手頃な木の棒を拾った。それの先端を丸く削り、切り株にできた窪みに添える。
出た屑は捨てず、窪みやその周辺に添え、後は棒を両手で挟んで回転を掛けるだけ。
力のいる作業だが、初めてではない。ユンジェは微かに零れた火種を見逃さないよう注意深く観察しながら回転を速めていく。
木屑に火種が点いたところで、枯れ葉と屑を手の中に入れ、よく振る。
「あっちっ!」
目に見える火が熾ったところで、薪の中へ。
たき火が炎々と燃え始めると、ユンジェは着ていた衣を脱ぎ、太い枝に通して乾かす。濡れた布は勿論のこと、森カエルも見つけたので、捕まえて、これも枝に刺しておく。
よしよし。これで己自身の問題は多少解決だ。
「あ。水がねーな。日が暮れる前に川を見つけておかないと」
後ほど、木登りで方角を確かめよう。そうしよう。
「んー。塩がないってのも、問題だな」
森カエルの丸焼きをあっという間に平らげ、ユンジェはこれからのことを、ゆっくりと考える。
ほぼ百といってよい。
ユンジェはティエン達のいる岩穴に戻ることはできないだろう。
だって、ここは見知らぬ森なのだ。
三日も四日も彷徨ったところで、戻れる自信はなく、三人が岩穴に居てくれるかどうかも分からない。岩穴に戻るという選択肢は最善の手であるが、除外すべきだ。現実的ではない。
だったらどうするか。このまま迷子になって、野垂れ死ぬのは御免である。
そうなる前に、三人と再会したいもの。
それができなければ、わざと青州兵に捕まるのも手だ。危険ではあるが、自分が捕まれば三人にも遅かれ早かれ、知らせが届くはずだ。
「でもなぁ。セイウに飾られちまうかもしれねーし」
青州兵に捕まれば、セイウに再会する可能性が高い。あれと顔を合わせれば、ユンジェはリーミンとなり、一切合切逆らえなくなる。この案も却下だ。
確実に三人に会える手はないだろうか。云々考えるユンジェは、掻いた胡坐の上で頬杖をつく。
「天降ノ泉に行くしかねーか」
ティエンらも馬鹿ではない。いつまでもユンジェが帰って来ないと分かれば、何かしら問題が遭ったと憶測を立てるだろう。
彼らも思う筈だ。
右も左も分からない森を彷徨うより、麒麟の神託を受けた天降ノ泉へ行くべきだと。そこなら手掛かりも掴めるはずだと。ユンジェであれば、そう考える。